友人Kの陳述書より
- BBの骨格はいつ頃出来上がったか -
2017年5月頃の週刊新潮の報道内容では、『Black box』の内容は、まだ細かく固まってなかった事がわかる。例えば「デキる女」がまだ無かったり、表現が異なっていたり。同書の出版は同年10月だ。では、一体いつ頃BBの原案が出来上がったのか。ひとまずタイムラインを確認しておこう。
2017.5.10 週刊新潮(5/18号)による初報
2017.6.16 まつしま病院 診断書
2017.6.17 イーク表参道 来院証明書
まちどりクリニック診断書
2017.7.3 元谷整形外科 診断書
2017.7.12 友人Kによる 検察審査会宛 陳述書
2017.9.21 検察審査会により不起訴相当
2017.9.28 民事訴訟開廷
2017.10.18 『Black Box』出版
5月の新潮と比べると7月12日付友人Kの陳述書は、2か月の間に語法を含めて完成度が格段に上がっている。この陳述書は検察審査会宛てに作成されたものだが(検察審査会は5月に申請、9月に不起訴相当と議決)、BBを読んでいるかのような錯覚を覚える。伊藤さんご自身が3か月で書き下ろしたと告白しておられたが、陳述書は出版月から数えてちょうど3か月前にあたる。この時点で表現スタイルは固まっており、そこから順次、薬物や海外事情など付加的な資料情報が補完されたものとみられる。
Kは伊藤さんとは2010年来の付き合いであり、海外の伊藤氏のもとに長期滞在したこともある仲とのこと。陳述書の内容はBBとほぼ同じであり、それ故に異なる部分に注目することになるが、以下、友人Kの陳述内容に注釈を加えてゆくこととする。
冒頭の簡単な自己紹介のあと、Kの陳述はいきなりこのように始まる。
3 この事件が起こる前々から彼女に就職活動に関する相談を受けていました。
内容は彼女の希望としてはフリーのジャーナリストとして活動したいから企業に就職はしたくないが、ご両親の希望から安定した職について欲しいといわれており、彼女としては興味の無い仕事だが、NY在住の時に知り合ったワシントンTBS支局長の山口氏に自分の経歴を評価され、ワシントンでの仕事のオファーを以前からされていたのでその仕事を受けるべきなのか悩む、というものでした。
私はその話しを受け「とにかく話しだけ聞いてみたら?断るのはその後でもよいだろうし・・・」と返しました。
伊藤さんが親友にどのように伝えていたかが分かる。実態とまるで違う。一言でいえば「見栄」だろう。友人関係の中でも見栄を張る事はあるかもしれない。しかしKは事件直後から家に泊めたり警察に随行したり親身に味方になってきた身だ。K曰く”ほぼ24時間体制で彼女のケアに付きっ切り”でやってきた。後に記すが、そんな親友に伊藤さんは不起訴になった事さえも正直に伝えていないのだ。友人Kは伊藤さんを信じた結果、家に泊め、メールの代筆をし、裁判にひきずり出され・・・絡めとられてゆく。思い出されるのが北口弁護士の弁「友人までも欺罔して・・・」。それでもKは裁判のために彼女に有利な証言をするのである。
(続くパートは、4月5日の食事会、レストラン2Fから降りる時の膝の痛みのこと、翌6日に近所の整形外科へ行かせたこと等、BBと完全一致する内容がしばらく続く。)
しかし、
彼女はそれまで毎日出勤していた職場にこのような体の負傷のため、出勤することができなくなってしまいました。
襲われた際に負傷した膝もすごく痛み機材を扱う仕事が苦しくなってサポーターと痛み止めは欠かせないと苦悩を抱えたままでした。
整形外科で負傷日を事件4日前の3/31と伝えていた伊藤さんは、著書BBでさえ「仕事で変な体勢になった」、「昔バスケをやっていた~」と曖昧な物言いしか記していない膝の負傷を、友人には”レイプ被害"によって負傷したのでロイター勤務が難しくなったと伝えている。ここで重要なのは、伊藤さんが言った内容が本当か嘘かという観点よりも、親友にどう伝えていたかだ。「襲われた際に負傷した・・・フランスのラジオ番組では「意識がなかったので、その時に負傷したかどうかは分からない」「だから裁判で申立てができない」と本人が述べているのに。
北口弁護士には申し訳けないが、レイプ被害が事実だった場合、隠して問診に答えることは女性心理としてありえると思う。それでも、受傷日まで偽る必要はない!鈴木昭洋裁判長はカルテの信憑性を全否定してしまったが。
Kの陳述書の膝パートについては、7月3日に診断書を受け取って12日までに修正が間に合わなかったのではなく、事件当時より友人にはこう伝えていたと考えるほうが妥当だ。マズい部分はBBでトーンダウンした。
続くパラグラフNo.8では、当日の経緯をこのように伝えている。
8 彼女が話してくれた内容は以下のとおりです。
山口氏からメールが来て、日本に帰る日があるからワシントンでの仕事に必要なビザの発行方法について話したいと言われ会う約束をした。過去に二度会ったことがあったが、二人きりであった事が無く必ず誰かが同席していたので、今回も皆と一緒の食事の場だと思っていた。
