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ヤギの生まれ

 山の中での暮らしが2年目に差し掛かろうとしている今日この頃ヤギから子ヤギが生まれた。

 住んでいる家の向かいの空き地でおじさんがヤギを飼っている。ヤギ小屋の前を通る度に、柵を押し倒す勢いでこちらに顔を寄せてクンクンクンッ!と鼻をひくつかせてアピールをしてくるので、白菜の切れ端やクワの葉をやっている。それ以外に特に関わりはないのでヤギの情事に気づかずにいた。

 寒さを感じはじめた頃には雌ヤギのお腹が横ばいに大きくなっていて、重たそうな身体を細っこい四肢で支えて白い鼻息を出しながらこちらを見つめる。今にも人語を喋りそうで、なにかの宗教画みたい。

 私の住んでいる山は雪がふると膝くらいの高さまで積もる。12月中頃にサーフボードにのった冬将軍が寒波に波乗り。勢いづいて冷た〜い風と大量の雪を落としてゆく。その頃になると毎朝出かける前は雪かきをして、車のエンジンを付けてフロントガラスの結露が溶けるのを待つ。いつもの通り車の中で発進できるのを待っていると、

ンメェ〜ンメェ〜

といつものヤギ声より甲高い声が聞こえてきた。
ヤギの小屋をのぞくと入り口のすぐそばに半透明赤い塊が落ちていた。胎盤だ。中にはまだ羊水で湿った子ヤギが2匹。フルフルと震えながら鳴き声をあげて母ヤギを一生懸命に呼んでいた。

寒さはまだ序章。

 毎日が寒くて暗くて、起きることも何もかもが億劫になるようなどんよりとした気分で過ごしていた。反して子ヤギたちは、冬の厳しさの中で日を追うごとにしっかりとした存在になっていって(最初はなんだか今にも溶けそうな感じだったのに)ぴょんぴょこいろんなところを走り回って兄弟2人で遊んでいる。

 ヤギは生まれてすぐに立ち上がってすぐに自立する。生まれてしばらくしたら母ヤギが子ヤギをおでこで押しのけて、乳離するように促す。そうして子ヤギ達は雪解けの大地の中から自分達でエサを探し始める。親ヤギ達を見習って鼻をヒクヒクと動かし、この草。あの草はダメ。食べられる草、ダメな草を選別してよく噛み、反芻して、飲み込む。世界と自然と本能を使ってあっという間に自分の力で生きることをはじめる。

 私が山に引っ越そうと決断したこは、自分にしては突拍子もないようなことだったと思う。私は捻くれ者で、拗らせ者で。周りの目を気にして、すぐに不安になったり落ち込んだりする性格だ。今流行りの田舎に暮らそう!という文言に対して私の内面にあるピサの斜塔のようなプライドが大きな反発を覚えていたが、寂しい残高の通帳を握りしめて陶芸を続けたいという一心で家を求め、北へ西へ東へ奔走した結果、今の家に至る。 

 2年間の山暮らしを通してたくさんのことを学んだ。夏の暑さと鮎の塩焼きの匂い。秋の荘厳な紅葉。冬の目まぐるしい寒さを超えて、大樹の桜を迎えること。仕事も。人間関係も。因果論的にはなりたくないし、他の場所でも同じだったかもしれないし、とこのまま捻くれ続けたいが、気付けば私もやっと子ヤギ達と同様に、おぼつかない脚で大地を踏み締め、人間社会を含む自然界に歩みを進めはじめた気がするのだ。

 そういえばnoteの皆様初めまして。小早川と申します。広島で陶芸をしたり、絵を描いたり、その他諸々で軽ろうじて生きながらえています。

 山の中での暮らしのことや、自分の制作。焼き物のこと。できるだけフラットに、思うままに綴り、田舎に暮らそう!プロパガンダの一役を担えればと思います。よろしければお付き合いください。

 今日ここにヤギの生まれと私のnoteはじめを記します。

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