いつか未来のその日まで
初めての場所に出かける時、余裕があれば事前に目的地までの下見をする。地下鉄から徒歩3分のところ違う出口から出て30分以上かかり、東京ではテキトーな出口から地上に出ると確実に迷子になる!と学んだ。もともと方向感覚がずれているのか逆方向に歩くこともあり、無事に目的地にたどりつけたら奇跡?ラッキーともいえる。
そんな私が30年前20代の頃、旅先で道に迷った。当時の携帯はナビ機能もない。電波も通じない山間の村。現地係員さんは「大丈夫ですよ。小さい村ですから迷いません」と断言。場所はオーストリアのザルツブルク。世界的に有名なモーツァルトの生家があり、映画「サウンドオブミュージック」の舞台でもある。夏に開催される音楽の祭典「ザルツブルク音楽祭」に友人と渡航したのだ。その前の滞在地ウィーンでは、逆方向の電車に間違って何度か乗りと案の定やらかしてはいた。
コンサートの余韻にひたりつつ、ちょっとお散歩と気軽に出かけたつもりでコトはおこる。バスは一方通行。単純に乗ればホテルに戻れるはずが、肝心のバス停が見当たらなくなり、日が暮れて人通りも消えた。これは本格的にヤバイのでは?とその時、通りがかった若い女性につたない英語で「ここは、どこ?」と持ち歩いていた小さな紙の地図をみせる。すると、首をかしげ「ここかな?」と指さしてくれたところが、地図からみごとにはずれていたのだ。「このまま進んだら国境越え?!」不思議なものを見たというような彼女にひとまず御礼を言い、回れ右と方向転換して歩くこと20分。なんとかバス停をみつけ無事にホテルへ。
それにしても、地図からはみ出す自分ってどうよ。道に迷っては変な場所にたどりつき、時間に間に合わない!!とパニックになり、目的地にたどりつくまで気が抜けないことが多いけど、いつか、ドラえもんの「どこでもドア」や、瞬間移動ができる未来になるその日まで頑張って生きようと思うのです。
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リブリオエッセイの元になった本はこちら↓
藪本晶子著 「絶滅危惧動作図鑑」
そんなの意味ある?そんなことやる必要ないんじゃない?と思うものだとしても個人的にはあった方がいい、やった方がいいと思うものがある。
例えば夢とか才能とか、それはないよとか無理だよとか、あきらめた方がいいと言われ自分からそれらの行動を絶滅させてしまうことも多い。時になかったかのよう忘れられてしまうことも…。
本人が自ら望んでやりたい、欲しいと思うなら自分であらがうこともアリ。今現在、取るに足りないと思っても残ってても大事にすることもあるだろう。
使えなくても必要なものの一つ。それがワタクシの場合「地図」かもしれない…。どこの道をたどったかを後で知ることの方が人生の道のりには多いのだけども。
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