宝塚歌劇団の体制とファンの言動について思うこと

はじめに

 先日、「舞台の上で輝く"推し"が今すごく苦しかったらどうしよう」と題し、宝塚歌劇団などについてつづったnoteを投稿しました。好きなアーティストやスポーツ選手や役者が自分のやりたいことを意志をもって発信している姿からなによりも勇気をもらうことができ、反対に彼らが所属する組織や界隈からあまり大切にされていなかったらつらい。彼らがつらい思いをしなくて済むなら、必ずしもこれまでどおりのパフォーマンスが提供されなくてもいいと私は思う。そういうことがいいたい投稿でした。

 ですが、この投稿をTwitterでシェアしたところ、なぜか宝塚歌劇団に関する文春の報道に関して根拠のない情報や主張を垂れ流して被害者や宝塚歌劇団以外の団体までもを冒涜しているアカウントからいいねをされて、かなり心外でした。
 誤タップかもしれませんし、中身を読んでいないのでしょうが、実際わたしも自分の気持ちを中心に書いた整理のされていない投稿だったなと思いましたし、なにより宝塚ファンとしてこの件については自分の意見を絶対に誤解されたくないと思ったため、ここに宝塚歌劇団の体制や報道に対するコメントについて思うところをあらためて書いてみようと思う次第です。

 ここに書いてあることは全て私個人の意見ですので、そのことをご了承いただければと思います。批判、反対意見も賛同は致しかねますが確かに存在するご意見として受け止めます。

 また、私がこの投稿を書き始めた11/10の夕方、遺族のかたが会見を行いました。それもあり、以前に比べて何が憶測で何が事実か言及しやすい状況になりました。

 もちろんこの事件に何もいいところはないのですが、このたび遺族が歌劇団に口止めされることなくご自身の主張を弁護士と共に公表できたことはよかったと思っています。一生癒えない悲しみを味わわされた遺族が人前に出て主張することは大変タフなことだと思います。コメントを読んで涙が溢れてきました。どうか心無い人にさらに傷つけられることなく劇団が求めに応じますようにと願うばかりです。

ほかでもない宝塚歌劇団の企業としてのリスク管理の甘さが招いた事態

 宝塚ファンがこの事件について言及する際、どのくらいの年数どの組を応援してきたかによって意見が異なってくると思うので、軽く自己紹介をさせていただきます。

 初観劇は2019年の年末、月組の「I am from Austria」でした。宝塚を観劇するようになってから4年がたちます。当時2番手だった月城かなとさんを好きになり、月組公演はチケットを手に入れられただけ見て、他組は面白そうな演目であれば1回観劇する程度のファンになりました。月城かなとさんの過去の出演作を漁った結果雪組に、暁千星さんの組み替えと、過去作を漁って有沙瞳さんを好きになった結果星組にも強めに思い入れを感じるようになりました。96期事件に関しては宝塚を観劇するようになってしばらく経ってからネットの情報で知りました。

 まず、今年はじめの宙組内でのいじめに関する報道の際から、タカラジェンヌ同士の力関係の傾斜を少し不気味に感じていました。私は当該公演を観劇していないため必要以上の言及は避けたいのですが、「文春でいじめ加害者として報道された当時のトップスターとその新しい相手役が報道について言及した」という情報をSNS等で見て、ある意味何が良くて何が悪いのか判断できるように教えてもらえなかった当時のトップスターさんにも少し同情してしまいました。これこそまさに、劇団がジェンヌを守る気がないことを露呈させていると思います。

 宝塚音楽学校に入学してくるのは15歳から18歳、宝塚歌劇団に入団してくるのは17歳から20歳の、若くてあまり変わらない環境で育ってきた女の子たちです。周りに自分と似たような育ち方、経験をしてきた均一的な子ばかりの環境で2年間の学校生活と、その後のタカラジェンヌとしての生活を送ります。

 バレエなどを習わせてもらい、受験スクールに通わせてもらい、兵庫に受験に行かせてもらい、入団後の生活も支援してもらえるおうちで育った同世代のお嬢さんたちが集まっているのです。

 宝塚の外、世間一般でも、自分が所属している集団の誤りを自覚したり、間違ったことをしている仲間や先輩に対して孤立を恐れず意見を言える10代が何人いるでしょうか。さらに芸事一筋で邁進してきた子たちが集まる場所となったら、気づきにくさ、指摘にしにくさは段違いでしょう。つまり、集団内の間違い、なくすべき習慣に気づかず、指摘もされずにきてしまったジェンヌがたくさんいるのだと思います。これは音楽学校と歌劇団のシステムと、指摘をしなかった周りの大人たちに問題があったのだと思います。もしこれが「女社会は怖いなあ」などという理解で済まされてしまったらそれは甚だしい矮小化です。

