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電話のトラウマ

 僕は電話が苦手である。掛けるにしても受けるにしてもドキドキしてしまう。それには僕のほろ苦い『電話デビュー』が関係していると思う。

 僕の電話デビューは幼稚園の年中さん。歳でいえば5歳くらいだろう。その日、僕は幼稚園に忘れ物をしてしまった。弁当箱だったか何だったか忘れたけれど、その日のうちに回収したいものであった。そのため、幼稚園に忘れ物の確認の電話を掛けることになった。母親が電話をしようとしていたので、「こうちゃんが掛けたい!」と主張して、僕が電話を掛けさせてもらうことになった。ちなみに、当時の僕の一人称は『こうちゃん』であった。

 幼稚園以外で先生とお話しできること、初めで電話が使えることに僕は興奮していた。指定された電話番号をプッシュして電話をかける。数コールの後、担任ではない先生が「はい、○○幼稚園です」と電話に出た。電話に出てくれた先生は、幼稚園の中でも一番怖い女の先生だった。僕は興奮しながら「あんな、こうちゃんやけどなぁ」と元気よく第一声を放った。当時の僕は幼稚園でも『こうちゃん』を公言していたため、当然通じるものだと思っていた。

 しばらくの沈黙の後、先生は「ハァ?!」と返答をした。5歳児の僕には、怒気を含んだ声色に気付けず(あぁ、聞き取れなかったのかな?)と思い、「だから、こうちゃんやけどなぁ」と再び名前を告げた。すると、「ハァ!?誰やねん!切るぞ!!」と先生は怒鳴り返してきた。ここまで来て、初めて僕は自分の電話の仕方が間違っていることに気づいた。頭が真っ白になった。僕は何も言えず、黙って母親に受話器を差し出した。途端、母親からも「何を言ってんのアンタ!『いつもお世話になっております。○○(苗字)です』やろ!」と怒られる始末であった。そんな大人の言い方ができるはずない。もし、そのように言うのであれば先に言ってくれればいいではないか!

 恥ずかしいやら情けないやら、これまで感じたことがないほどたくさんの感情が一気押し寄せてきた。僕は「うぅ…」と半泣きになりながら洗面所に走った。ぶつける先がない感情を「うぅう!」と言いながら、タオルを引っ張ることでごまかしていた。途端、タオルを吊っていた取っ手が「バリリ!」という音を立てて取れてしまった。

 さらに怒られてしまう原因を作ってしまった。僕は泣きながら寝室に走り込み、布団にもぐりこんだ。布団の中で泣いていると、電話を終えた母親がやってきてなにごとか怒っていた。恥ずかしくて、情けなくて、タオルの取っ手も壊してしまって。「ヴァーん!ヴァんヴァん!」と泣いていた僕は何を言われているのかもわからなかった。

 次の日、幼稚園に行くと件の先生が「昨日は本当にごめんね」と謝って下さった。先生も、忙しい中でいたずら電話が掛かってきたから思わず怒ってしまったのだろう。僕はうつむいたまま「いいよ…」と答えるのが精一杯だった。もし今、先生と会えるのであれば「こちらこそ、お忙しいところ変な電話をかけてしまいまして本当に申し訳ありませんでした…」と謝りたい。

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