僕が人生で一番死にたいと思っていた時の話 今生きてる人に向けて贈りたい言葉

 今回の記事では僕の24〜25歳の時、心療内科に行って鬱状態を患って約1年間死にたいと思っていた時の話を書きます
 その後に今生きてる人へ、特にこれからの時代を生きる僕より年齢が下のお若い方へ、伝えたいメッセージを記します

 今から数年前、僕は今の会社とは別の会社で働いていました。20前半で会社の仕事も徐々に出来るようになっていき、社会人として自信を持ち始めるぐらいでしょうか
 今の自分ももちろん未熟ということは分かっていますが、当時の僕に自分を未熟と考えたり相手のことを慮るようなことはありませんでした。世間でいうところの「粋がる」「調子に乗る」という状態でしょうか

 そんな折に会社の物流部に異動となり、今までやってきた仕事と別の仕事をしていくことになります。その一環として鈴木(仮名)という上司の元でトラックの運転免許を取ることになりました。
 今よりずっとワガママで空気の読めない当時の僕は、芯が強い系の鈴木とは全くウマがあいませんでした。何をしても怒られ、仕事が進まずお互いにイライラして、悪循環の日々でした。
 加えていうと元々僕は車の運転に対して適性が悪いようで、フォークリフトを使った作業もかなり悪く、中型免許の教習でも補習を受けてばかりでした。

 しかし当時の僕には好きな恋人がいました。(今思えばよく付き合ってもらえたなという感じですが)
 その彼女と同棲し、多少働いて今のブラック会社を辞めれば別に良いかと楽観視していました。本当に愚かなことであったと思います。
 その彼女にも知らず知らずのうちに横柄な態度をとってしまったり、自分の性欲を押し付けたり、最低なことをしてしまいました。
 そうしていくうちに関係が悪化し、当然ながら別れてしまいました。付き合った期間は3ヶ月ほどかと思いますが、今でもこの時のことをずっと後悔しています。
 それも別れる時に僕は彼女に対して「人の気持ちを裏切る人間だ!」と暴言をかけました。ほんとうに情けない人間でした

 ずっとそんな情けない人間として24歳を生きる中、会社の中にも居場所がなくなりました。家族や友人に対しても暴言をかけ、絶縁された人も何人もいます。
 そんな中でも僕は「一生懸命やっているのにどうして周りは僕を嫌うんだろうか」と全く愚かな誤った考え方をしていました。
 毎日睡眠が取れなくなり、食事の味が分からなくなった、周りに暴言をかけ自殺を考える頃、僕は不思議と心療内科に足を運びました。
 キッカケは漫画本の中に「病院の先生に話をすれば楽になる」というちょっとした知識からですが、実際には違います。

 軽い検査を30分?ぐらいした後、心療内科の先生から「あなたは『鬱状態』という病気です」「治療には1年程度かかります」と言われました。
 心の中で(一回病院に行って何もなければそれで良いだろう)という期待がありました、自分はどこも悪くない、何も悪いことをしていない、という間違った自信、生きるための気持ち的なものが全て折られた感覚を覚えています。

 この後僕は会社に行きながら、苦手な運転免許を何度も補習しながら、周りの人間全部が敵に見えながら、鬱状態の治療に入りました。
 正直言って毎日死にたいとずっと思っていました。周りの人達が普通に出来ることが自分には出来ない、世の中から落ちこぼれているという感覚があります。好きだったお酒を飲んでも何も感じませんでした。治療費や補習代で貯金がどんどん削られ、目に見えて寿命や生きる道が閉ざされていく感覚を感じました。

 それでもなお、生きました
 生きたいと思ったから生きた、ではありません
 むしろ逆に死にたいと思った時に、心のどこかでブレーキがかかって生きようという方向に舵を向けようとしました
 そんな暗い人生を送る中で、ひとつの転機が訪れます。今でもその時のことを一言一句覚えています

 あるお昼休み、僕はいつも通り会社の休憩室で食事をとっていました。するとそこに2つパンを持った僕の同僚が来たのです

僕「お疲れ様」
同僚「うん」

僕「今日はパンを買ったんだね」
同僚「うん、一つは自分でもう一つは君に」

僕「俺に?どうして?」
同僚「上司からさ、君が元気ないって聞いたから」
「食べて、元気出してもらえたらなって」

僕の同僚であり友の彼は、元気がないって噂話だけで僕自身のためにパンを買ってきてくれたのです。
その友に対しても失礼なことを言ったこともあるのに、そのうち辞める人間なのに、見捨てれば良いのに、って正直思いました。

