流行りの考え方に対する攻略術(弱男、自由と自分勝手)

近年では仕事や恋愛、ライフスタイルやマナーの一つに至るまで様々な考え方があり、当然そこには流行というものがあります
この記事を書いている2023年12月現在でも様々な考え方や意見が毎日交わされていて、その中で流行りつつあるワードや考え方に対して個人的な攻略を伝えます

あくまで僕自身の考え方や向き合い方であり、必ずしも100%正しいとは限らないことをここで明記します

①「弱男」と言う考え方

近年ネットの考え方では収入や社会的地位が低い男性を目の敵のようにし、暴力的な意見を投げかける方がいます
対象は弱男と言われ、結婚が出来なかった方や年収が低い方(無職?)などがそれに当てはまるでしょうか

僕は自分自身のことを強い、力がある、モテるとは思いませんが弱男と呼ばれたり卑下される筋合いはないと考えます
というより上記の条件に当てはまる方であっても、そのように言われる筋合いはありません

そうは言っても生きていれば何かしらの差別は受けるものですから、ここで考えたいことがあります

一つ、その発言は誰がしているものか
二つ、弱いことによってどんな社会的悪影響を生んでいるか、非難を受ける道理があるのか
三つ、逆に強い男性とは?何でそうならないといけないの?

一つめについてですがコレに関しては言うまでもないでしょう
おそらく非難している方も社会的地位が低い、誰からもリスペクトを受けなかった方です
誰からも尊敬されなかったり、そうされるような努力をしなかった人が他人のことを弱男として自分より下にしているんだろう
もし仮に、百歩譲って発言者が素晴らしい地位やリスペクトに恵まれた方だとして、そうした社会的弱者のことを悪く言って良い理屈はありません

もし仮に言っている人を見かけたら「かわいそうな人間なんだな、人の心を理解する努力もしてないくせに自分の話を開けらかしてるな」と逆に思われるはずです
社会的地位が確立されて成功されている人がこのことに気付かないはずがありません

二つめについて、会社や組織、人間関係の中であれば必ず仕事が苦手な方がいます
ですが『犯罪行為をしているわけではありません』、これは重要なポイントです
生きる意味を見出せず何となく無気力で働き、恋人が出来なかったとしても、そのことは誰に非難される道理はありません
よく考えると働くということは税金を納めて社会貢献をし、消費して経済を回すという要素が含まれています
もちろん仕事の得意不得意はありますが、仮にそうして立場が低くても働いている人に対して暴言を言うということはその仕事も会社に対しても暴言を言うのと同じことです
仮に無職であってもいつかは社会復帰できるかもしれません
敢えて可能性を潰す必要はないわけです

三つめに最後に言いたいこと
それは「そこまで言うならあなたの言う強い男性って何ですか?」
「どうしてそれにならなくてはならない、顔も名前も知らない人から非難を受けたり強制される道理があるんですか?」の部分

例えば仮に多数の女性と肉体関係を持ったり、札束を振って自慢したり、ニュースにもなった悪質ホストのように金や物を貢がせる男性像のことを指しているんでしょうか
僕ならそうした対象に本当になりたいか、本当に幸せな生活があるのだろうかと言うことを言いたいです
下の意見にしても同様、なぜ顔も知らないネットの人達の話に乗ってライフスタイルを変える必要性があるのか、ということ

本当に女性や社会的弱者を食い物にして生きることに強い価値を抱いているなら僕から掛ける言葉はありません
実際にそういう方を見かけたこともありましたが、その時と同じように関係を断つだけです

でもそうでない方、「ネットの人たちを見返したい」と思う方や「何となく自分が嫌だ」としている方はもう一度よく冷静になって考えてほしいと思います

②「自分を偽らない」と「自分勝手」について

最近ではSNSを始めとして自分の気持ちや発言をする機会も非常に多いことはすでにご存知かと思います
例えば〜〜が好き、〜〜についてこう思う、などその発信スタイルは様々
ですがそれについて自分を偽らないとして好き勝手に発言することについて思うことがあります

例えば性的発言や暴力的発言などもそれに当てはまると言えるでしょう
えてしてそうした発言をする人は「不快に思うなら俺のことをブロックすれば良いじゃないか」、「私はちゃんとルールを守っている、性的(暴力的)発言をしても良い」としている方が多いです

このことについて僕の見解は
「なんでそのルールが出来たか少しは考えたんですか?現実社会で言えないからってネットで言って良い道理があるんですか?」
「ブロックすれば良いというのであれば、僕が暴言をかけてもあなたがブロックしなさい」
「極端に悪く言うと僕は上記のような勝手な人が不快な気持ちになっても心は痛まない」
というものです

正直に言えば以前僕は同性愛について否定的なスタイルでした

その理由は本物の同性愛者ではなく、BLGLっと言ったジャンルで著作物を、僕が好きな作品を自分勝手に改造して開けらかす方がいるからです
本物の同性愛者に関して言えば法律を守られて普通に暮らす方については何もいう言葉はありません
ですが何らかのルールを破った際に「これは同性愛差別だ!」と声を荒げる方もいます
そうしたルールを破ったり、自分勝手な声というものは大きく聞こえます

ですがある時ネットでこんな意見を見かけました
「高校生の男ですが自分がゲイであることに悩んでいます。周りと違うということや人と同じものを好きになれないことがとても辛い」
「何とか努力して女性アイドルを見たり色々試していますが現状変えることが出来ません。とても不安でどうしたら良いか分かりません」という意見でした

この一文を見て僕は心が痛み、木を見て森を見ない自分のことを恥ずかしく思いました
彼は人と違うスタイルの自分でも、周りのみんなと同じになれるように努力していたのでしょう

自分を偽らない、ということはあくまでも自分自身と向き合うこと、自分との勝負ということです
好き勝手に自分がしたい発言をして反対するな!というのは自分勝手ということです
周りの方々の気分を害するようなことを言うのではなく、尊敬されたいなら相応の言葉選びをしよう、と言いたいのです

いかがでしたでしょうか?
流行の考え方について少し触れました
今回の記事を読んだ方にとって一考の価値があるものであればこれ以上の幸せはありません

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