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最低の判決 (番外編)

- 裁判長、判決に異議あり!非常識裁判官 列伝-

今回は番外で門田隆将著『裁判官が日本を滅ぼす』から、非常識な判決を要約でご紹介。珍判決に頭クラクラ、まさかここまで・・・の連続です。🔶は筆者のコメントです。

■ サイコパスを解き放った無罪病裁判長

【事件の概要】小野悦男とは変態サイコの連続強姦殺人犯。'68年~'74年にの首都圏女性連続殺人事件の容疑者となり、その内1件の松戸市の事件で殺人罪で起訴された。'86年に一審で無期懲役判決が出たものの、'91年に無罪となり、刑事裁判の過程では支援団体ができて小野を支えた。小野は一躍冤罪ヒーローとなって持て囃され、支援団体を後ろ盾に、出所後には自白の強要を指弾する急先鋒となった。

小野は映画に登場するような生粋のサイコパスで、松戸の事件の捜査中に口から出まかせを次々とひり出して取調官を翻弄する様は、まるでユージュアルサスペクツの容疑者のよう。警察は(支援団体や人権は弁護士の手前)慎重にも慎重に捜査を進め、100の嘘から1の真実を根気強く選り分けた。捜査員は布団についた体液との照合が必要とあらば小野の唾液採取のため、廃品回収業者や日雇い労働者に変装してチャンスを待った。こうして涙ぐましい努力の末に、やっと確定的な証拠をつかんで一審有罪判決へとつながったにも拘わらず、続く控訴審で、なんと小野悦男は野に放たれてしまう。そして’96年に足立区首なし女性焼殺事件という新たな被害者が出る。遺体から切り取られた被害女性の陰部が小野の冷凍庫から発見されるという異常ぶりが露呈した。

【判決】小野を解き放った'91無罪判決の骨子は、「たびたび変転して、一貫性を欠く供述状況・供述態度等に鑑みると、その任意性に疑問を差しはさまざるを得ない」「供述内容が不合理に変遷している。」というものだった。小野悦男は最終的に'99判決にて有罪で無期懲役が確定したが、この間、支援団体からの謝罪と反省はついぞ聞かない。

☞ 東京高裁刑事12部・竪山(たてやま)眞一 裁判長の問題点:相手は「平気で嘘をつく」サイコパスである。裁判長は真実には関心が薄く、自白の任意性や信用性という青臭い正義感と浅薄なイデオロギーを優先した。(これは小野の弁護人の弁!)

🔶山口敬之さんはメールの一文のミクロな一点を「不合理な変遷」と見做され敗訴したが、小野悦男は変遷が犯人でない証左とされた。そもそも「合理か不合理か」を問えるのは常識人だけである。「自白の強要」を指弾する市民団体のポピュリズムに迎合し左翼団体に媚びたか、あるいは上級審での是正を見越して一時避難したフシもある。支援団体はいつの世も確信犯が愚かで無責任な大衆を扇動する。

■痴漢冤罪 同じ証拠で逆の結論

【事件の概要】大川青年(27・仮名)は、早朝の電車で高2女子に「この人、痴漢です!」をやられた。有罪率99.9%といわれた典型的な痴漢冤罪事件である。若く失うものの少ない大川青年は勇敢にも、自白と示談の誘惑を振り切り、不屈の精神で刑事裁判に立ち向かった。刑事裁判の過程で、なんと高2女子は母親までが共謀する「示談詐欺」の常習犯だと発覚。これまで5件の示談で計190万円の収穫を得ており、大川青年の前日にも「痴漢です!」をやっていた。こうして2001年、大川青年の苦闘が報われ、彼は見事に無罪を勝ち取った。

ところが、その僅か1年4か月後には検察が民事で控訴して逆転する。民事法廷には少女の過去の行状のほか、被害の根幹である供述も曖昧であったことも提出されていたにもかかわらず、須藤裁判長は黙殺したのである。

【判決】刑事裁判の苦労が水泡に帰した。裁判長の奇妙奇天烈な難癖つけは以下のとおりだ。・早朝の電車に乗っていたのが不審・大川青年が(気分が悪くなって)一時停車中の車外に出た時に、座席を確保するために荷物を置いておかなかったのが不審・電車内で手袋を脱いだのが不審・・・。誰が一時席を立つのに座先に荷物を置いたままにする?危ないではないか。電車内では手袋はふつう脱ぐだろうに裁判長はつり革が不潔という(苦笑)かくして大川青年は民事敗訴。おそらく原告(検察)を勝たせるための「結論ありき」の裁判だったのだろう。

