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感情欠乏

私は短大2年生の4分の3あたりで感情が死んでしまい、病んでしまった時期があった。

大体卒業論文を終えたあたりくらいだろうか、そのあたりで思ったより感情が湧いてこないことに気づき始め、だんだんと世界がモノクロに染め上がっていく感覚があった。

何をしても楽しくない、辛くもない。自分自身の心がロボットのような感じになってしまい、心の機微に聡い友達に相談して泣いたこともあった。

短大卒業後、実家に帰省して音楽を聴きながら散歩をしているうちに感情が元に戻ってきた、渇き荒れ荒んだ心に雨が降り注いだ感覚。

この記事を書いていて序でに芋蔓式で想い出が掘り起こされる。
私は高校一年生の頃寮生活を送っていたのだが、1週間学校と寮生活で疲れ果てて時折田舎の実家に帰省し、数日間猫と戯れてまた元の寮生活に戻っていた。

その時を「帰ってきた時は目が死んでいたけど、猫と戯れていくうちに活き活きとしてきてる」と親が記憶の回想録を捲るように語っていた。

要するに卒業論文作成の忙しさの反動で完全燃焼状態が尾を引いていたのだと思う。

今でも昔よりも感情が乏しくなってしまったが、仕事の辛さを和らげるための防衛本能としての意味合いが強くなってしまったのはなんとも言えない皮肉だ。

感情が湧かないと生きている感じがしないので何かないかとSNSで探し回っていると感情をメモしようというツイートを見かけた。

SNSが復旧した昨今、YouTubeやTwitterなどで強い刺激を受けているため他のことをしても感情が湧きにくくなってしまう。
それを予防するためにその時に湧いて出た感情をメモするというものだ。

いつ、どこで、何を、どうした時にその感情が出てきたのか、メモを取る。
これだけ。

何かを継続したりしていくためにはこういう人間らしい瑞々しい感情が不可欠だ、笑えないが感情が湧かないのであれば何しても続かないのは身をもって体験している。

仕事中、趣味の時間、どうしたら感情が湧いてくるのか、湧いた時間はどうしていた時なのかなど考えながら今日も生きていく。

人間らしい感情を取り戻して人生を豊かにしていくために。

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