見出し画像

親愛なる友人Mへ 生きてるだけでスバラシイんだ

突然、大学の友人が不慮の事故で亡くなったと連絡があった。
あまりに突然なことで、心が追いつかない。

今回のことで感じたことを、忘れないうちに、言葉に残しておこうと思う。


友人Mとわたし

わたしは外交的・活発だとすれば、友人Mは内向的・おっとりとした性格で、正反対なタイプだったかもしれない。
けど、不思議とノリが合って、大学1年生の時に一緒に授業を受けるグループの中にいた。授業前後に2人でくだらないことでケタケタ笑っていた。突然始まる怒涛のLINEのふざけ合いは、3分しないうちにマイペースなMの「じゃあね〜」で終わる。その軽快さ、テキトーさが好きだった。

大学2年生以降は、コロナの影響で大学に行くことが減った。
ガツガツ成長したい!という気持ちの強かったわたしと、ゆったりマイペースなMとでは、履修する授業がずれていき、話すことは少なくなった。

でも、Mは誕生日おめでとうのメッセージを必ずくれた。年賀状を送ったり、そんなちょっとしたタイミングでふと連絡を取り合った。相変わらずのんびりした、でもちょっとはかなげなMが心配になりつつも、わたしは自分の挑戦に夢中になっていて、会おうと言うことはなかった。

最後に連絡をとったのは今年の元旦だった。Mから、年賀状ありがとうの連絡がきた。怒涛のLINEのやりとりは、ちょっと長めで10分経っていたが、やっぱりマイペースなMの「じゃあね〜」で終わる。その軽快さ、テキトーさが、やっぱり好きだった。

まさか、会えなくなるなんてなぁ。

不幸の知らせは、大学1年生の時に一緒に授業を受けていたグループLINEに、Mのお母さんからあった。あまりに突然のことだった。

その時は、なんだか嫌に冷静な自分がいた。ショックではありつつも、静かに事実を受け止めた。いや、受け入れられていなかったのかもしれない。自分の心に向き合うため、ノートに書き出してみたけど、やっぱり冷静だった。涙は出てこなかった。

でもやっぱり、その後のzoomでは人と話すのがなんだかしんどかった。案外ダメージを受けていると思い、その後家にいた弟に話してみようとした。
すると、ただならぬ空気を感じたのか、弟はその時見ていたYoutubeを止めて、どうしたの、と問うてくれた。瞬間、涙が溢れて、止まらなかった。

なんで死んじゃったんだろう。
勝手に、めったに会うことはなくとも、Mの結婚式には行くつもりでいた。
確かに心配だった、なんだかいついなくなってもおかしくないような、そんなはかなさをMから感じていた。
なのに、わたしは自分から会おうと言わなかった。

今回の件をきっかけに、また別の友人が、仕事が忙しすぎてか適応障害になっていることを知った。また別の友人も、昨年メンタルを崩していた。
みんな本当にいい子で真面目な友人。

ほんと、生きているだけで、スバラシイのだ。
生きているだけでエラいんだよ。
どうが、元気でいてほしい。


今回の件で学んだこと

2つ、刻みたい教訓がある。

①どんなに日々慌ただしくしていても、大事な友人には定期的に連絡をする。

本当に、今回の件で思ったが、大事な友人の
明けましておめでとう、誕生日おめでとう、
そんな些細な連絡の中で、相手の近況を電話でもなんでも聞く。
何かあったらいつでも力になるからねと。

②一人で感情に向き合えないこともある。聞いて、受け入れてくれる存在の大きさ。

今回わたしは、弟が「聞くよ」の姿勢をとってくれたことで、初めて泣けた。内省習慣があるわたしだが、一人で向き合おうとしても見えなかった感情があった。
思えば父が亡くなった時も、すぐには泣けなかった。葬儀が終わる頃、よく頑張ったねと言われて、初めて泣けたのだった。
だから、辛い時、しんどい時は、受け入れてくれる人に話すことで、ちゃんと自分の感情に向き合うことができたりする。
一人の限界を感じた。そんな存在がいることをありがたく思う。


親愛なるMへ、どうか安らかに眠れますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?