その日、彼女は仕事で一時間ほど遅れて到着すると、山口氏が独りで串揚げ屋で待っていた事で驚いた。次のお寿司屋さんではタレントのさかなクンが居たのは覚えているのだけど、二回目にトイレに立った時に、それほど飲んでいないにもかかわらず、急にクラクラ目が回り倒れそうになってトイレタンクに頭をもたれたところから全く記憶が無く身体の痛みで意識が戻った。山口氏が自分に覆いかぶさって性行為を行っていた。状況がわからずパニックを起こしたが、なんとか山口氏を押しのけトイレに駆け込んだ。その際にコンドームをつけていない陰茎が見えた。助けを呼びたかったが服も無く裸で携帯もどこにあるのかわからなかったのでしばらくトイレに立てこもった。
自分の体が傷だらけだということに気づいた。乳首が出血していて痛かった。意を決し出ようとするとトイレの前に山口氏が立っていて力づくでベッドに押し倒され、押さえつけられてまた性行為に及ばれそうになり、頭を強く寝具に押さえつけられた為、窒息しかけた。
必死に抵抗し英語で山口氏を罵倒したが、彼は「好きになっちゃった、パンツをお土産に頂戴、いつもはできる女みたいなのに、困った子供みたいでかわいいね」等吐き気のするセリフが返ってきた。
とにかく逃げなきゃとホテルを出て家に帰り、気持ち悪さでと(原文ママ)混乱で、身体を念入りに洗ってしまったので、後日相談した看護師の友達には証拠がもう無くなってしまったと言われた。
お酒で意識が無くなった事は今までなかったし、二日酔いのだるさも全くないからデートレイプドラッグを使われたのだと思う。インターネットで調べると自分の症状と一致する。しかし友人の看護師より薬は1日で全て体から出てしまうと言われ検査するには遅すぎたことを知る。
仕事の直後は、無かった事にしようとしたが、外に出ることさえ恐怖になり、仕事にも行けなくなってしまった。親にも言えないし、この先どうすれば良いのかわからなくなってしまった。
串焼き→串揚げはまあいいだろう。全般的にまるでBBを読んでいるかのようだ。「デキる女」はすでに登場している。注目は「携帯もどこにあるのかわからなかった」だろう。友人Kは、「トイレに行きたい」と言ってバスルームへ行った話も聞かされておらず、バスルームにはフロント直通の電話があった事も知らない。ここでは「乳首の出血」とはっきり書いている。9.28付の訴状にも「乳首の出血」とある。それが一月後の著書になると次のとおりトーンダウンするのだ。
現場のバスルームのシーンでは「体のところどころが赤くなり、血も滲んで傷ついた~」と部位は特定されず、帰宅後のシャワーのシーンでも「シャワーを浴びたが、あざや出血している部分もあり、胸はシャワーをあてることもできないほど傷んだ。」と、ここでも乳首は特定されない。陰茎や膣と平気で書ける人なのに。乳首はわずか一か所、メールの引用でこのように登場するのみ。「(略)乳首はかなり傷つきシャワーを当てられないほどでした。」2015.5.6 22:28 本状も友人と相談して作成したとのこと。
法廷では、乳首の負傷について答弁を求められている。右か左か、それとも両方か。伊藤さんの答えは「覚えていません」だった。
9 彼女の話を聞いた私とRさんは、とにかく泣き寝入りはよくない。訴えないと(原文ママ)、思ったので海外に居る山口氏とコンタクトが切れ、この事件から逃れられては困る、と考えて山口氏にメールを送る事にしました。またこの後に警察に行った詩織さんですが警察の対応を伺うとなおさら自ら証言を取っておきたいと話していました。
その際、詩織さん本人がメールのやりとりをすることさえトラウマになっていた為、私とRさんで文章の内容を詩織さんに提案したりし、何通も山口氏とやり取りしました。
こうして伊藤さんを信じて疑わなかった友人Kは、Rとともに何通もの妊娠脅迫メールを送信することとなる。友人たちは伊藤さんが4/17に不妊を確認していた事は聞かされていたのか?そうではなかったに違いない。
10 メールを送りはじめたころは、山口氏は仕事のオファーの話しばかりをしてきました。仕事を餌に強姦という事実を表に出されない様に必死だと見受けられました。その後、数日間は、山口氏とメールでコンタクトを取り続け、動向を伺っていました。
ならばBBにある、目覚めてからの暴行の詳細を突き付けたらよかろう。ここで言われているコンタクトを継続した理由も、会見での伊藤さんの「居場所を突き止めるために、A捜査員に頼まれた」から~ではない事が明らかだ。尤もこの会見での弁もBBとは食い違っているのだが。BBでは、伊藤さんが刑事に頼み込んで、不承不承認めてもらったことになっているのだから。
(続くパラグラフ11~12は、原宿署→高輪署への同行の様子で、BBと整合する内容が記されている)
気になったのは、次の13だ。
13 事件の事で既に傷ついた上、さらに警察にまで見捨てられたとショックを受け抜け殻の様になっていた彼女の精神状態が心配だったので彼女を私の家に泊まらせる事にしました。一人でいたら食事もまともにとらず、また自殺してしまうのではないかと恐れたからです。
また自殺?以前も自殺を企図したのか。それとも、「また、自殺」と言いたかったのか。AgainかAndか? Kさんも日本語の文章が流暢とは言い難いので、どちらなのかは不明だ。
陳述者の筆は更に14~16と、防犯カメラを高輪署で一緒に見たことを綴ってゆくが、定番の「(タクシーから)引きずり出す」「彼女は山口氏に抱えられ」「自立歩行出来ず」「力なく引きずられ」等の表現が使われている。私は確信する。この陳述書はBBの草稿を横に置き、照らし合わせながら書かれている!