 芸事の世界だから他より厳しくても許されるというのは、ほかの仕事舐めてない?と個人的に思います。それに、もし芸事の世界だからこその厳しさがあるのだとしても、度を超えたパワハラを誰も指摘しないで放置していたのであれば、それこそ「芸事の世界だからこその厳しさ」に対する冒涜だと思います。芸事に関係のない不必要、過剰な罵倒を厳しさと勘違いしているということですし、そんな時間があるのなら稽古に邁進したらどうかと思います。

 被害に遭った生徒も簡単に逃げたり辞めたりできる状況ではなかったのでしょう。家族に応援されて一生懸命がんばってきた、自分にはこれしかないと思うような状態の芸事を簡単に捨てられるでしょうか。特に、自ら命を絶ってしまったかたは、遺族のコメントを読む限り大変に責任感が強く真面目なかただったようです。今まで頑張ってきたことを捨てられないままとりかえしがつかないほど傷ついてしまったのでしょう。

 ここでは「捨てる」と書きましたが、これまで自分が一生懸命頑張ってきたことは絶対になくなりません。でも、そのことも誰にも教えてもらえなかったのでしょう。宝塚に入れるほどの努力家で、新公の長を務めてつらいことがあっても下級生のために続けるほど仲間思いで真面目なかたなのですから、ご本人が他の道を思いつきさえすればどこにでも居場所はあったと思います。ですが、中学か高校までの学歴で就活や留学をする同世代が周りにいない環境で一つのことを突き詰めてきた20代なかばのタカラジェンヌにはかなり遠い思いつきだったのだと想像してしまいます。たとえば同期や身近な学年に、憧れのスターの中に、「劇団に入る前に留学をしたことがある」「一般的な職場で仕事をしたことがある」「大学に進学したことがある」ような人がいたら、違ったのではないでしょうか。ここでも、音楽学校や劇団の体制に疑問を投げかけたくなります。

 その上で、今舞台で頑張っている生徒さん、これからも役者として、パフォーマーとして、タカラジェンヌとして頑張り続けたいと思う生徒さんがいるのであれば、私は宝塚歌劇団を応援し続けたいです。この応援というのは、歌劇団の発表のみを信じてただついていくことではありません。劇団には今度こそ抜本的な改革をいますぐにお願いしたいです。そうでないならもの言う消費者でありたいという意味です。

 それでいうと、パワハラのみならず時間外労働についてもウェイト多めでニュースに取り上げられていたことも気になりました。なにより会見が行われたのは厚生労働省でしたね……。現在私の1番好きな月組が代役公演の真っ最中ですが、あまりにも休みのないなかで代役稽古をされていたら…とぞっとします。月組さん、アスリートやパフォーマーの健康や安全の話がテーマの「カンパニー」やったじゃないの…頼むよ…役者にひどい労働環境で働かせておいてどんな気持ちで上演したのやら、と思ってしまいます。

 ここまで外圧がかからないと動けなかったことをいちファンとして大変みっともないと、残念だと思います。2月の報道の段階で然るべき対応を取らなかった企業としての判断ミスです。リスク管理の甘さによって身から出た錆です。生徒の自死とそれに伴う公演中止という取り返しのつかない損失は、ほかでもない宝塚歌劇団の責任だと思います。どんな対応をしたら「宝塚歌劇団に入ったことが、何よりも宙組に配属されたことが」原因で自死したと言われる事態になるのでしょうか……。

 コロナ禍の記憶が新しい演劇ファンとしては、公演中止によって損失を被ってしまった歌劇団スタッフにも然るべき補償をしてほしいと思います。なぜなら、これは企業のリスク管理の甘さから発生した社員に責任のない損失だからです。

贔屓のあやまちはファンのあやまちではない、けれど


 とはいえ、現トップスターさんをはじめとする宙組の生徒のファンの方の気持ちにも寄り添いたいと個人的には思う部分があります。

 文春の信者ではありませんが、絶対悪ともまったくの事実無根とも思っていません。個人的には、文春よりも報道へ対応を誤り、さらにひどい有様になっている劇団の方にマイナスな感情が向きます。報道よりも、こんなに外圧がないと変われなかったことが悲しいです。そして、この期に及んで宝塚を擁護したり、「純粋に楽しみたい」などと騒ぎ立て、噂では収まらなくなった報道に反発するファンが意見の合わないファンを攻撃したりしないことを願います。

 一方、これまで宝塚のたの字にも興味がなかった人が、報道だけを見て名前の出ているタカラジェンヌや組を叩くことに対しては、何よりもくだらないと思っています。そして、贔屓のジェンヌや組が何も知らない人たちにあれこれ言われているところを見るのは本当につらいことだと思います。

