「sin」は、「的を外す」ことだと荒俣宏さんの本でむかし読みました

「スケッチブックちゃんばっかり贔屓するって、ふくちゃんが言ってるよ。うちのふくちゃんはすぐおこられるのに、スケッチブックちゃはおこられないんだってね」
ふくちゃんがよくおこられているかどうか、わたしは知らなかったけど、担任の先生がわたしを贔屓してることは、わたしもわかっていた。
小学3年か4年のときのよく晴れた日、ふくちゃんのお母さんが嫌そうに目を細めた。
やさしいと思ってたおばさんから嫌われてることを知った。
返事に困ったことを記憶している。

1ヵ月くらい前、帰ろうとしてロッカーのところへ行こうとするわたしを同僚が大急ぎで追いかけてきたと思ったら、水分補給に来た体で、「さっきスケッチブックさんのほうが手が空いてたのにぃ、わたしに言ってきてぇー(課長が仕事をふった)」と膨れた。
は?!
驚いた。
その人はよく、自分ばっかり負担を強いられてるとこぼしていた。わたしには判断ができないことだったけど、そうなんだ、大変だね、とそれまでは聞いてきたが──
一体わたしに何を言わせたいんだろうと思って、黙って目を見た。
わたしに謝罪を求めいるのか?と恐くなった。

一見かわいらしい風貌で幼く見える人。彼女が人を見るとき、からだを斜にして、うつむき加減の上目遣いで盗むように見る。なんかやだなと思っていた。このときもそう。なぜかいつもあたふたして、ふーっ、疲れる~と言う。大病したり親を看取ったり、いろいろ大変そうな話を聞いていたから、無理しないで、とか声かけてきた。また言ってるなーって思うようになってからも、そうなんだね、大丈夫?って。

はっきりしたので、距離をとることにした。逆恨みされない感じに、気をつけながら。

「まどうてください」

「わたしの人生を 返してえぇぇ!!!」

絶叫を、子どものころ、聞いた。

わたしに償いを要求した人たちは、的を外しています。

「まどうてくださいまどうてください(償うてください)」って──ツェねずみしつこいんだ──頭の中で回ってる。

吐き気がしてきた。

「ツェねずみ」を読んだとき、わたしの頭に浮かんだのは親だ。

「まどうてください」

ふくちゃんのお母さん、スケッチブックちゃんの親は、スケッチブックちゃんを害悪諸悪の根元不幸の源役立たず加害者と見て、毎日毎秒責めていたの。
家庭訪問で先生が、「本当にいいお嬢さんですよ!」って言ったのを、スケッチブックちゃん聞いたの。
ねえ! お母さん、聞いたよね! わたしそんなに嫌な奴じゃないんだよ!
だめじゃないんだよ!
ねえ! お母さん、解って! お願い!

お母さん、解ってくれるかな?

お母さん、解ってくれる?

お母さん!



諦められなくて、おばさんになった。




やっと、諦めた。







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