セメント樽の中の手紙を読んだ
セメント樽の中の手紙を読んだ感想文です。知識不足な部分も多々あるため、解説として読むには向いていないと思います。また、このnoteは特定の思想を賛美するものではありません。
ジャンルとしては蟹工船と同じプロレタリア文学ですね。蟹工船は映画で観たのでしっかり読んだわけではありませんが、軽く調べてみると書かれた年代が近かったのでなるほどこう言うジャンルが流行った時期なのかなと思いました。
順当に読むと会社の駒として使い捨てられ、死んでいった恋人を思う同じく労働者階級である女性の悲哀と、それを嘆く暇もないほどに労働に疲れている主人公を綴ったお話。
プロレタリア文学って、言ってしまえばブラック労働環境を生きる人々の事を書いたお話なので、当時の低賃金で鼻をほじる暇もないほど忙しい過酷な労働とかお金がなくてセックスぐらいしか娯楽がない人がいた時代背景の事を深く知らないと「わかる…!」って言えるほど感情移入できない話ではあると思う。ただ現代社会において過去に生み出されたプロレタリア文学は再評価されていくんじゃないかなと思っています。
過労死するほど仕事があるのに自殺するほど仕事がない現代において、現代人はまさにこれが描かれた時代で言うプロレタリアートと評するに値すると感じます。プロレタリアートの話を深掘りすると共産主義や社会主義、学生運動や過激派の話にも波及していくと思うので、このへんはだいぶ根が深い話ですね。我々は使い捨てられる道具ではない、赤い旗を翻し今こそ革命をもたらすのだって時代が日本にも実際にあったわけですから。某有名アーティストも角材振り回してた時期がありますよね。
現代のプロレタリア文学ってなんだろうと考えた時に、一番身近なのはツイッターマンガやnoteのエッセイに要素は溶け出しているんじゃないかなと思います。ただ現代って大人も子供も疲弊していて冷笑的になってるぶん、わかりやすく権力に対して行動を起こす部分は少ないのかもと感じています。もちろん現状を変えたいと行動している方々はいらっしゃるんですけど、そんな事して何が変わるの?とせせら笑う人達に阻害されていると言うか、声が届きにくいそんなイメージがあります。
で、この手紙が嘘である可能性もあると考えると、これはこれで江戸川乱歩や夢野久作に通じるグロテスクでナンセンスな小説であるとも感じました。夢野久作で例えるなら人間腸詰を少し想起させるかも。なんとなくそれっぽいイメージはちょっとあると思うので、興味があれば読んでみてほしいですね。江戸川乱歩や夢野久作は前述したプロレタリア文学よりももっと大衆向けで娯楽的なので、この手紙を誰かの創作だと考えると江戸川乱歩の人間椅子とも作風が似通うし、いわゆる「お話」として消化する側面もあるのかなと感じました。個人的には文学としても娯楽としても短くまとまっていてわかりやすく、当時の人達に訴えかけるには十分な作品だったのかなと思いました。
(本当に私がこうなのかな?と思った読書感想文でした)
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