 2年前、神田沙也加さんが急逝された時の自分のことを思い出しました。亡くなる1ヶ月前、神田さんが出演される回のマイフェアレディを観劇しました。私は、神田さんだけでなくフレディ役の前山剛久さんのことも素敵な俳優さんだなと思っていました。
 猛烈に推していたわけでも、何度も彼の公演を見たわけでもありませんでしたが、「亡国のワルツ」という作品での前山さんを忘れられませんでした。
 お芝居が素晴らしかったのはもちろんですが、こんなことがありました。カーテンコールの彼の挨拶の途中で、私を含め3、4人だけが拍手をし、あまり拍手が起こらなかったので躊躇って拍手を止めようとしました。それに対して前山さんは「拍手嬉しいです!ありがとうございます!してくださいー!笑」と、おどけてくださいました。おお、と思いました。ファンだったら本当に嬉しい反応でしょう。やさしい方なんだなと思いました。

 そんな、ちょっといいなと思っていた俳優さんが、さっきまで名前も存在も知らなかった人たちに、格好のおもちゃのように叩かれ、あることないこと言われ、ご本人のみならず彼のファンのことまでボロクソに貶しているところを見ました。とてもとても耐えられませんでした。何が事実かわからないので擁護はできないけれど、これだけ突然知らない人から殴りかかられるように暴言を浴びせられたファンたちが意固地に擁護モードになってしまうのにも同情してしまいました。私自身も、何にも知らない奴らが振りかざす文春の記事よりも、舞台の上の姿だけだけども見たことがある彼を信じたいと思ってしまいました。

 それに、神田さんという素晴らしい役者さんの死の原因を恋愛のもつれだけかのように報道するのも神田さんを踏み躙っているようでどこにも正義がなくて腹が立ちました。日本ミュージカル界で最も大切なヒロインを射止めた神田沙也加をなんだと思っているんだ、冒涜じゃないのかと。

 宙組の生徒さんのファンも、報道だけを見てディスりにディスってくる、ただ何かを叩きたいだけの人たちを目にしてつらくてつらくて仕方ないことがあると思います。

 盲目と呼ばれることは大変不名誉です。この問題については、交通整理が必要な気がしています。

 まず、報道で初めて名前を知ったのにも関わらず叩いてくる人は、相手ではありません。この人たちは、何よりも取るに足りません。暴言を聞く必要はありません。
 ですが、報道を見てマイナスな感情を抱く人は確かに存在しますし、宝塚歌劇団に影響を与えます。宝塚歌劇団をそのままにしてきた親会社の売上や株価が下がるかもしれません。地元の人やスポンサー企業、団体客からの反感を買って興行の継続が難しくなるかもしれませんし、受験生も大幅に減るでしょう。ファンがこういった存在を無視したり、叩くのは絶対に違うと思います。暴言は聞かなくていいですが、意見は受け止めるべきです。

 見てきたのは舞台やお茶会やスカイステージでの姿とはいえ、「彼らなんかよりもはるかに自分の方が贔屓のことをよく知っているし、自分が知っている贔屓はとても素敵だったし、信じたい」という気持ちにとっても共感できます。ですが、この気持ちを抱いたあとにどんな行動をするのかが大きな分かれ道だと思います。

 まず、どんなに贔屓やファンが叩かれても、贔屓があやまちを犯しそれが発覚した時点では贔屓のあやまちはファンのあやまちではありません。あやまちを犯したその人自身のことをどんなにどんなに大好きでも、家族や友人やそれ以上に大切に思っていたとしても、ファンのあやまちではありません。

 今まで推してきて楽しかった思い出や素敵なパフォーマンスも嘘ではありません。否定されません。それは確かにあったことです。一生懸命誰かを応援したことがあるファンほど、贔屓のあやまちに責任を感じたり傷ついたりして、必要以上に擁護したり、意見の合わない人にぶつかってしまったりする危険があると思いますが、少なくとも私は、加害者とされるジェンヌさんとファンの間の思い出は誰にも奪えるものではないと思います。

 でも、贔屓のあやまちを擁護したり、告発した人や被害者とされる人を貶す発言をしたら、それはファンのあやまちになってしまいます。そうなるべきではないと、なによりもまず思います。これまで宝塚を好きだったことに疑問を持ち、劇団を非難したりもう観劇はしないと発言するファンに石を投げてはいけません。好きなものだからこそ好きな相手にも幸せでいてほしいと願い、そうでなかった現状を嘆くことは当然の感情です。劇団の罪もファンの罪ではありませんが、同じように一生懸命応援していた人ほど「もう見たくない」「好きだと言ってたのが恥ずかしい」と思うに至るんだと思います。自分の応援の結果が回り回って好きな人を苦しめていたと考えたらぞっとします。

