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福島を語る 会津白虎隊について

「什の掟」
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです。

什の掟は、会津白虎隊の精神を語る上でかかせない精神である。什は十人仲間という意味で、会津判校・日新館の道徳授業の一部である。(日新館は、人材の育成を目的に1803年に建設された会津藩の最高学府。藩士の子弟は10歳で入学して学問や武道に励み、心身の鍛錬に努めました。約8千坪の敷地に武道場や天文台、日本最古のプールといわれる水練水馬池などがあり、新島八重の実兄・山本覚馬や白虎隊の少年達をはじめ、多くの優秀な人材を輩出。覚馬はのちに、この日新館で蘭学の教授も務めました。当時の施設を忠実に復元された現在の日新館では、壮大な江戸建築や当時の学習の様子を観覧できるほか、弓道や座禅などの各種武士道体験や、会津の縁起物「赤べこ」などの絵付け体験も楽しめます。)

白虎隊は戊辰戦争の際に会津藩隊士の子息で組織された軍隊だ。
飯盛山へ敗走し、燃え盛る会津を見て自決した悲劇の象徴と描かれる白虎隊。
奇跡的に生き残った隊士がいたことで後世まで語り継がれることとなった(飯沼貞吉)。
江戸から明治へと時代が移り変わる境目に生まれた彼らは、幼いながらも西郷隆盛率いる新政府軍から鶴ヶ城を守り抜くために戦った。
(熊本出身の私としては、熊本で西南戦争も共に戦った同士として他人とは思えない気持ちでいる。→実は私の祖先は加藤清正に使える軍師で子供の頃、西南戦争の歴史や戊辰戦争のことを聞かされていた。)

個人的には、福島県民の根幹に流れている精神こそ「什の掟」、であると思う。もしかしたら、中通や浜通りと会津から離れると「いや、違う」という人もいるだろう。しかし、九州人からすればそもそも東北人の精神的気質は、同質であるように見える。
沖縄と北海道が、全く性質の違う国民性であるように、それは当然の結果である。
しかし違うからこそ、引かれ合うのも現実だ。
私は心から東北や福島県民を愛して止まない。それは、ならぬことはならぬのです。という一見、超禁欲気質な県民に見えて実は、違う意味も含んでいるお茶目な詞に感じるからだ。
一見ストイックで諦めに近い窮屈な言葉だが、魂の心底では理想と情熱に燃えている。つまりは、理屈でなく行動や結果を求めよ、という一文なのである。それは一見表面的には見えない要素である。東北岩手県出身の大谷翔平選手は、圧倒的な行動と結果を体現した存在である。ある意味南ではこういう存在は生まれにくいかもれない。
南国の良さではあるが、温暖地域ではなんくるないさの精神がどこかに染み込んでいる。南の脅威は台風や外国からの侵略であった為に、わさもん(新しいもの好き)が多いのも特徴かもしれない。常に破壊と創造が繰り返されるからだ。そういう点で福岡出身の堀江貴文(ホリエモン)は生まれないやすいのかもしれない。
これからの時代は温故知新の時代であり、本物が活躍する時代なのである。だから九州的な気質と東北的な気質を融合しながら、新日本人が誕生する必要がある。
しかし、東北福島県は本当に好きだ。また会津白虎隊を知れば益々感情移入してしまう。
会津白虎隊の美しい所は、絶対に裏切らない精神にある。生と死の極限状態こそ、人の本性がでるものである。 
九州の精神は葉隠(死ぬことと見つけたり)であるが、白虎隊の最後を見て九州侍は皆があっぱれと称賛しただろう。そういう点では、東北と九州は相思相愛の中になれる関係だと思う。

今日は、久しぶりに雪が降った。暖冬と言われているが私からすれば寒い。そして会津は一段と冷える。精神が強くなるのは当たり前のことか。しかし熊本の夏はとても熱い。熱いのも寒いのも耐え難いが、雪国は美しい。寒さは、意識を研ぎ澄ましてくれる。
もし機会あれば、冬の会津城へ、黄昏てみてはどうだろうか。
















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