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少女像

 朝8時、黄系統のパレットに原色の絵の具をひねり出す。柿色、白、黄、赤。
 混ぜ合わせると良い具合の肌色ができた。まずは輪郭。慎重に慎重に。
 顔を全て塗りつぶすと、そこに柿色を濃くし、首の下にシャドーを入れていく。柿色で微調整をしながら、首の下の濃い部分は終了。混ぜた絵の具を一旦パレット上から洗い流し、顔が乾くのを待つ。
 ミスは許されない。亀が歩くほど遅い足どりで進めていく。
 紅茶を飲み、その間にすんの車いす作りである。いちばん難しい車輪を取り付ける工程に四苦八苦する。
 30分後、車輪が取り付けられた。するするとよく回る。
 顔の筆入れの再開だ。こんどは白を基調にした肌色を作り、少しずつ筆を置いていく。
 3時間集中して昼飯だ。のんびり料理をしている時間が惜しい。ラーメンに玉子と葱を入れ、簡単に済ませる。
 次に目をとばして鼻を描いていく。原画のスケッチに忠実に。
 次に口。優しい微笑みになるように口角を上げる。口に筆をくわえ息をとめ、日本画で使われる極細の筆で緻密に仕上げていく。この唇の描き方一つで全体の印象ががらりと変わる。雪太の絵の真骨頂だ。
 ここまでで6時間。集中力が限界にきた。近寄ったり離れてみたり。四方からかけているアーム式ライトの角度を変えてみたり。
 今日はこれで終了。まずまずの出来だ。

「進んでる?」
「あー、ばっちりばっちり。口まで一気にいったよ」
「え~?一月、ほとんど色も付けずにいたのに、ペースおかしくない?」
「これまでは顔を頭に焼き付ける作業に時間をとられてたのさ。イメージさえつかめばもうこっちのものだ。例えば恵利を描くとするだろう。頭にイメージが焼き付いているから、あとは筆入れだけとなる。一週間もかからない。そんなもんさ」
「ふーん、私には分からない世界だわ」
「まあ、慣れだな。理屈じゃないんだよ」
「いよっ天才!」
「あえて否定はすまい、ふふふ」
「調子に乗っちゃって」
「上げたり下げたり、どっちだよ!」
 雪太は、リビングでスマホゲームに夢中になっている大河のゲーム画面を見る。よく分からないがサバイバルゲームをやっている様子。
「死ぬ、死ぬ、死ぬ!」
 画面が真っ赤になった。死んだようだ。
「もう、父さんがのぞくから~」
「わりーわりー、面白いのか」
「いまね、おれと斉藤くんと小林くんと寺さんでチームを組んで、全く知らない人たちと対戦してるんだよ。動きもめっちゃスムーズ、とにかく面白いんだ。あっ小林くんが救急箱を持ってやってきた!」
 雪太を振りほどきまたゲームを再開する。ドラクエ、FFで育ってきた自分たちとはまったく違ったゲームをしているようだ。
 恵利はいつものようにすんとテレビを見ている。
 すんが振り向き雪太の方にズルズルとやってくる。
「今日のご飯はなんだ?」
「がめ煮よ。それとスーパーで安かったから松前漬けを買ってきたの。ほら、有名だけど食べたことないでしょう」
「なるほど、うまそうだ」
 すんを抱えると匂いをかぐ。一週間に一度の風呂の日だ。
「くんくん。匂うな。二人ともついておいで」
「はーい」
 二人と一匹でザブンと小さなぬるめの風呂に浸かる。
「はい、恵利ちゃん、ごしごし」
 もう今年から年長組だ。自分一人で頭と体くらいは洗えるように練習中なのだ。ボディソープをタオルに付け、恵利が体を洗い始める。頭と顔も洗い、シャワーで泡を流していく。まあ、まあ、良い感じ。
「できたよー!」
「よーし、よくやった!」
(おれも小学生まで親父と一緒に風呂に入ってたよな)
 記憶をたどる雪太。ある一場面を思い出した。
(九九をやってたわ。と、いうことは小学2、3年生……)
 少しバツの悪い思いがする。
「えーい、次はすん!」
 ボディソープでぐしゃぐしゃに、耳の内側まで洗う。情け無用だ。
 二人を風呂からあげると、自分を洗い始める。
「肉がついたなぁ」
 腹だけ肉がついた。昔はガリガリだったのに。改めて中年だなぁと思う瞬間。
「ま、しあわせ太りということで」
 気にしても無駄なものは気にしない。それより明日はいよいよ目を描く。
 大まかなプランは練ってある。人には言えないが、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の習作だという意識だ。あの輝く瞳、かすかな微笑み。雪太が一番好きな絵だ。その心持ちで最後の仕上げに入る。日が入る部屋の中、元気に遊ぶ姿、そして少しふりむく顔。構図も申し分なし。今までで最高傑作になるに違いない。

 力まず、驕らず、手を抜かず。

 上がりは近い。

そして生き返り未来へ|村岡真介

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