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目の芯

1997年12月4日(木)
置き忘れられた人形みたいにわたしは下の暗がりに転がっていた。ばったりうつ伏せ。右の方のテーブルにおいしそうな料理が並べられていった。食べたいなあ、と思ったようだった。
料理をしていたのは東の女で、彼女は、渋い黄色で幅の太いギンガムチェックのランチョンマットを敷いて、柿色のお箸を置いて、あらたに席を設えた。
わたしは起きて立ち、それを見ていた。
「本見てつくったのよ」
「すごいね」
本よりもおいしそうな目の前の料理──覚えているのは、笹がきのきんぴらと玉子焼き──じゅーと唾が。でもわたしが食べられるわけないな、と思ったら、「食べてみてよ。まず味見してみて」と東の女が言ったから、「ええ? うそ」
あまりにも意外で反射的に言ってた。
「なんでお箸が出てると思うの? うそじゃないわよ」
さも当たり前というように東の女。
でも、この料理は東の女が夫のためにつくったのに、わたしが一番に食べちゃ悪いよなー。

そこは狭かった。せませまだった。
なぜか、玉子焼きを温め直すか何かしたのかな、玉子焼きの裏が見えたら、オレンジ色のにんじん。嫌いだ、「にんじん···」呟いていた。
嫌いだけど、とってもすてきなオレンジ色でおいしそうだった。
「そう、にんじんをね、削いだの」
東の女はわたしの呟きに答えた。
削いだというにんじんは靴底ほどの大きさ。こんな大きいにんじんがあると想像するだけで気持ち悪かった。
そんなに嫌だというのに「削いであるから、薄いからにんじんくさくないよね?」ときいていた。
「大丈夫、茹でてあるから」
それなら食べられるかな、と思ったところへ、東の女の夫の島─「大島」とか「淡路島」の「島」と同じアクセント─が帰ってきた。いかにも真面目な会社員といったかんじの人だった。かわいいラベルのはちみつをお土産に持っていた。

中─なか─の男と会った。島が連れてきたのだろうか?
中の男に何か話しかけて、共にうれしがって笑ったとき、中の男の左目の芯がない、そこに目が行った。凄くびっくりした。円い黒目のなかに火山の噴火口のような穴があいていた。右の目は黒くて悲しそうだった。驚愕しつつも笑っていると耳に目が行った。中の男は右側をこちらに向けていたのだが、右の耳が無かった。傷の治りかけのような穴はあったが、音を集める部分がスッパリ切り落とされたように無かった。間違いかと思って、思わず二度見た。無かった。
なんて痛ましい人だろう。
中の男は笑おうとしてたけど、左の目の芯が無くて、右耳は穴だけあいていた。目の中心に底無しの穴。


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