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#73  自分で自由に「つくる」ことが楽しい

高価なおもちゃよりも、ごっこ遊びや工作、お絵描きに夢中

長女がずっと「ほしい」「ほしい」と言っていたお人形の家のおもちゃ。
高価なので購入に迷ったものの5歳の誕生日に買ってあげた。
夢中で遊んでいたのは、買った直後の2~3日だけだった。
今はほとんど寂しそうに棚にしまわれている。

でも、5歳の長女と3歳の次女は、毎日朝から晩まで飽きずに遊んでいる。
では何をしているのかといえば、ごっこ遊びや工作、お絵描きである。

今日も朝から
長女「私がちゅうちゅうねずみのお母さんよ~」
次女「お母さん~私ちゅうちゅうねずみの赤ちゃんよ、お腹がすいたよ~」
長女「今からご飯をつくるから、待っていなさい」
次女「お母さん、わかったわ~」

などと言って、ごっこ遊びをしていた。

また、ダイソーで買ってきた絵の具で
お絵かきを2時間位夢中になって楽しんでいた。

なぜ、やっと買ってもらえたおもちゃで遊ぶよりも、ごっこ遊びや工作、お絵描きの方が楽しいのか

親のエゴだが、「せっかく買ってあげたのにどうして遊ばないのだろう」「あんなにほしいと言っていたのに」と疑問だった。

でも、自分が毎日noteを書き始めて「つくる」喜びを知ってから、
その疑問の答えがはっきりしてきた。

自分たちで自由に「つくる」楽しさがあるから

お人形の家のおもちゃには決まりきった遊び方しかない。
一方、ごっこ遊びや工作、お絵描きには、
自分たちで自由に「つくる」楽しさがある。
だから、おもちゃ遊びより、ずっとずっと楽しいのだろう。

今日、絵の具でお絵かきしていたときも、
「何色にしようかな」「何を書こうかな」と
考えながら自由に娘たちはとても楽しそうだった。

私も、毎日noteで
「何を書こうかな」「どんな風に書こうかな」と
考えながら、インプット(読書)を含めて楽しんでいる。

最後に

たのしいというのは、だれかがくれるものではない。
だれかだとか、なにかだとかといっしょに、
じぶんで生み出すものだ。

糸井重里「みっつめのボールのようなことば。」

おもちゃ、ゲーム、テレビ、You Tubeなど‥
私たちを楽しませてくれるものは、
ありすぎるくらいある。

でも、私たちは本当は気づいているんじゃないか。

それらも確かに楽しいけれど、
もっともっと楽しくて飽きないのは、
自分で「つくる」楽しさ、
自分で「生み出す」楽しさだってことに。

だから、「創作」は楽しい。
親子ともども「創作」を楽しんでいきたい。


読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。