☞ 東京地裁48民事部 須藤典明 裁判長の問題点:非常識な屁理屈。検察との癒着が疑われる。

🔶苦闘の末に勝ち取った刑事判決を、非常識な裁判官がいとも簡単に民事で破棄。些事にこだわる点は、伊藤山口裁判でのシャワーや伊藤がそそくさと帰ったことを同意無しの根拠とした鈴木判決を彷彿とさせる。メールのベッドA/Bに至ってはほとんど難癖だった。1つの迷判決が当事者を何年も拘束し、人生を狂わせるのを判決を言い渡す裁判長は自覚しているのだろうか。

■犯人が消えてなくなった仰天判決

【事件の概要】残酷なイジメが列島を震撼させた山形マット死事件である。1993年、山形県新庄市で男子中学生・児玉有平くん(13)が学校の用具室で、丸めて立てた体操用マットに逆さに突っ込まれた遺体で発見された。後の神戸の少年Aに先立ち、少年法改正への気運を醸成した記憶に残る事件である。

事件の5日後に7人の少年が逮捕・補導されたが、これら生徒は当初、全員が犯行を認めていた。ところが人権派弁護士の介入を境に、不良少年たちは鮮やかに手のひらを返して犯行の否認やアリバイを訴え始めた。裁判は、家裁~地裁~高裁と提訴→控訴が繰り返されて複雑を極めたが、最終的に2004年、仙台高裁が少年7人に5760万円の支払いを命じて決着する。少年らは上告したが2005年に最高裁は上告を棄却。上田豊三裁判上のGJ!で終了した。(だが2015年時点で任意の支払いに応じた元生徒はいないという。)

【判決】問題の裁判は'95年にご両親が少年と新庄市を相手どって起こした民事損害賠償訴訟である。7年間にもわたる審理の末に2002年、手島徹裁判長によって一旦出された結論とは、仰天の「事件性は無い」だった。こうして原告側の訴えは退けられたのである。

判決のロジックは呆れるばかり。すでに刑事で7名全員の有罪が確定しており、段ボール箱4箱分の証言があり、事件直後の第三者の証言もありながら、裁判長は<状況証拠のみでは被告元生徒らと本件事件の結びつきはおろか、本件事件のいわゆる事件性すら認定することはできない>、<証言が不合理に変遷している(ので犯人とは言い切れない)>としたのである。裁判長は有平くんが、暗い用具室に自分で入って行き、自分で電気を消し、自分でマットに入っていった可能性があると言っているのも同然だった。

☞ 山形地裁 手島徹裁判長の問題点:手島裁判長は山形に赴任した時に、記者団に対して「この事件を解決するからね!」と意気揚々と語ったそうだ。この事件のために特命で赴任したのだろうか。だとしてもそれは裁判所の命なのだろうか。少年法改正に反対する勢力とも考えられる。

🔶物証なく、状況証拠と証言だけで「同意の有無」を判決を下した鈴木昭洋裁判長とは対照的だ。「証言の一貫性」は、真犯人を逃がすためにも、真の被害者を犯人とするためにも、どちらの方向にも便宜的に使われるようだ。

■裁判上の真実は「本当の真実」とは無関係

【事件の概要】88年、公安からのリーク情報を基に各メディアが一斉に「八尾恵=北のスパイ説」を報道した。これは、よど号ハイジャック事件の関係者であり、後に有本恵子さん拉致の実行犯であると判明した女性、八尾恵の一件だ。有本恵子さん拉致を自供するには、そこから更に14年を待たねばならない。

報道を受けた八尾は名誉棄損訴訟を起こした。公安情報は正確だったが法廷に証拠提出できず八尾は裁判で有利になった。88年当時、偽りの訴訟を起こした八尾を支える市民団体や運動家、ボランティアは少なくなく、大手メディアを相手に華奢な一人の女性が自らの人権回復を司法の場に問うたのだから、女性解放運動家や市民団体などが放っておくわけがなかった。八尾には支援組織ができて、弁護士たちは手弁当で裁判を応援し、支援者も徹夜で訴訟のための書面や資料作り、ニュースやビラの作成・・・結局14件もの裁判が起こされた。最近どこかで聞いたような話だ。

