20代を全力疾走したら30代で燃え尽きた話。

私の20代はまさに疾風怒濤だった。

20歳丁度でダンジョン(大変悪い意味で)のような実家を脱出。
今の主人と同棲を開始する。
3年ほど平和な暮らしが続いたが、そこは若さゆえの過ちとしか言いようがないが、私が家を飛び出して別の男のところに転がり込んだ。

こいつがまたとんでもなくダメ人間で、仕事はコロコロ変わるわ、私がタバコ嫌いだからと何故かトイレで吸うわ(妊娠中もそれは続いた)、女遊びと酒を飲まない(下戸)なことを除いたら、私の体調が悪いのに「俺の飯はどうなる」とか言い出すレベルにはろくでもなかった。自分で作れ。
好物がもやしと豚肉の炒め物だったことが救いか。
24の時、色々あって別れを告げられたので、世にいうシングルマザーにジョブチェンジ。

さておき、話は前後するが、22歳で某企業に就職。
やたらと一方的にある上司に嫌われていたが、スルー耐性はあったので何とかなっていた。
…訳もなく。いちいちグサグサ、のちのちボディブローを食らったかのようにストレスはじわじわと私を侵食していた。
辞める直前頃から、笑い話でなく、異様に足が臭くなった。
ありとあらゆる手段を試しても改善されることはなく、結局退職という手段をもってそれは改善に至った。
ストレス臭って存在するんだなとしみじみ思った。
在籍中の8年間も色々な事件があったが、後述する。

退職後はしばらくいい転職先が見つからずヤキモキしていたが、幸い似たような業種に就くことが出来、2年くらいは平和な時が続いた。
ついでにその間に魔の30代を迎えた。

ある日、私は静かに壊れた。

泣きながら職場に行き、そのまま退職。

以後どんな仕事に就こうとも長続きをさせることが出来ず、どんどん沼に嵌っていった。
働かねば食べてはいけない。しかし身体が言うことを聞いてくれない。朝だろうが夕方だろうが起きることが出来ない。

そして後厄を迎えた2022年。
忘れもしない1回目はカフェインの粉でOD。
勿論不味すぎてすぐに吐き出し、日帰り入院。
「救急車初めて」と無邪気に言う私に、主人は若干キレ気味に「2回目や」と呟いた。(ちなみに急性アル中で運ばれたらしい。覚えてない)

2回目は処方薬で。死にきれる量でもなく、意識のない中胃洗浄を食らい一泊入院。
この時点で精神病院に入院させようという話が出ていたらしいが、とりあえず保留に。

とどめの一発3回目。
同じように処方薬をモリモリ飲み3日ほど昏睡。
目が覚めてから2日後無事退院。
鳴り止まなかったらしいスマホを何とかしないとなーとぼけーっと車に揺られていたら、着いたところは自宅ではなくかかりつけの精神病院。
(2軒目の職場に居る時から精神科に通っていた)

困惑しつつも診察室へ。
「下手したら死んでたよ。入院した方がいいと思うけど、どうする?」
やたら伊東四朗に似たオッサン(後で聞いたが院長らしい。その日、担当医師が居なかったので代打)が言った。
子どもだっているし、お金もないし、当然断るだろうとたかをくくっていたが、主人の口から出た言葉はなんと「お願いします」。

アニメや本で、主人公が突然服装やら何やらを侍女だのに着替えさせられる描写が良くあるが、まさにそれを看護師にやられた。
二人くらいにガッシリ捕獲され、ワンピースは剥ぎ取られ、クロックスは禁止なんですよーと奪われ、下着もワイヤーはダメなのよーごめんねーと回収され、正しくぬののふく一枚にされた私はドラクエの主人公より弱かったと思う。

その前5日ほど寝たきりだったこともあり、訳もわからず、とりあえずついていった先は、雪国だった…訳もなく、独房だった。
刑務所の描写でよくあるちっちゃい窓とか、明らかに開けられそうにない鍵とか、どう見ても独房です本当にありがとうございましたというコメントしかわかないくらいには独房だった。
忙しかったのか、全くの前説明もなくぶち込まれたので、「あからさまにコレ鍵掛かってるし出られないやつよね」と思い込み、とりあえずダラダラすることにした。

