人の心

私が読んできた小説は歴史ものや戦ものが多かったから、人が死ぬのは当たり前のことで。死別する家族とか、カップルとか。そんなものは当然で、防ぐことなどできない。それに、長い物語の中たくさんの人が退場していくから、ひとりがいなくなったくらいでそんなに悲しんでもいられない。だから、誰かの死を無駄にしないために自分は生き延びるのだとか、死なれても想い続けることが愛だとか、そんな言葉を信じていた。だって、そこで悲しんで立ち止まっては、その人の命が無駄になってしまう気がしたから。

でも、最近アニメを見ていて、好きな人に死なれたら、やっぱりどうしようもないほどに悲しいのだと思った。あの人の死が、彼らの最終的な勝利に必要なものであったのは事実だけれど。でも、死ななくたってよかったじゃないか。ここまで来たのに、わざわざ死ぬことはないじゃないか。あなたのおかげでここまで来られたというのに。どうしてあなたとここで、こんな別れ方をしなければならないの…。

彼の亡き後もその世界は続いて、未来の話が語られる。彼も生きていれば今頃は…と思ってしまう瞬間がある。彼の仲間はここで、こうして各々の道をそれぞれの形で生きているのに。彼の時間は、あの時のまま止まっているのだ、と。
確かに、思い出の中には生き続けているけれど。でも、彼の時間はもう、進むことはない。そのことを突きつけられたようで。…寂しいし、悲しい。

こんなにちゃんと「かなしい」と思ったのは久しぶりのこと。どうしようもない別れがあることも、想いが成らないことも、現実だから仕方ないことだと思っていた。というより、そう割り切らなければと思っていた。
だって、悲しんでいても何も生まれないから。立ち止まっている時間がもったいないから。未来も希望もある誰かの時がここで終わったのだから、続きを持つ私は、まっとうに生きていかなければならないような気がして。もういない誰かの代わりに、私は今よりマシな生き方をしなければ、と。
…悲しむより焦りが生まれて。私のように何も成すことのできない人間が、ただ生き延びていて良いはずがない。だから。死別にせよ、生き別れにせよ、私はそれを糧にして、前を向かなければ、と。

でも、そう思い込むことは、感情に蓋をするのと同じことだったのかもしれない。どうにもならないと割り切ることも必要だけれど、悲しむのもそれに沈むのも、悪いことではないはず。それに、その痛みを噛み締めるのはつらいけれど、自分が生きていることを実感できるのも確かで。
センチメンタルなんて柄ではないけれど、失恋をうたった歌を聞いて悲しくなったり、大切な人を失う話に涙したり。そうして自分の隣にあたたかい存在があることの幸せを感じて、大切な人と別れたくない、手放したくない、なんてことを思って。
今までこんな気持ちになったことなど、一度もなかった。いつだって無駄だと決めつけて、わがままだと言い聞かせて、気づかないフリをしてきたから。

自分の感情を認めて、それを噛み締めていると、それが明るいものでも暗いものでも、自分は生きているのだ、生きていていいのだ、と感じる。
悲しい話を悲しめるだけの心を、このあたたかさを幸せと感じられるだけの心を、私も持っているのだと実感できる。人でなしなどではないと。自分も温度のある、生きる人間なのだ、と思える。

…あの人のいなくなる物語は、悲しいものだったけれど。でも彼は私に、人の心を思い出させてくれたような気がする。



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