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名誉毀損訴訟 賠償金の高額化はいつから?何故?

ツイートでお約束のこの件です。

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まずは上の②から。

米大統領選関連のドミニオン訴訟に見るように、もともとアメリカでは法外な損害賠償金を要求するようで、シドニー・パウエル氏が13億ドル(約1350億円)という天文学的な金額を突きつけられたのは記憶に新しい。

翻って日本では長く、名誉毀損訴訟は原告泣かせの訴訟類型といわれてきており、容認額は100万円以下が相場だった。仮に勝訴しても弁護士代を差し引けば赤字のことが多かったが、状況が一変したのは2001年のこと。この年を境に容認額が一気に高額化しており、アメリカほどではないものの1000万円クラスの判決がいくつも現れ、相撲の八百長問題に関わる集団訴訟では、合計額が4000万円を超えている。

元裁判官の著書で城山三郎賞を受賞した『ニッポンの裁判』には、このような一節があった。「・・・森喜朗首相がメディアの袋叩きにあったことによりその(=自民党の)不満は頂点に達し、また、週刊誌の創価学会批判にいらだった公明党も、これに同調していた。そして、自民・公明両党は、2001年3月から5月にかけて、衆参法務委員会等において裁判所を突き上げた。」(P129)

む!そうなのか。だがこれだけではプロセスの説明として不十分だ。他の書籍を探索しまくりながら更に調べてゆくと、名誉毀損訴訟の賠償金額の上昇には「信平狂言訴訟」が深く関係していることが分かった。

前回記事で詳解したとおり、「信平狂言訴訟」は関連訴訟を含めて2000年5月に完全に結審している。

翌2001年3月21日の参院法務委員会で、このような質問が出た。
「言論の暴力によって計り知れない苦しみを受けている人がいます。名誉毀損の賠償額が百万円程度では、とても納得できません。賠償額を引き上げるべきだと声を大にして言いたいんですが、最高裁のご意見をお願いします。」質問者は、公明党の沢たまき氏であった。

これに対して、最高裁民事局長の千葉勝美氏は、
「われわれもこの問題につきましては重く受けとめまして、今後とも下級裁に対して機会をとらえて情報提供していきたいと考えております」と答弁。まぁ、通り一遍といえば通り一遍ですが。

しかしその後も、同趣旨の質問が衆院の法務委員会で複数の公明党議員らによって繰り返された。2ヶ月後の5月16日、またも公明党の冬柴鐵三幹事長(当時)が衆院法務委員会で、
「週刊誌でまったく事実無根のことを書かれ、本人にとっては大変深刻な名誉を侵害されたという訴えを起こしましても、容認される額がまことに雀の涙というのが実情だが、(この実態を)ご説明いただきたい。」、「私が調べましたところ、80年代には、訴えを起こしても棄却例が多く、許容されても百万円以下という事例がほとんど(筆者注:先述の書籍と一致)でした。90年代には500万円という判決も出ましたが、下は2万円という具合。受けた損害に比べて、許容額があまりに低いのではないか・・・」
などと質問を行った。

冬柴幹事長はこうもつけ加えている。「アメリカでは懲罰的賠償請求制度があり、百万ドル、1億数千万円を超える例も出ている。これは報道による人権侵害というものを許さない姿勢から出ているものだと思う。日本では、なぜこれが認められないのか。」、「日本の場合も、マスメディアによる名誉毀損というものが行われた場合に、民事における損害額が僅かであっても、刑事手続において、きちっと処罰をされるようになれば、一般的威嚇効果もあって抑止されるのではないか・・・」。

これに対して千葉局長は、先の沢たまき氏への返答と同様、「許容される賠償額が低いということが一部のマスコミにおいて、名誉を毀損する言論活動に走る一因になってなっているのではないか、という意見があることは、我々も承知しております。」と、形式的な答弁をしているが、「適切な慰謝料額の算定のあり方につきましては、十分に問題意識を持っており、下級裁に対して、機会をとらえて情報提供をしているところでございます。これからも委員のご指摘も含めて、さらに情報提供をつづけていきたいと考えております。」と返答している。

しかしここから賠償金の高額化は現実に具体的に進んでゆくこととなる。折しも'99年にスタートした「司法制度改革」の真っ最中。最高裁が早速、金額の見直しに着手したのだ。

見直しの担当に指名されたのは元最高裁判事の塩崎勤氏だった。塩崎氏は交通事故による損害賠償の専門家であり、名誉毀損や知財の専門ではなかったが、交通事故と同様の方法で新しい賠償金の算定方法を論文で提案した。

さらに最高裁は、5月中という異例のスピードでエリート裁判官6名からなる「損害賠償実務研究会」を招集し、前述の塩崎論文を基に検討が行われた。こうして出来上がったのが「点数制」であり、内容は、記事の内容が不適切なら8点、顔写真を掲載していたら10点・・・等々というもので、メディアの種別ではテレビが10点、新聞9点、週刊誌8点。名誉を毀損された人の職業別ではタレントが10点、国会議員・弁護士は8点、その他は5点・・・等々。麻雀のようなフィギュアスケートの採点のような。ともかくこうして点数化して一点あたり10万円というもの。これによって賠償額の平均は一気にそれまでの3倍に跳ね上がったとのこと。

以上はPHP新書『週刊文春と週刊新潮』からの引用で、これが最も詳しい経緯の説明だった。森元総理の失言報道もリアルにヒドかった記憶があるが、高額化は信平狂言報道に対する公明党の反撃が誘引といえそうだ。

余談だが、なぜ週刊新潮が創価学会を執拗に攻撃してきたかも判明した。同社は佐藤家の同族会社であり、創業家ならびに実質的に週刊新潮を牛耳ってきた人物がPL教の熱心な信者だった。(近年は幸福の科学の大川隆法氏も新潮批判本を出版している。おそらく酷い記事を書かれたのだろうと推測。)

高額化が良いのか悪いのか・・・正直、「報道の自由」との絡みで筆者にはよく分からん。信平報道やこの度の中村格報道の如きいいかげんな報道には懲罰的に高額賠償金が適切だろうし、原告が勝っても赤字では不合理で、スラップ訴訟を抑える面でも高額化が望ましいのかもしれない。ただ、アメリカのようになりたいとは思っていないし、週刊誌が無責任なデマを夜郎自大に多発させずに報道側が真実性/真実相当性に配慮していれば高額化という問題も起こり得なかった。

週刊新潮にとっては、長年襟を正さずに来たツケで身から出た錆だ。政治家でもない一個人の人生を破壊し尽くし、係争中の新潮社裁判では原告弁護団に「大衆の劣情におもねって品性をかなぐり捨てた営業路線」「言論機関としての最低限のモラルを被告新潮社が既に喪失し、もはやマスコミの皮をかぶる反社会的勢力にまで堕したと言っても過言ではない」などと断罪されるほどだ。厳しい言葉だが、まったく的確なのである。

文春砲で名を馳せ、ファクトに徹底的に拘る週刊文春との差は、今後もますます広がってゆくだろう。いいかげんな取材でデマを撒き散らすこの雑誌は、賠償金の高額化を誘い、結局、業界全体の「報道の自由度」を下げたといえるだろう。