クソださいジャージに学校で履くような靴が支給され、とりあえずドラクエの主人公に多少近付けたが、武器のようなものは全く存在しなかった。
こんぼうもひのきのぼうも、鉛筆にメモ用紙すら存在せず、何故か本だけは数冊あり、とりあえず読書をして過ごしていると、時計すらない部屋のドアがいきなりノックされ、あっさりと開いた。
「お食事ですよー」
鍵、されてなかった!説明していって!(私が忘れているだけかもしれないが)

新顔が来ると病棟はにわかに沸き立つようで、初日に話しかけてくれた人も居たようだが全く覚えていない。無視したわけじゃないのよ…

手早く食事を済まし、目をつけていた本棚にそそくさと近付く。
どうも部屋に持ち込んでいいらしいので、読んだことのない面白そうな文庫をしこたま抱え、フリードリンクだった緑茶と共に部屋に引きこもる。
お茶飲み放題は本当に最高だった。普段酒かお茶しか飲まない私はジュースを買ったのは一回こっきりである。しかも人のために。

この時は「誰かと交流する」という頭が全くなかった。

読書サイコーイエーイくらいのノリで、早朝の4時頃まで読み耽っていたら看護師から「読書をやめなさい」とお叱り。
寝れない寝れない言いながら本読んでたらそうなるかーと思いつつ、就寝。

入院直後に言われたことだが、名字が同じ人がたまたま居た。漢字まで一緒だった。
私の名字は異字体という百均で買えないタイプの字なのだが、全く同じだった。何なら名前すら半分被っていた。
大きく異なっていたのは彼女が私の半分くらいの年齢だったということくらいか。

洗面所で歯磨きをしている時、急に「○○さんですよね」とその子に声をかけられ、「はい○○さんです」とちょっと頭のおかしい返事をしてしまったのが悔やまれるが、それでも「仲良くしてくださいね」と言ってくれたので良かった。

その辺りから昼間、読書にも少し飽きたし、デイルームと呼ばれていた巨大なリビングのようなところに顔を出すようになった。

一回りくらい歳の違う男の子と偶然趣味が合い、概ねその子と過ごすようになった。
同じ名字ちゃんもよく一緒にいた。
年相応にどちらも可愛らしいとオカン目線で見ていたことは秘密だ。

男の子も、同じ名字ちゃんもいつも暇を持て余していて、それは私も例外ではなく、他愛もない雑談をしたり、男の子とひたすら将棋を打ったりしていた。一度だけガチで勝てたのは本当に嬉しかった。

入院後一週間以上お風呂に入れてなくて、そもそも週2しかお風呂のタイミングがなかったが尽く逃しまくり、あまりにも気持ち悪すぎて看護師に伝えたらコッソリシャワーさせてくれたり、しばらく経って医者の許可によりシャンプーや自分好みの服や枕やクッション、鉛筆にメモやクロスワードが届き始めた頃から、快適なので別にそんな早く退院しなくても…と思い始めたが、子どもがストレスにより喘息になったり音楽会に行けなかったりとそこそこ不便もあったので、1ヶ月もしないうちに退院が決まった。

私が今回遭ったのは「医療保護入院」というもので、保護者に当たる主人の許可がないと退院出来なかった。
しかも自殺未遂は長引くという噂もあり、結構ブルーになっていたが、割と大人しくしていたからかあっさりと出られたのは僥倖だった。

そして現在。
私は国民様の血税により生かされている。
自分も長いこと納税していたから許して頂きたいが、多少罪悪感は残る。
日々暇を持て余しているので、覚書としてこの文章を書いた。

そういえば職場のあたりで書いた8年間のトラブルの件は、ざっくり書くと、育児休暇中にも関わらずクビにされかけたり、準社員試験のためにノートを7冊使ったり、元夫がストーカーにより逮捕(私の意向により新聞には載せなかったのが優しさと思ってほしい)などなど、細かなことではあるが、その時々はそれなりに苦しんだ。

育児に関しては特に大変だったことはない。
子どもが比較的扱いやすい子だったということが大きいが(本当にありがとう)、今後どうなるかわからないのでのんびり一緒に育とうと思う。

現主人はお母さん的な口うるささはあるが、3回私がやらかしたことでようやく色々察したらしく、だいぶ当たりが柔らかくなった。
それまでは全く気遣いのきの字もないので、主人に言っても仕方ないな…から、とりあえず言うてみるかーになったのは大きな進歩だと思う。

燃えかすの現在ではあるが、20代を走りすぎたんだからアンタちょっと休みなさいよという天の啓示と思って、休もうとは思うがとにかく暇で困る。

やること募集中、death。
おそまつさまでした。

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