僕「そうか・・・ ごめん、ありがとう、ごめん」

 そう言いながら僕は貰ったパンを食べました。気がつけば感動し思わず泣いてしまったことを覚えています。
 会社で泣いてしまう気恥ずかしさからか、友達の前で涙を見せたくないからか、一生懸命堪えようとはしましたがそれでも涙は止まりませんでした。その姿を見ている彼も、それ以上何も言いませんでした。

 この事は僕の一生の宝物としてずっと覚えていることです。生きる支えであったり、人に優しくしたり慮ることの尊さを学ぶことなのです。今当時のことを思い返しても涙が出る、それほどに心の動いたことでした。おそらく僕が年齢を重ねてお爺さんとなっても同じように思い返して涙が出るのでしょう。

 そうしてこの後僕は中型免許をとり、仕事も以前よりは良い方向に変わりました。心療内科の治療も一年かけて治し、今でもその時の友人とは仲良くしています。
 自分の人生が落ち込んだのは間違いなく、当時の情けない自分の責任であり、反省して二度と繰り返さないように頑張っています。
 これが「俺が一番死にたいと思っていた時」の内容です

 ここからは僕がこの記事を読んだ方へ、今より未来を生きる方に向けてのメッセージを記します

 僕たちが生きる現代社会はとても多くの困難があって、誰もが多かれ少なかれ傷つきながら毎日を生きています。
 僕自身も過去のことを引きずったり後悔したり、会社では失敗したり一生懸命働いたとしても集団に馴染めず孤独を感じることもあります。

 そして、これからAIや機械が発達して人の手を借りなくても便利な生活が出来る中、誰もが温かい心を求めながらも、自分の殻に閉じこもり自分の情けない部分やマイナスの気持ちを隠す日が訪れようとしています。
 人間関係において損得勘定であったり、「この人は何だかつまらない、一緒にいても何も良いことがない」と切り捨てて切り捨てられる日が、ほんの少し目の前にあります。

 そんな時代において、僕の心の宝物は本当に美しいものであると感じます。
 僕の友人は何のメリットもないのに、僕とは仕事だけの関係であったのに、それもあと少ししたら会社を辞める落ちこぼれであったのに、僕のことを助けてくれました。そのおかげで今僕は人を信じよう、例え裏切られたとしても明日を生きることを諦めないでいようと思えます。
 情けない、後悔ばかりの自分も自分自身と認めて改めることができます。

 お仕事の関係であれば、損得勘定もいいでしょう。あるいはただのネットのフォロワーの一人と感じたり、深い仲ではないと思うなら、ブロック文化(信じられない人を切り離す文化)も間違いではないと思います。

 ですがもしあなたが優しさを求める、孤独を感じるのであれば、どうか人に対して優しく接して欲しいと思います。
 例え付き合うことにおいてメリットが無い人であっても、ブロックするのは一呼吸考えてからにしても遅くありません。

 そしてもしも、優しくして仲良く出来ると思ったら、自分のマイナスの面であったり、情けない部分、話したくないことであっても正直に打ち明けて欲しいと思います。
 後悔していることであったり、将来への不安だったり、仕事、学校、家族、恋愛、何でも構いません。

 そうすれば、あなたにとってかけがえのない宝物、一生の思い出であったりマイナスの時に助けてもらえる仲間や恋人ができるチャンスが生まれます。
 そうした物を得るのは本当に難しく、難しいが故に一生忘れられない大事なものとなります。

 楽しいことをしようと声をかけて付いてきてくれる友達を作ることは、そう難しいことではないでしょう
 しかし自分がマイナスの時に声をかけたり、助けてくれたり、あなたは一人じゃないと励ますことが出来る人はそう多くはいません。そこまで深い仲は簡単には出来ません。だからこそ、今も僕の中に想い出はずっと生きているのです。どうかこの記事を読まれる方がいましたら、そうした気持ちを持って他者と接してほしいです。

 後悔することはたくさんあります。ですが僕達は明日からもまた生きていかないといけません。誰もが楽しくないことから逃げ出したいけど、戦わないといけないんです。自分に非があるならそれを反省して改めないといけないんです。

 特にもし僕の年齢より若い方(10代〜20代など)がこの記事を目にすることがあれば少しでも良い人生を送ってほしいのです。
 生きていれば夢が叶わないことも、失敗することもたくさんあります。逃げ出したい時でも逃げられないことがたくさんあります。
 そんな場面と衝突した時に僕のようにブラック企業に入社して半年で辞めたり、わがままを振る舞って失恋したり、上の立場だからと遠慮して口を閉じてしまうことが少しでも無くなってほしいのです。
 面倒だから、相手が自分を裏切るかもしれないから、自分一人が耐えれば良いから、このようなことが少しでも減ってほしいんです。

 どうかこの記事を読んだ方にとって、少しでも良い明日が来ることを祈っております。

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