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生命の終わりは”死“ではなく永遠であったことの発見

この数年の間に我が家庭は病人だらけになってしまいました。年齢のせいもあるのですが それにしてもなんと平均年齢の高い家族だろうと改めて感じ人生の重荷が一気に押し寄せてきたように感じました。

 気がついてみれば 今はすでに「どのように生きて行こうか」と考えるより「どのような最期を迎えようか」と考えた方が的確な年齢になっていたことを思い知らされ 思考の急転換に迫られたのです。
 
 ところが 「〇〇年後には人が死なない時代が来る」という情報が飛び込んできてしまいました。

 それは一言で言ってしまえば 人間の欲望の頂点と言いますか。。人類がこの世に誕生してから いつの時代も望んでいた願望です。
 その遺伝子の願望がついに 数十年後に叶えられるということなんですね
 「若く逞しく不安なく生きていたい。」と だれもが願うものです。
 
 しかし それは生命の存続という意味とは違います
 それはただの願望であって本当に生きるという意味とは別なのです。
  もし、その願望が叶ったとしたら もうそれ以上の願望がなくなるということなのでしょうか。
 もしそうだとしたら人間の進化はそこで止まってしまうわけで、そのために人の生命全体がは途絶えてしまうことになります。
 しかし 一つの願望が達成された時、その願望で止まるわけがありません。次々に欲求や願望は増えてゆくように人間は造られているものだと思います。
 そして 願望が実現してゆく中で、ついに生命は死を臨むようになるのかもしれません
 
 死は生命をより良く生きて 次の時代を生み出すための営みということになのです。。

 宗教と死後の世界感

 では良い生き方とか良い最期を迎えるためにどのようにすれば良いのでしょうか。。
 
 若すぎる年代では なんとなく暗く恐ろしさを感じていただけの死の世界ですが 歳をとるにつれて死後の世界は現実味を帯び 恐ろしさというより整理された単純な世界となってくるようにも思えてきます。
  
 何もない世界に一つのものしか存在しない世界、それは存在することが生きることの意味だということに意識を置いている人間にとって想像を超える世界なのですが もともと全て存在するものは無であると仏教では教えていると思います。
  一神教も結局は同じことを言っているような気がします。存在するのは神のみであり その神は目に見えない存在であって宇宙を司りすべての生命の創造主であり、生命はすべてその御手の中にある。この世で生きる時、神と共に歩む時間を特別に与えられているのですが、その時間がおわったという意味で死と同時に自分はなくなり神だけがそこにいる。
 ひとつのものだけが存在する世界に戻るということになると思います

空間として捉える時間 前進し続ける時間の次元の違い


この世に命を与えられる時も奪われる時も時間で記録されます。つまり 自分に与えられたこの世で生きる時間というか時代というかそういう期間は決まっているということになると思います。
 生命としての最後の時間が終わった時、とっても大きな空間の中に戻ることになるのではないかと思います
 そしてまた、いつかわからないけど、何かの生命体となって存在する時が巡ってくるのだと思いました
 
 なぜかというと、大宇宙とすべての生命は目に見えない大きな力の法則に従い 常に規則正しく働き続けているからです。もし、生命がその一部の「かけら」だとしたら、その法則に基づいて生まれたり消滅したりしているだけにすぎず それから外れることはないのです。。

天国と地獄 本当にあるのか

 人間の霊魂はピカピカに輝いていてとても綺麗なんです。でも 砂埃で曇っているとそれが見えないのだそうです。
 
 一神教の世界では人が死んだら天国に行く約束がされていますが ほぼ強制的に天国に行くように生きなければいけないようです。それができなければ地獄行きだと決められているそうです。
 また 宗教によって火炙りの刑は地獄に行くと言われているので断首刑を願う者もいた。というほど守らなければいけない天国へ行くための法則は神様との約束事のようです。
 これまでも 宗教間の奪い合いや権力の争いによって人は殺し合いました。
 一見残酷のように見える現実の中身は勝利を得るためのものなのかもしれませんね
 
 しかし、どんなに混乱している状況の中でも信じる心はだれも取り上げることはできないという印となって今でも語り継がれています

聖書にはこのようなことが書かれています。
「財産を、この地上にたくわえてはいけません。地上では、損なわれたり、盗まれたりするからです。 財産は天にたくわえなさい。そこでは価値を失うこともないし、盗まれる心配もありません。 あなたの財産が天にあるなら、あなたの心もまた天にあるのです。」
— ‭‭マタイの福音書‬ ‭6‬:‭19‬-‭21‬‬
 これが天国の意味なのです
 

その反面地獄とは。。
仏教でわかりやすく書かれていたので参考までに..

自業自得という言葉から生まれた言葉遊びのように「自業苦」という言葉ができたそうです。それが 地獄の正体です。
  それにしても 地獄の世界はすごいですね 閻魔大王という人がいて、 赤い服を着ていて 頭には「王」と掘られている冠(本当かどうかわかりませんが)をかぶっている怖い顔をしているけど 心の深い仏様か神様としての裁判官です
 実は 閻魔大王により地獄へとまっしぐらに堕ちゆく道は修正され 六道輪廻への生まれ変わりが決定されるそうです。
 
 ちなみに 地獄には裁判官がいますが 天国には裁判官がいないそうですよ😅

 死からの解放は、文明が発達すればするほど希望は膨らみ寓話が増えてゆくのですが、それこそ死と同時に消滅してしまうものだと思います。
 
 なによりもどんな時にも灯火を消さずに小さくてもいいので 勇気を持って生きてゆきましょう
 どんなに苦しくても 必ず大いなるお方がいらっしゃいますので。。

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