なお、最終的に八尾は改心し『謝罪します』を出版して真実を語るが、偽りの訴訟の元支援者方面からも激しいバッシングを受けて、後世は全方位から孤立した。この頃はメディアがマトモに機能していて受難。

「華奢な女性が嘘をつく筈がない」。逮捕は'88年で八尾が有本さんを拉致したのは'83のことだから、振り返ると八尾恵の支援団体や軽率な大衆は、拉致の実行犯をせっせと応援していたことになる。裏切られたと怒るのもいいが、まずは乗せられやすい自分たちの軽率さを痛烈に反省するべきだろう。

【判決】判決で緒方裁判長は、<報道により原告が北朝鮮の工作員であり、組織的な工作活動を行っていたとの印象を与え、原告の名誉を棄損する>としてメディアによる名誉棄損を認めた。

緒方滋 裁判長の問題点:世事に疎く、工作員の実態や公安情報というものに対する無知な裁判官が、世間の応援団の声を反映して出した判決だが、司法研修所でテクニカルに詰め込まれる事実認定のスキルに頼り、「判決マシーン」と化していることも問題であろう。裁判長個人の問題のみならず、スパイ防止法が無いことが圧倒的に根本的問題ではあるが。

■医師も絶句する「医療裁判」の呆れた実態

【事件の概要】明らかすぎるほど明らかな医療ミスの事例である。中島英明氏は医師であり、かつて自分が勤務していた大学病院を相手取って損害賠償請求訴訟を起こした。原因は股関節「関節ねずみ」で、剥がれた軟骨が関節の中でチョロチョロするので患者は痛みを感じ、放置すると軟骨部分がボロボロになることもある。勤務先の病院でオペを行ったが、術後5か月を経過しても痛みは消えない。そんな事はまずあり得ず、手術ミスが疑われるもので、案の定、オペ時に靭帯を引っ張り過ぎていたことが判明した。ところが(整形外科医療の知識があればすぐに分かることなのだが)裁判所は俄知識を身につけるでもなく、自己正当化をはかる大病院の言い分のみを悉く採用。中島医師は最高裁まで闘うも軒並み敗訴。かつての職場と司法の双方に絶望した中島医師は、この件を切欠に「市民のための医療事故相談室」を主宰するに至る。

そこに相談を寄せて来たのが高田氏であった。なんと高田氏も中島医師と同じ病院で大腿骨(頸部)骨折のオペを行い、術後に異常が発生したというのだ。高田氏の場合は更に深刻な医療ミスで、なんと術中、患部を固定するための器具(クランプのようなもの)の装填忘れ!だった。あり得ない初歩的なミスだ。中島医師も医師としての意見書を提出して高田氏の訴訟を応援したが、実はこの件には裏話がある。中島医師はかつての職場で「大腿骨の接骨オペをやらせたら、骨頭がぐるぐる回って大変だったんだって。回転止めをしてなかったんだよ。アハハハー」という整形外科医長の話を直接聞いていた!なんとそれが高田氏だったのだ!

ところが、一審も控訴審も、鑑定書の言いなりで、訴訟は惨敗に終わった。この鑑定書もまた「大腿骨頭すべり症」(通常は若年齢層にしか発症しない)という恥知らずな、それこそ子供だましの言訳が書かれたものだった。もちろん鑑定医は出廷しない。出廷できる筈がない。

☞  高田氏の一審 東京地裁 民事26部 寺尾洋裁判長と控訴審 東京高裁民事12部 伊藤瑩(えい)子裁判長の問題点: 狭い医療の業界で、一つの大病院の鑑定を別の大病院に依頼しても身贔屓で正直な鑑定が出るとは限らない。そして裁判官は権威に弱く、専門外のことを自分の頭で考えて判断するよりも責任の転嫁先が目の前にあるなら鵜呑みにした方が楽なのだろう。