 どんなタカラジェンヌにも、宝塚を卒業したあとの人生があります。うやむやにしたまま「いじめやパワハラが問題になった時の宙組にいた人だよね」と囁かれ続けるよりは、本人、ファン共に本人のあやまちを認め、求められたことに応じ、償うことだと思います。

 遺族が求めたのは劇団と上級生が「責任を認め謝罪すること」です。このあと、劇団や親会社から何かしらの措置が取られるかもしれませんが、とにかく正当に求められた償いをしっかり果たしてもらうしかありません。それでも、贔屓からもらった幸せな瞬間は嘘ではないのだと思います。

 一方で、加害者となってしまった以上、加害者を見たくないと思う人や起用したくないと思う人を責めるのはいけないことだと思います。もう舞台でお目にかかれないことも、仕方のないことなのだと思います。それに、今回の事件の顛末を認めることこそがこれから加害者を生まないために最も大切なことだと思います。

 ファンは都合よく考えたくなるものだと思います。先程の神田沙也加さんに関する話題で、私自身どれほど自分に都合よく考えたがる人間かわかっていただけたかと思いますし、文春が月組の梨花ますみさんに言及された際は「この発言は責められるものではないのでは…?」と思いました。あらゆるタカラジェンヌが加害者である可能性がある、宙組以外にも歪んだ上下関係がある可能性があるのにも関わらず、「組本で休演中の下級生に対してあんなにやさしい対応をしていた贔屓だもの…彼女は別…」と考えたくなりました。

 苦労してトップスターになられた彼女の姿を楽しみにしていたかたの気持ちは、そうでない人にはわかりません。簡単に言及すべきではないと思いますが、中止になった公演を見たかった、信じたくなかったという気持ちの存在を見ないふりはできません。これもひとえに劇団の管理体制に責任があると私は思いますが、こんな意見を述べた私のnoteのコメント欄でよければつらい思いを吐き出して行かれてください、と思います。

 これから宝塚歌劇団がよりよい劇団になり、110年の先も続いてもらうには、ここでのファンの態度が肝心なように思います。また楽しく応援できるように、どうか変えるべきところは変えてくださいと言い続けたいです。また、ファンの中には意見をSNSで発信すること自体を非難するかたもいるように見受けましたが、私は議論や批判は必要だと思います。何かをタブー視し沈黙することは、進歩を生みません。どんな劇団にこれからなってほしいのか、議論を尽くしていく必要があると思います。

11月14日追記

 月組のチケットを持っていた日が記者会見とぶつかりました。なので劇場を出て以降の時間帯の劇団をリアルタイムで視聴、そのあと遺族側の弁護士の会見を視聴、見られていない各会見の前半の内容をざっと記事や報道番組でさらいました。

 多くのファンが、もう観劇できない、宝塚を好きと言えないと辛い思いを吐露しているのを見て非常に共感しました。

 今回の月組の演目では、96期生の夢奈瑠音さんがお芝居でもショーでも大活躍されています。とくに、お芝居の終盤で夢奈さんのアカペラから大合唱が始まるところが非常に印象的で胸を打たれます。私が宝塚を好きになったのは96期に関する事件の数年後で、後追いで96期に関する件と当時の劇団の対応を知りました。ですが改めて、こんなに素晴らしいパフォーマンスをできる方があやまちを指摘されることも謝罪する機会を与えられることもなく長いこと「96期生」という十字架を背負ってきたことにどうしようもなくやるせない気持ちになってしまいました。96期事件を機に離れた方、どんなに魅力的なパフォーマンスをしていても「96期生なんか」と思ってしまう方もたくさんいると思います。劇団が当日誠実な対応を取っていたら、もっと多くの方に偏見なく夢奈さんの歌声が届いていたかと思うと悔しいです。どうか、今日の会見では、過ちを犯してしまったかもしれない宙組生や劇団上層部がそれを認め、遺族に誠意を尽くすことが公表されますようにと願いながら劇場を出ました。

 と、思った矢先でしたが、劇団の強い保身を感じる会見にがっかり、そして怒りが湧いてきました。

 これを機に、宝塚歌劇団とそのファンに対して世間からよりさまざまな声が聞こえてくるでしょう。

 あらためて、贔屓の罪はファンの罪ではありませんが、ファンの行動や発言は「〇〇さんのファンの言動」として受け止められ、贔屓のイメージに直結するものだと思います。私はそれを心に刻んで言動に気をつけようと思います。

 また、暴言や攻撃からは身を守る必要がありますが、批判はファンやファンの好きなものを傷つけ貶めるものではないと私は思います。批判に耳を傾けることは有効ですし、どこを批判すべきなのかファン自身が考えることも大変意味のあることだと思います。批判を恐れすぎず、批判に対して不必要に攻撃的になったり殻に篭ることがないようにしたいと思います。

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