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「漂揺の狩人」第10話

 朝9時に起きる。顔を洗っていると、夏海が部屋にちゃぶ台を置き朝食の準備をしている。
「おはよう夏海」
「おはよう聡君」
「今日はなんだ豚汁か」
「そう栄養満点よ」
 そういえばこの何年朝食はコンビニのおにぎりか立ち食いうどんしか食べてこなかった。こういう朝食は嬉しい。夏海も新生活にはりきっているようだ。
 いざ食べてみると旨い!同棲のありがたみを感じる聡。
 整髪料を髪に塗る。近頃出し過ぎて、店に悪いみたいだ。しかし革ジャンに袖を通し姿見の前で自分の顔を見ながらこうつぶやく。
「ゲームだ。そういうゲームなんだ」
 玄関に向かうと夏海がやってきて聡の背中を両手で叩く。
「いってらっしゃい!」
「おう」
 パチプロモードに切り替わる。

 冬が過ぎ、いつもの店もようやく打てるようになった。聡は最近、他の店にも出向くようになった。雛が親鳥から巣立つように、一人立ちをし始めたのだ。
 しかしどこもいつもの店ほど開いてはいなく、結局帰ってきてしまう。
 今日はミドルのシマにいい台を見つけたので朝から打っていると、数台開いている台のうちの一つに見知らぬ男が座った。
 少し古びた薄いコートを羽織り、歳は40前後か。なぜかこちらをチラチラ見ているような気がする。そして少し打っては離れ、他の台をじっと見、また少し打っては、他の台へ……
(パチプロや!)
 聡は直感的にそう思った。寄りもヘソも、今日2番目にいいと聡が思っていた台に男が移ったからだ。
 男は数千円でなんなく確変大当たりである。聡はイライラし始める。このままこのシマに食いつかれたらエライことである。一番手の台を毎日取り合いになるかもしれないからだ。
 投資が2万円を過ぎたころ、ようやく聡にも当たりがきた。確変である。出玉の勝負をしてもしょうがないことはもう聡も理解している。しかし頭では分かっていても心がついていかない。
 カズに相談したいところだが、あいにく今日も休みである。絵を描いているとのことであるが、展覧会にでも出す気だろうか。
 勝負の方はお互いに一進一退を繰り返している。一時聡が優勢になったがそこからハマりである。聡は焦ってきた。500回転、こんなものでは済まないだろう。600回転、もうそろそろ当たってほしい。700回転、これが今日一番のハマりであってくれ。800回転、もういいや、1000回ハマりでも行ってくれ。
 824回転で大当たりだ。夕方になってようやく脱出した。

 そこへカズが現われた。夕方から少し酒を引っかけているようだ。手には何やら塗料や油の缶を5個ほどひっさげている。その様は明らかにヤバい人だ。
 下ははき古したジーンズ。上はくすみが浮き出ているトレーナーと、酒を飲んでいるだけなんだろうが、ヤバいヤクにやられている人間に見える。
 まさかこれを吸ったりするんじゃないだろうな……聡が心配して聞くと、カズが隣に座って答える。
「これか?これは油絵の絵の具だよ。近くに画材屋があるだろう。いま色を塗っていてな、それで様子を見に寄っただけだよ」
 聡は朝からの話をカズに聞かせた。カズはそんなことかと笑う。
「旅打ちの時にも二人いただろう。あの店は優良店だからな。常時2、3人は食いついているぞ。要はそれを気にするかしないかだけだ」
 聡の台がまた当たった。カズも財布を出し打ち始める。聡が質問する。
「じゃあ、パチプロ同士は敵じゃないんですか」
「そうだな、1台を奪い合うとなると敵だがな、普段はまったく関係のない存在だよ」
「それじゃパチプロの敵はいったいなんなんですか」
 カズが考え始める。聡はカズの答えを「店」だと予測した。しかし意外な答えが返ってきた。
「鷹だよ」
「鷹?あの空を飛んでいる?」
「そうだ。ある小動物がいるとする。自分の縄張りがないと、飯を食っていけない。縄張り争いをする相手が敵というのは少し違うだろうよ」
「それは僕らをその小動物に例えているんですよね」
「店と言うと思っただろう。店は単なる餌場だ」
 聡の予想もずばり当ててきた。
「絵を描いているって言ってますけど展覧会にでも出品するんですのん?」
「ああ、その予定だよ。『若梅展』っていう展覧会があってな、プロを目指す若手の登竜門となっている。俺はもう若くもないが、絵が売れなくてもパチンコで稼げばいい。二足のわらじを履くことにきめたんだ。これからは週に2、3日しか打たないだろう」
「いいですね、夢を追いかける人生なんて!応援しますよ。頑張ってください!」
「ああ、それじゃ俺は絵を描かなけりゃいけない。じゃあな、そっちこそ頑張れよ」
 カズはふらふらと帰っていった。

 鷹……目に見えない上空から現われいきなり命を奪うもの。カズの禅問答だ。
(何かさっぱり分かれへん)
 玉抜きはまだ続いている。3連チャンだ。ここからまたハマりである。
 夜9時を過ぎた。聡の足元には2箱しか残っていない。終わろうかとも思ったがプライドが許さない。全つっぱしようと決めた。
 あの男の方はそこそこのドル箱の山を築いていた。トイレから帰ってきた聡は恨めしくその山を見た。
 しばらくして、ついに持ち玉が底をついた。普段ならここで終わりのところだが、追加投資に入った。男より先にやめたくなかったのだ。
 10時半、店が閑散としてきた。ついに男が玉を流した。聡はまだ投資を続けている。
(勝った!)
 試合に負けて勝負に勝ったのだ。あの男もパチプロならその意味を理解しているだろう。聡は勝負を切り上げ、家路についた。
 アパートに戻ると夏海が玄関まで出迎えてくれた。これまでの緊張がゆるむ。顔がほころぶ。
「今日はビーフシチューとサラダよ」
 聡が上着を脱ごうとすると、かいがいしく後ろから袖を引っ張ってくれる。
「今日の仕事はしんどかったよ」
「遅かったもんね」
 聡は夕食を食べながら、今日のパチンコ勝負のことを夏海に話した。
「パチプロも大変なのね」
「覚悟の上さ」
「めげないでね」
「これくらいでへこたれてちゃ飯が食えないよ。さあ、もう寝よう」
「うん」
 聡の心にやっと安らぎが戻ってきた。

 次の日、聡が全力で走って昨日の台を取ろうとすると、すでに煙草が置かれていた。ヘソが開いている台にもライターと鍵が置かれている。誰だと思い、まわりを見渡すとカズが両替機の前にいた。
「これカズさんのですよね」
「このシマはこっちの出入り口の方が近いだろう」
 二人のやり取りを見ていた男が他のシマに移っていった。
「へん、あほが」
 カズが押さえに使った小物を回収し、今日は平和に打ち始めた。

第11話
「漂揺の狩人」第11話|しんくん (note.com)

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