🔶 大腿骨頭頸部骨折ならプレート&スクリューではなく、特殊ピン等のより低侵襲の術式もあるし、結果的には骨接合術ではなくいっそ大腿骨頭置換術の方が良かったような糞オペ中の糞オペだ。整形のオペには実に多種の補助器械が段階に従って使用されるが、使用製品の販売業者がオペに立ち会うことも往々にしてあり、熟練した看護師のほか、業者が医師に機械の使用順序を現場で指導したりする。高田氏のオペでは術者のみならず誰もが経験薄かったのだろう。裁判に時間がかかるのは裁判官が専門知識を理解しようと努力しているからではなく、単に多くの案件を掛け持ちしすぎているからだ。

🔶 医療業界の村社会を知れば、伊藤-山口裁判で意見書を提出した整形外科医が「匿名」なのも腑に落ちる。マトモな内容だったが一顧だにされなかった。

■元検事も激怒した金融裁判のデタラメ

【事件の概要】これは、学究肌で周囲から高潔な人柄と評されていた往年の元検事が、銀行に騙されたバブル期の事件。検事退官後に弁護士事務所を営んでいた谷口正信氏が希望していたのは、今でこそ良く知られるRMS(リバースモーゲージ制度:自宅を担保に融資を受け、元利金の返済は借主死亡時に自宅を処分して相殺するもの)だった。

RMSを希望する谷口夫妻に、「よく似た制度がありますよ」と大手銀行の融資課長が言葉巧みに提案したのは、自宅を担保に融資を受け、その資金を元手にアパート経営するというものだった。希望とは違っていたものの、子供たちに相続税の心配をさせず、尚且つ日々の収入にも困らないというのなら・・・そこに「借入金は元利金と併せて20年後に一括返済」と銀行員に背中を押され、説得するのが不動産屋ではなく銀行であったことから、ご夫婦は乗ってしまった。「20年後の一括返済」は後に署名する契約書にもしっかりと書いてあった。ただ、気になったこともあった。契約時に行員の一人が「来月から17万円の持ち出しですからね」とうっかり口をすべらせてしまったのだ。「えっ?」驚いた夫妻に、行員は「いえいえ、それは登録料とかそういうもので、3月もしたらなくなります」と慌ててとりつくろい、同席していた全員が「そうだ、そうだ」と調子を合わせた。

トラブルが起きた後、夫妻が何度銀行に掛け合っても拒まれていた契約書の写し。そこには「20年後の一括返済」が書かれている筈だった。裁判の過程では当該契約書が提出され、そこには夫妻の思ったとおりの文言が書かれていた。「これで勝った」と思った夫妻の安堵もつかの間、判決は銀行の完全勝訴であった。根拠は契約書の誤記。谷口夫人は言う。「今の裁判官は裁判資料を読む気もなく、結果は最初から決まっているんです。2年後、質実剛健で法の正義を信じて実直に司法に仕えた谷口氏は病に倒れ、失意のうちにその生涯を閉じた。

【判決】バブルは今は昔の2000年、民事判決は銀行側の「契約書の誤記(?!?!)」というあり得ない言い訳を採用して、銀行側の言い分を全面的に認めた

☞  東京地裁民事37部 田中壮太裁判長の問題点: 「裁判官にとって退官後、大手銀行の顧問弁護士になるのは最高の花道で、すごろくの”上がり”みたいなもの。だから銀行と対立する見解を出すことなどほとんど無い。また、裁判官は狭い人間関係の中で生きているから、銀行の顧問弁護士との師弟関係も裏切ることができない。(これは谷口夫妻の代理人弁護士の弁)

🔶調子よく借りて借りてと頼みながら、都合が悪くなると剥がしにかかる銀行は、半沢直樹に倍返ししてもらいたい。裁判所は大病院に続き大手銀行とも癒着とは!

■無期懲役の殺人犯がまた無期懲役

【事件の概要】強盗殺人で無期懲役の者が仮出獄中に新たな殺人事件を起こし、無期懲役に戻っただけの件。横田謙二は幼いころから窃盗、詐欺、露天荒し等を繰り返した札付きのワル。’78の初犯は友人の父親の首を絞めて殺害し金を奪って逃走したというもの。この件で無期懲役となり、19年4か月服役した後、'98に仮釈放される。そして仮釈放中に新たな殺人事件を起こした。

