高校生と職業教育

読んだ。

本書は、学歴が評価されるのは教育により生徒・学生(以下学生)の能力が上昇したからではなく、知能が高く、努力でき、協調性があるように「見える」からであると主張する。つまり学校で学ぶことの大部分は、学生を高める役に立たないということだ。

学生個人にとっては、学校が学生の価値を高めようと、高めているように見えるだけだろうと、よい就職先が得られるのならどちらでも構わないだろう。しかし、社会にとってはどうか。学校が社会全体の価値を高めるのは、個々の学生の価値を高めた結果だと考えるのが一般的だと思う。しかし、学校が学生の価値を実際に高めているわけではないとすると、教育は社会全体の価値を高めていないということになる。それに莫大な税金を投入することが、本当によいことなのか。

そんな教育の問題を解決する一案として、著者は職業教育の価値を見直すべきと言う。学校は役に立たないことばかり教えていないで、実社会で使えるスキルを教授するべきだと。特にあまり勉強が得意ではない学生にとって、職業教育は従来型の教育より有利だ。

職業教育の社会的なリターンがこれほど高いのはなぜだろうか。社会的地位はゼロサムだが、スキルはそうではないからだ。従来型の教育で学生が得をするのは主に社会的地位が上がるからだが、地位の平均は上がりようがない。しかし職業教育で学生が得をするのは主にスキルが身につくからであり——スキルの平均は上がることが可能だ。

『大学なんか行っても意味はない?——教育反対の経済学』ブライアン・カプラン

これを読んで思い出したのが、ガソリンスタンドの新卒社員のこと。彼は危険物取扱者を取ることなく、1年未満で辞めていった。まだ第二新卒だからそれほど不利にはならないかもしれないけれど、なんのスキルもないまま年齢を重ねると再就職は難しくなる。それなら、高校に職業教育を導入すればよいのではないか。

高校で職業教育を

商業高校や工業高校を目指す子たちは、そのままで構わない。しかし普通科に進む生徒の中には、進学する気はないけれど特にやりたいことがないから、とりあえず普通科に入るという者もいるだろう。彼らは徒手空拳で社会へ出ることになる。

そこで提案なのだけれど、普通科を廃止して進学科と訓練科を設けてはどうか。大学や専門学校等に進学を希望する生徒は、進学科で普通教育を受ける。高校を卒業したら就職するつもりの生徒は、訓練科で職業教育を受ける。実際に仕事で使えるスキルやビジネスマナーを学ぶのだ。

入学前から「商業」「工業」と限定されると二の足を踏むかもしれないけれど、入学後にさまざまな職業のコースから選択できる形にすれば、敷居が低くなるのではないだろうか。

スキルを身につけるだけでなく、資格も取れるとよい。高校で学んだスキルと無関係の仕事に就いても、転職することとなった時に資格があると役に立つ可能性がある。

例えば、1年生で各コースを横断的に学び、2年進級時に専門コースを選択する。電気コースなら卒業時に第二種電気工事士を取得でき、経理コースなら卒業までに日商簿記2級合格を目指す。

こんなことを考えたのは、わたし自身ジョブホッピングを繰り返して歳月を無駄に過ごしてきたからだ。高校生のうちに一つ武器を手に入れられたら、違った人生があったのではないか。そんな思いから筆を取ったのである。もし訓練科があったとしても、わたしは大学に進学して中退したのだから関係ないのだけれど。

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