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身長が低くても服を楽しめる思考方法

<僕のWEAR>

何のために服を着ているのか

僕は服で頭を悩ませるのが好きだ。
SNSが発達した現代では、簡単に見本を見つけることができます。
考えることを誰かに託すことができる。
こんなに便利な世の中だからこそ、悩めるのは一種の才能だと思っているんです。

そんな自分自身を楽しんでいたい。
だから僕は服を着るときは必ず頭をつかいます。
そんな風に頭を悩ませるのがとっても楽しいのです。

身長のハンディ

身長の高さはコーディネートを考えるうえでハンディがある。
「そんなことはない!」と言いたい人もいるでしょう。
ですが、現時点での平均身長を下回る僕はそう考えている。

特にファッショにおける軸になるボトムにおいては
このハンディが顕著に出ます。
裾上げをすることで、本来その服が想定していた
膝の位置がずれて裾幅がタイトにフィットしてしまったりする。
すなわち、本来のシルエットが崩れるわけです。

美容室に行ったとき、すごくきれいにセットしてくれるのに
自分でやるとなんだかうまくいかないという経験ありませんか?あの現象は美容師さん側がセットしやすいように切ったり
ドライヤーで形を整えたりしているからきれいなセットが成り立っているからです。

つまり、作成者の意図したシルエット = 客観に見た時「良い」と思えるものなのです。

そうではない時、違和感が生まれる。
その違和感が発生しないことはハンディだと考えています。

自分の良い表現しよう

とは言ったものの
このハンディは客観的に見た時のものなわけです。
良いに固執すると「脚を長く見せる」等の視覚効果の部分へのアプローチが深くなり
自分の中の「好き」を表現できなくなります。

前提として僕は洋服を着たり収集することを生業ではなく趣味でやっているんです。
趣味なのに自分の好き勝手やれないというのは
悲しくないですか?
僕は自分の好きな格好でかっこつけたいわけです。
「そんな格好はモテないよ」と言われても
やりたいわけですよ。
だったら、とことんやらなくちゃ。

※モテたいならモテる格好をすることは肯定します。いいぞ、もっとやれ。

低身長バイアスから抜けよう

一種のバイアスだと思うんです。
低身長だからファッションを楽しめないってことはそもそもない。
おそらく、僕が感じたハンディのように
何かしらの事実や論理があるのでしょう。
それらの要素でファッション楽しめなくなるなら、自分で考えることを辞めてしまえばいい。
自分の意思で服を着なくなればいい。
貴方が思考することを放棄しない限り
それらの事実や論理は真実にはならない。

事実や論理によるバイアスには
他人からの脚色が多く含まれています。
そんなことよりも自分がいいと思えることを積み上げることがバイアスを外す機会になります。

そのためにはたくさんの服に出会うべきです。
貴方の「このブランドがいい」は初めから固まりすぎていませんか?
店舗で店員さんから接客を受けていますか?
友達と好きな格好を共有したりしていますか?
自分に刺激を与えることを楽しむ。
大喜利をするようにファッションを楽しむのです。
人に共有する。
そんな中、貴方が感じる感覚が真実です。
誰に何を言われようとです。

あとがき

自分で普段考えていることを
文字に起こすことはやっぱり面白いですね。
自分の内側に潜んだ感情に触れている感じがして不思議な気持ちになります。

今度は何を書こうかな...
それではまた〜

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