殺害されたのは、横田の行きつけのスナックでアルバイトしていた嵯峨亜希子さんだ。横田の言い分は彼女が執拗に金の無心をするから口論になったとの事だが死人に口なしである。犯行様態は残虐きわまりなく、遺体を細かく切り刻んでビニール袋に入れ、荒川に遺棄した。その数は6袋にも上ったという。法廷での態度もふてぶてしく、サンダルをぺたぺた鳴らして入廷、股を開いて不貞腐れた様子で被告席に座る。検察が死体損壊の場面を読み上げる時には”しつけえなぁ”、”いつまでやってんだよ”とほざき、退廷時には検事に”たわけっ”と吐き捨てて出て行く始末。

【判決】それでも嵯峨さん殺害の一審判決は、また元の無期懲役に戻っただけだった。さいたま地裁の若原裁判長は前科の殺人を累積せず、単に被害者一人と勘定し、反省のかけらもない横田の態度を何ら考慮に入れなかった。無期懲役が無期に戻るなら、亜希子さんの死はまるで無駄死になってしまうではないか。「これからは罪をつぐなって、しっかり生きていくように」と裁判長は被告を励ました。判決後には満面の笑みで弁護人と悪手する横田の姿があった。被害者の父親は周囲を憚ることもなく、大声で泣きながら「この裁判はおかしい、何とかしてください」と検事に訴えたという。

最終的に2002年、東京高裁刑事5部の高橋省吾裁判長は一審の若原判決を覆し、厳しい文言とともに「死刑」を言い渡した。こうして4年の年月を経て曲がったものが正された。

☞  さいたま地裁 若原正樹裁判長の問題: 若原裁判長の経歴は、'72京大卒、'74に裁判官任官、大阪地裁から静岡、新潟地裁を経て'94に東京地裁判事となり、司法研修所共感を経て東京高裁判事、東京地裁総括判事を経て'99からさいたま地裁刑事部の筆頭裁判官となる。典型的なエリートだ。判例主義、前例主義、相場主義で、人間性を喪失して、情報をインプットしたら自動的に判決がアウトプットされる判決マシーンと化している。

🔶判決マシーンは人間的な背景事情を考慮しない。まずは組織人としての当人の保身があり、次に定式にあてはめて効率的に事件を処理することに注力する。伊藤-山口裁判で、予め結論を決めていた鈴木昭洋裁判長がメールの微細な失点に付け込んで「証言の不合理な変遷」の材料とした折に、背景事情(「妊娠」で恫喝されている最中)を考慮しなかったのもそれだ。本件では、若原裁判長もさることながら仮出獄させた側の罪も問いたい。

■遺族を怒鳴りつける裁判長

ここでご紹介するのは、人間性に首をかしげたくなる裁判長3例だ。

1つ目が「遺族を怒鳴りつける裁判長」。2002年、名古屋高裁の堀内信明裁判長は、傍聴席に座った遺族を怒鳴りつけたばかりか、意味不明な命令を強圧的に発して法廷を一時、独裁の場に変えた。被告の真後ろに遺影とともに座った娘さんは、'96に起こった中村区写真店夫婦殺害事件の遺族である。犯人は少年の頃から悪事を繰り返すワルであったが、覚せい剤を使用していたことから一審で罪一等が減刑さており、その是非を含めた控訴審だった。裁判長は遺影を持ち込んだ娘さんを「横に移動しなさい」と恫喝したあと、「どうしてダメなんですか、予め裁判書に許可は得ています」「早く横へ行きなさい!」「いままでずっとこの席でしたが」「遺族がどこに座っているかなんて知らないよ!」・・・と噛み合わないやりとりが続いた。「(移動とのことですが)遺影はいいんですか?」「なに?」「遺影のことなんですが・・・」「そんなのダメですよ」「でもちゃんと許可を取ってあるんです」「それなら聞かなくてもいいでしょう!」・・・思いがけないやりとりに傍聴席は水を打ったように静まりかえったという。最後は「当法廷では許しません!」で終わる。遺影の良し悪しよりも、遺族を遺族とも思わぬ独裁者ぶりに絶句する。