17 その後も数回、詩織さんに同行して高輪署に行きました。
警察の方は捜査をしながらも被害届を受理せず、詩織さんに諦めさせようとしていましたが、山口氏がワシントン支局長を解任された事を受け、警察の方は「今ならできるかも」と被害届を受理し、またタクシードライバーやベルボーイの証言が集まってきた事もあり、また山口氏を逮捕する方向に向かいました。
No.17の内容は、ベルボーイ(ドアマン)の証言にあった聴取時期の「事件から数か月経った頃」を打ち消す内容だ。
18 しかしながらその間も山口氏がTBS本社に戻ってきた時は、詩織さんが勤務していた隣のビルという事もあってショックのため、職場で電話中に気を失った事もあり、もしも山口氏と会ったらと思うと怖くて働きにいく事も出来ない、仕事に行ってもオフィスの外でランチをとることもできなくなった、と言っていました。また襲われた際に負傷した膝もすごく痛み機材を扱う仕事が苦しくなってサポーターと痛み止めは欠かせないと苦悩を抱えたままでした。
ちなみに、職場で電話中に気を失ったのは、カード会社に電話をしていた時だったと聞く。残高不足で停止ですか?職場からカード会社に電話?ロイターで無給で働きながら、どうやって生活費を得ていたのかは、ほんとうに謎だ。謎の多い女性である。
19,20,21,22から、逮捕状→逮捕中止→一課での再捜査の流れを、Kさんは随時報告されていたと分かる。捜査が本庁に移った時に伊藤さんは、
「でもここまで時間をかけて出せる証拠は全て出尽くしているのに何ができるのだろう。結局権力で事件をもみ消されるのだろうか」と悲痛な連絡を受けました。
全て出尽くしていると断言できたのは偏にA捜査員と一心同体だからだろうが、「権力による揉み消し」は当人の中では確定事項となっていると見える。A捜査員にとっても「権力による揉み消し」は疑う余地のない前提だったのだろう。
23 2016年の夏に彼女と京都に旅行に行きました。事件からは1年以上が経っていました。私が「最近具合はどう?」と問い掛けると「自分から事件の事を持ち出して話すのは凄く気が引けるから極力考えないように、大丈夫だと振舞っているが前の自分はもう殺されてしまった。全て変わってしまった。この苦しみがいつか消えるのか」と涙ながらに話してくれました。今思えばこの数日前に不起訴の結果を彼女は聞いていたはずなのですが、今までやってきたことが何にもならなかったというショックからでしょうか、この時彼女から不起訴の言葉は聞いていません。彼女から不起訴になったことを聞いたのは秋頃だったと思います。「自分でも不起訴と言う事実を受け入れるのに時間がかかってしまった」と言っていました。しかしやるべきことは全てやると気持ちを切り替え証拠開示の請求や検察審査会申立てへの証拠集めを始めるとのことでした。
24 2017年5月8日にコロンビアから帰国してきたばかりの彼女と再会しました。そこで彼女が検察審査会への申立の準備がほぼ整ったこと、週刊新潮の取材を受けた事から、自宅付近で不審な動きがあり自宅にいることが不安で、いろいろなことがあわただしくなり精神的につらい、という状況を知りました。
そんな彼女が心配だったので私は自宅に泊まらせる事にしました。それ以降、会見・インタビューを受ける際もずっと一緒に同行しました。なぜなら彼女の精神状態、体調があまりにも良くなく、食事、睡眠をとることができなくなっていました。インタビューでは事件の内容に触れ、PTSD、パニック症状を起こすこともあり、インタビュー後に倒れ近くの病院に連れて行ったこともありました。
私はほぼ24時間体制で彼女のケアに付きっ切りでした。
そして、それは現在も続いています。 以上
事件から5年。裁判を通じて、いくつもの事柄が明らかになった今、友人Kはどんな気持ちでいるのだろうか。気がかりな事の一つである。
伊藤さんの心理については、稿を改めて考察してみたいと思う。