八尾恵事件を知っていますか
~ 拉致加害者に加担した司法 ~
■八尾恵とは
1991年、一人の日本人女性がメディアを相手どって名誉毀損訴訟を提起した。すでにさかのぼること2年前に彼女は「北朝鮮のスパイとでっちあげられた。違法捜査を許さない!没収した旅券を返せ!」と国賠訴訟を起こしていた。後に「よど号」事件のメンバー・柴田泰弘の妻であり有本恵子さん拉致の実行犯であると自白することになる八尾恵である。
公安当局は日本に潜伏中の柴田を執念深く尾行し、柴田と接触する人物を洗い出していた。そうした地道な捜査の上に八尾恵が浮かび上がったのである。八尾が柴田と同じ乱数表を所持していたこと、Aスリーと呼ばれる暗号電波をキャッチできる高性能ラジオを所持していたことなど、公安は長期間の捜査によって八尾がスパイである証拠を掴んでいた。
聞き込み情報に則ってメディア各社は一斉に「八尾=北朝鮮のスパイ説」を報じたが、これに対して八尾が抗議の声を上げたのである。「私がスパイであるかのような虚報で名誉・信用を傷つけられた!」一連の名誉毀損訴訟の幕開けである。かくして八尾はマスコミを相手どり総計14件もの裁判を起こすこととなる。
■告発のゆくえ
華奢な女性がたった一人で国とメディアという強大な敵を相手に声を上げたのである。この行為を拍手で迎える者は後を絶たず、「夢見波」という名の支援組織ができて市民団体や運動家による支援活動は大いに盛り上がった。左翼勢力のみならず、多くの一般人ボランティアが八尾に絶大な声援を送り、90年には、事件の一周年記念集会が開催された。弁護士は手弁当で裁判を応援に駆けつけ、支援者たちも徹夜でマスコミ訴訟のための資料作成や、ビラ作成にあたるなど、労を惜しまなかった。
マスコミにも「権力の陰謀」をほのめかす者がいた。共同通信の斎藤茂男記者は『朝日ジャーナル』誌上で、「この女スパイ騒ぎ、もしかすると一方で北朝鮮バッシングに、他方で『だから国家秘密法は必要だ』の世論誘導に有効、と深読みした人が筋書きを作ったのだろうか」などと八尾の言い分を鵜呑みにして書いていた。
新聞各社との裁判は停滞を極め、4年の長きに及んだものの内実は不毛なものとなった。主要な論点は「八尾が北朝鮮のスパイであるかどうか」であったが、報道の「真実性」と「真実相当性」は、ひとえに公安情報に負うていたものの相手は機密のかたまり「公安」である。出廷して証言するなぞまず有り得ないことだった。無論、裁判という公開の場に当局が捜査で収集した物的証拠を出してくれることはなく、取り調べ段階の供述調書さえも法廷には提出されなかった。その上マスコミには情報源の秘匿という壁さえある。
八尾は恐らくそのような事情を熟知した上で胡座をかいたのだろう、堂々と「証拠を出して下さい!」と胸を張るのだった。
こうした八尾の前に裁判官は無力であった。後に敗訴したマスコミ側の一人が言うところでは「裁判長は工作員の実態や公安情報というものがまるで分かっていなかった。それで証言台であと”一時間でいいから説明させてくれ”とも言ったが、”あなた、もういいですから”と止められた」。またこうも言って唇を噛んだ。「私には警視庁に9年、警察庁に1年、都合10年という年月をかけて培ってきた公安当局の情報源があり、そこから詳細な情報を得ていました。国家機密にも属する重要な書類を見ることができる人物にも取材し、ひとつひとつ裏とりしていったのです」。ベテラン記者の憤慨は続く。「しかし、そのことをいくら裁判官に言ってもまるで理解はありませんでした。では、われわれが北朝鮮へ行って裏とりすることが可能なのか、いくら法廷で証言しても、我々の弁は裁判官に一顧だにされませんでした」。
たとえ彼女が事実「北朝鮮のスパイ」であったとしても、日本には「スパイ防止法」は存在しない。したがって私人である八尾に「秘密漏洩罪」が適用されるべくもないのだ。
かくして判決は被告の敗訴におわる。<報道により原告が北朝鮮の工作員であり、組織的な工作活動を行っていたとの印象を与え、原告の名誉を毀損する>これが判決の内容であった。真実を暴露した報道が工作員に負けたのである。
■そして正体暴露へ
ところが八尾は2002年3月になり、とつぜん態度を豹変させて爆弾発言を行う。「有本恵子さんを”獲得”して北朝鮮に連れ出したのは私です」、「指示したのは、よど号リーダーの田宮高麿です」。
この掌返しは、それまで”疑惑”の域を出なかった拉致事件が現実に起こったことなのだと公に知らしめ、また拉致事件に日本人極左革命家が関わっていたことを明らかにするものだった。衝撃の事実が明らかになった瞬間だった。
結果論で振り返れば、敗訴したマスコミ報道が正しかったといいうことだ。一連のマスコミ裁判で裁判長は、一個人の名誉毀損どころか、”拉致”という重大な人権侵害に加担し、日本国家そのものをも陥れた加害者を勝訴させたのだ。
八尾の暴露が切欠となって拉致事件は俄に現実味を帯び、問題は前進をみたが、しかし一方で八尾の掌返しは北朝鮮や元仲間のみならず、素朴な支援者たちをのけぞらせ、大いに傷つけるものであった。当然だろう。
自著の『謝罪します』で八尾自身がこう述べている。「私は、支援してもらうために、事実を隠し嘘をつきました。言えないことは「言えない」と明らかにした上で私に対する支援をお願いするべきでした。(略)私は、これまで支援してくれた人たちに、欺き、傷つけてしまったことを心から謝りたいと思います」。許されるわけがないだろう(笑)
晩年の八尾は孤独であった。実の娘からの非難も離反も当然で、よど号グループのみならず、かつての支援者からの激しい個人攻撃や誹謗中傷を受けて、現在の消息は定かでない。八尾がなぜ豹変する気になったかは不可解ではあるが、このようなやすやすと利用され、場当たりな感情論で掌返しを繰り返す人物など、誰からも相手にされず八方を敵にするのは火を見るよりも明らかだろう。
日本の裁判の汚点の1つである。