「魂はおいしい」のだそうです。 3

自分に代わって誰かに排泄をしてもらうことはできないし、自分に代わって誰かに食べてもらうこともできない。だけど、自分が感じたくないものを「親密な人」に感じさせることは、可能。自分の厄介な荷物を押し付けて身軽なふりをすることは、可能。

「俺も若いときは神経質で!」
と回想するおじさんの目付きは神経質だった。でもそれはむかしのことだ、そんな苦しみなんか嘘だったように図太くなったよ、と愉快そうに言って、自分の若いころみたいな息子を「かわいそうに」と繰り返した。

そうか、自分の神経質を、この人は息子に押し付けたんだなと思いながらわたしは聴いていた。
神経質で不安に取り憑かれた人に男の子が生まれて、その子に、自分を苛み人生を害ってきた病を移していったんだ。
子どもは、訳もわからないまま病を受け取り年を経た。

「息子を愛するいい父親」は、息子をフランスに送り出して遣った。
でも、でも、息子は父親の「ひとがた」だから、父親の病を代わってくれている「ひとがた」だから、そんなに遠くにいてはいけない。
「ひとがた」が、自分を生きたい、と気づいてしまっては困る。
「いいお父さん」気分は味わった。
ほら、ほら、不安が忍び寄る。
「ひとがた」にはそれがわかる。
なぜ? ひとがただから。
「ひとがた」は心得ている。父親が望む帰還方法を。ほんとはフランスになんか来たくなかった、なんていう帰り方は最悪だ。「息子の幸せを思うお父さんの善意」を否定するなんて。
「ひとがた」は、父親を脅かさない申し分ない理由で帰国した。「悪い風邪に取り憑かれた」ことで責めを負う人はどこにもいない。


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