2例目は、バブル期の銀行がらみだ。住宅販売会社に騙されて名義貸しで巨額の負債を負った男性の調停の場だ。心労が祟ったか、病に倒れた男性の元を裁判官と銀行側弁護士が訪れて出張尋問がなされたが、当人は気の毒にも「あー」「うー」としか回答できず、裁判官も「ウーン、これは尋問になりませんね」と引き上げて行った。ところが一審では同尋問が採用されており、なんと認めてもいないことが認めたことになっていて敗訴。控訴審では病床の父親に代わって娘さんが和解交渉に応じたのも、当人なりに譲歩に譲歩を重ねた上だ。取り立てようとする銀行と当事者が同席する場で、裁判長が放った言葉とは。「この家を追い出されると住む所がなくなってしまいます。なんとか・・・」すかさず銀行側が「今すぐ返してもらわねば困ります」と応じる。東京高裁民事11部 井上稔裁判長が「そうだね」と援護。

「なんとかお願いです」、裁「返してもらわないと銀行さんが可哀想でしょう」、裁判長を睨みつける原告に「なんで睨むんですか、私は正しいことを言っているだけです」。そして極めつけが「でもそんなことをしたら、ウチの両親は自殺するしかないじゃないですか」そう切々と訴える娘さんに、「まあ、そうですね」「それってウチの親に死ねって言ってるんですか」「仕方ありません、ご勝手に。私たちは関係ありません」。さすがにここで娘さん側代理人が「なんですかそれは。それは言い過ぎです」と諌めに入った。弁護士によれば娘さんの事例の他にも、和解の席上で「これ以上年金から支払えば、(基礎化粧品の?)クリームひとつ買えなくなる」と訴えた老婦人に、「あなたはもう歳なんだから、クリームなんかつけなくてもいいだろう」と返した裁判官がいたという。

最後の事例は、気丈にも本人訴訟で闘った95歳のご婦人のケースだ。耳が遠いために法廷でのやりとりでは、どうしてもとんちんかんな答えをしてしまう老婦人に、裁判長は「嘘をつくとためにならんぞ」と心無い一言を放って睨みつけた。孫くらいの年齢の裁判長に罪人のように扱われたお年寄りは大変なショックを受けたという。目上の人や高齢者に対するいたわりや労いの気持ちを持たないタイプの人は裁判官に多いのだという。

■まとめ

鬼畜、人非人、法服を着た悪魔・・・そんな言葉が浮かんでくるが、どうやら現代の法廷はお白洲ではなく、大岡越前や遠山の金さんは居ない。

門田隆将著『裁判官が日本を滅ぼす』には、他にも「法廷で不正を奨励するエリート裁判官」、「少年法の守護人となったコンピューター裁判官」、「障碍者をリンチで殺した「感受性豊か」な少年」、「「言論取締官」と化した非常識裁判官たち」等、トンデモ判決が満載です。巻末の「書籍の廃棄を命じる裁判官」は著者自身の貴重な経験談です。ぜひご一読を、そして共に蒼ざめましょう!

読んでいて、エリートが集まる裁判所には一定数の”成功したサイコパス”が紛れていると思えてならないが、非常識の多くは当人の資質のみならず外界から隔離された裁判所という環境要因が作用しているように思われる。別の著者、瀬木比呂志は全国に散らばる裁判所組織をロシアの文豪ソルジェニーツィンの「収容所群島」になぞらえていた。

判決マシーンでは、筆者は政治哲学者ハンナ・アレントの「イェルサレムのアイヒマン」を想起した。元ナチス将校で大量のユダヤ人を収容所に輸送する事務処理を担ったアイヒマン。戦後、アルゼンチンに潜伏していたところモサドに見つかり、拉致されてイェルサレムで裁判にかけられる。(東京裁判同様、この裁判そのものにも問題が多々あるのだが)アレントが傍聴した法廷でのアイヒマンの実像とは、想像していたような悪の巨塊ではなく、小心で有能な官僚であった。彼は”命令に従っただけ”と嘯いたが、それは一面の事実であり、彼は囚人を人間ではなく単に「記号」としてしか認識しておらず、関心事はいかに効率的に輸送するかだけであった。彼の場合は当時の法にも従っていたため定言命律の問題を孕み、司法にとっても大きな問題を内包しているが、アイヒマンのエピソードは「歯車」、「悪の凡庸さ」として名高い。

日本で、司法研修の後で裁判官に任官されるのは概して頭脳明晰で素直な青年たちなんだそうな。従順で染めやすい白紙ということか。

次回は本編に戻って、いよいよ第二回「鈴木昭洋裁判長の分析」、続き第三回は「司法の問題点」を予定しています。乞うご期待!