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もあもあの鳥

note を読んでいますと、「この内容はばあいによっては苦しくなる方もいるかもしれません」というお知らせが散見されます。

「1997年4月30日(水)の夢 もあもあの鳥」は、陰惨さがあからさまだと思います。

それなので、どうしたものかなぁ・・・と考えてきました。
夢の順番がきましたので、書きながら考えてゆきます。

何かと何かがであったときに、好ましからざる反応を生じることがあります。
そこだけに焦点を当てると、「好ましくない」だけかもしれません。
視点を変えて宇宙から見たら?
人生のスパンで眺めたら?

いまテレビが無いのでわたしはウクライナの映像にはほぼ触れていません。それでもラジオから聞こえてきます。
そのとき、敢えて耳を傾ける、他の番組に替える、ラジオを消す、右から左に聞き流す、のどれかで対応しています。

人には受けとめかたの傾向がありますが、そこに心身の状態などの触媒が作用します。いつもの受けとめかたの傾向が尖鋭化したり、本人も予期しないような、これまでとは異なる受けとめかたをして、新しい自分に出会うこともあります。

この基礎の上に「外部からの某か」が「ある人」の気分を悪くするとか、それどころか毒となってしまうことを考えますと、これは一筋縄ではいきません。
この困難を避けるために、悪くいうと面倒を避けるために、マスメディアははじめからその辺りに直面しないようにうまく?やっています。
操作的な手法で、受け取り手への敬意と信頼を欠いています。

人間は矛盾に満ちた面倒なものだと、わたしは思います。
他人の幸せを祈りながら、別の他人の幸せそうな様子に不快を感じたりする。これはわたしのことですが。

他人の在りようを、「ある時」の「ある人」が、恣意的に劇薬として用いることがあります。
わたしが30代半ばのころ、20代後半の女性が脈絡なくキレました。
「あなたを見てると自分が惨めになる!!」「わたしは子どもも生めない!!」
わたしとその女性は親しいわけではなく、出産にまつわる話をしていたわけでもありません。彼女はほかにも自分の「惨めさ」を言い募っていましたが、思い出せません。わたしの記憶には第一声「あなたを見てると」と、子どものことと、彼女の恨みがましい目がくっきり刻まれています。叫ぶだけ叫ぶと彼女は突っ伏してわーわー泣き出しました。
彼女はまるで被害者のようでした。
わたしは被害者のようにふるまう人を目を丸くして見つめながら考えていました。
この人は何を言ってるんだろう? わたしが何を持ってるって言うんだろう? わたしより若いのに子どもが生めない? わたしこそ恋人もいないし、たぶん子どもと生きる人生ではない・・・。
わたしからすれば、彼女からいきなりザクザク刺された感覚ですが、彼女からすれば、わたしの存在自体が彼女を傷めつけているのだから、正当な反撃ということになるのでしょうか。

彼女がしたことは、お門違いの八つ当たりでした。本人が白状しています。「あなたを見てると」と。
彼女は実際に自分を害っている何かに直面することを避けるために、自分の脅威にならない手近なわたしを、代用の標的に選びました。わたしは彼女の脅威ではなかったはずです。発散したいのにやり返されて大けがしたら大変ですから。彼女の読みは確かでした。

彼女がわたしに何を見たのかは知りませんし、それは重要ではないと思います。肝は、ある条件が揃ってしまえば、人間は、誰かを「なんかうらやましい」と感じ、それがおもしろくないばあい、自分にその感情を「いだかせた」相手に「刃物」を振り回してもよい、と自分に許可を出すことさえできる、ということです。相手のことを少しも知らないし、知ろうという気もありません。

🍀

誰かの幸福が、誰かを幸せにすることもあります。
幸せは伝染します。「伝染るんです」(吉田戦車)、本当です。わたしはそれをはっきり感じた時のことを記憶していて、ときどき宝箱から出して、幸せに浸ります。
20代後半でしたか、地下鉄に乗っていました。ドア側の端っこに座っていまして、車内はすいていました。斜向かいの席に座っている娘さんに気づきました。わたしは「見える」人ではありませんが、その人は心地よい光を放っていたんです。視線はやや下向きで、その人にだけ見える美しい何かを見ていました。その人は幸せそのものでした。
なんだ、この感動的な光景は?!
信じられないものを目撃していることに驚きました。
そして、幸せな自分に気づきました。
いい心持ちでした。
次に、わたしは真実をひとつ発見しました。
幸せな誰かを見た自分までも幸せになっている。幸せは伝染する!!

面倒なことを、
ここまで一緒に考えてきてくださり、ありがとうございます🌻



1997年4月30日(水)
昼の緑濃い住宅街の道の真ん中にわたしは立っていたが、どうもからだが無かった。両側は歩道で、上を見ると電線が渡っていて、左手の電線に、すっかりあせた赤色でもあもあの巨大怪鳥が留まっていた。

あんなもあもあの羽でよく電線まで飛べたものだ。
怪鳥が下りてきた。
茶色の犬がけたたましく怪鳥に吠えた。
犬がかみつきそうな勢いだというのに、怪鳥は大きな黄色の嘴で威嚇するそぶりさえなかった。
怪鳥は、さっきと反対側の電線に難を逃れた。

住人から苦情でもあったのか、作業服を着た役所の人間がふたり来て、火炎放射器で路上にいた怪鳥を焼き殺した。
飛ぶことができるのに飛んで逃げもせず、怪鳥は炎を浴びて焼き殺された。犬の時と同じで、困った様子でうろうろするばかりだった。

ふたりは標本を作ると喜んでいた。
灰しかないのに?
冷ややかな心持ちで彼らの前を通りすぎようとしたわたしの目が異なものをとらえた。灰だったものが、人の胴体くらいなこんもりした黒い物体に変わっていて、そのこんもりから人の脚と足が無造作に出ていた。
通りすぎようとするわたしに彼らが「中を見ないのですか?」と訊ねたのには面食らった。
誰が焼死体など見るか!!
この時のわたしは幾人かの人たちと連れ立っていた。

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