デザインに触れて思うこと-Monster Academia体験授業参加の記録③-
またまた時間が経つこと、2週間ほど?
大変失礼いたしました。
モンスターアカデミアのデザインに関する授業体験記、第3弾をお届けします。
第2弾でもお伝えしましたが、私はこの授業を受けて、
デザインへのハードルは下がり(自分も興味持っていいんだ!という当事者になれた喜び)、
奥深さに圧倒され(目的とターゲットによって生まれるデザイン(答え)の多さよ...)、
デザインを学ぶ楽しさ(色々なデザイン知りたい!見たい!聞きたい!作りたい!)、
を知りました。
それでは、第3弾行ってみよ〜。
※この体験談はあくまで私が授業を通して学んだこと・感じたことです。
デザインとして正しく理解できているか、またはモンスターアカデミア様の意図に沿っているかについては、確認が取れていませんことをご了承のうえお読みください
3. デザインは「目的」で変わる
「おしゃれなデザインであれば、話題になって人気が出て、大成功するでしょ?」
「いいデザインの大きな要素って、いい感じの写真とエモーショナルなキャッチコピーだよなぁ。」
そう思っている方、いらっしゃいませんか?
この記事を読んでいらっしゃる読者さまのなかに、そのようにお考えの方はいらっしゃいませんか〜?
実は、私もそう思ってました。
人の心に響くものを作るには、綺麗な写真や絵といい感じの文章があれば、それは人に受け入れられて、人気が出て、バズっていくのだ、
だから綺麗なものを作れる技術が必要だ、
それを極めていくのだ!!!
そんな風に考えていました。
というか、今もその名残りは大いに自分の中に残っていて、まだまだ消し切れていない状態です。
結論から言うと、デザインとアートは違います。
いや、「違う」というと語弊があるかもしれません。
それぞれ伝えたいものがあって作り出されるものだという部分で、それらは重なる部分があるかと思います。
ここでは、あえてアートを自己表現だとカテゴライズさせていただくとすると、デザインは「コミュニケーション」です。
つまり情報伝達なのです。
「デザイン=コミュニケーション、情報伝達」と考えると、
「情報が必要な人あるいは届けたい人に対して、適切な伝達手段で、適切な情報を伝えることがデザインにおいて大事」
と言われても、納得できるのではないでしょうか?
冒頭の発言に戻るのですが、
「おしゃれなデザインであれば、話題になって人気が出て、大成功するでしょう?」
この発言、「デザイン=情報伝達」と考えると、違和感を感じませんか?
おしゃれとは誰にとっておしゃれなのか?
「10代小学生のおしゃれ」と「60代マダムのおしゃれ」の定義はおそらくまったく違います。
「いいデザインの大きな要素って、いい感じの写真とエモーショナルなキャッチコピーだよなぁ。」
エモーショナルとは?
あなたの考えるエモーショナルなキャッチコピーは、例えば80代のご老人が感動する言葉と、必ず一致するものでしょうか?
答えはおそらくNoです。
つまりそのデザインが「誰の向けて」作られているかによって、求められるデザイン、写真、コピー、全ての要素が変わるのです。
でなければ「伝わらない」からです。
上記の例は「対象」についてでしたが、そのデザインが「何のため」なのかによっても、必要なデザインはまったく変わります。
これはちょっと極端な例にはなりますが、
スーパーのレジ係の求人募集の広告で「人は美味しいコーヒーがあれば生きていける」なんていうキャッチコピーとコーヒーの写真が載っていたとしたら、求人募集の文字があったとしても「なんのこっちゃ?」ってなりますよね。
もちろん広告の中には、初見では意図が汲み取れなくても、一周回って考えると「そういうことか!」というように、見た人に考えさせることで注目を集める仕組みのデザインも、往々にしてあるように思います。
でもそれは、最初からデザインのなかに仕組まれているのです。
「この広告を見た人はこう考えて・気づき・最終的にこの広告の意図を理解する」というところまでコミュニケーションとして考え抜かれた上でのものなのです。
(もし何度考えても全然意図がわからない...という広告はコミュニケーションに失敗しているのかもですね。笑)
つまり「デザイン」というのは、対象を含む「目的」によって、全くもってカタチが変わるものだということです。
「目的」と一言で言っても、「伝えるべき情報」だけでなく「このデザインを見た人がこういう感情になって欲しい」「こういう印象を受けて欲しい」といった、言葉にすると難しい部分も含まれます。
だからこそ、デザインは多様なのです。
そして、デザインの「正解」とは「意図した情報が、意図した対象に、意図した印象と内容で伝わること」だと言えるかと思います。
一つ一つの目的や意図が少しでも異なれば、全く違うデザインが生まれます。
どのような経験をしてきた人が作るのかによっても、全く異なります。
デザインには、もちろん基本ルールがあります。
ただそれだけでは伝わらないのです。
なぜなら「デザイン=コミュニケーション、情報伝達」だからです。
棒読みで笑いながら「悲しいです」と正しい日本語を言っても、多くの人にはなかなかその悲しみは伝わりません。
涙と鼻水を垂れ流して、膝から崩れ落ち、床をたたきながら「悲しいです....!」と泣き叫んだら、きっとその悲しみはより多くの人に伝わるでしょう。
そうだとすると、より良いデザインを作るためには「人と社会を理解する」ということがとても大事になってくるのではないか、と強く思いました。
まさか、デザインが人間理解の話にまで展開するとは、私も思っていませんでした。
(これは私が勝手に展開させたのですが笑)
ただ少し、デザインが身近に感じませんか?
何がって?
だって、もしあなたが誰かに話をする時に「より伝わりやすい」と思う言葉を選んでいるのだとしたら、
さらには絵でも描いて図で正確に示そうとしているのだとしたら、
それはもうあなたが「デザイン」をしているということなのです。
自分には遠い存在と思っていた「デザイン」。
なんだ、すぐそこにありましたね。