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もうひとつのBlack Box

タス通信 【ゴールデンウィーク特集】
スクープ!第3段は「新潮による伊藤詩織さんへの取材」

最初期に伊藤詩織さんは週刊新潮に何を語ったのか!

本邦初公開!

特集の第1段は中村格氏を、第2段(前・後編)ではタクシー運転手にフォーカスしました。さて今回はGW特集の総集編!

ご本人の取材内容です。一部ポイントを画像で先行ツイートしたものの全容がこちら。新潮社による取材の全体像をどうぞ。Black Boxの原型がここに!

2017年5月5日(木)
取材法: 新潮社別館第5会議室にて対面取材
取材先:伊藤詩織(匿名)

<引用はじめ>

 2015年の頭に日本に帰国してからはロイターで毎日インターンとして働くようになったんですが、二か月くらい経つと会社の中ではなくフリーランスで働きたいと考えるようになりました。そのことを両親に相談したら、これまで経済的にも健康面でもギリギリでやってきたことをとても心配され、「お願いだから二年間は会社員として働いてくれ」と言われてしまい、人生で初めて親の意見を飲み込むことにしたんです。しかし、ロイターでは希望するポジションが空かず、インターンから自給計算で働く勤務体系に変えたりもしたんですが、なかなか正社員になることができませんでした。同じ業界で正社員として働けて4月以降も採用してくれるところはないかと考えていた時に、山口がアメリカで知り合った際に「いつでも連絡して」と言ってくれていたことを思いだしたんです。私はよく話す性格なので、出会った当初から山口は「ワシントンに来てくれたらインターンでもなんでも採りたいな」と言ってくれていました。社交辞令で言ってくれているだけなんだと思いつつも記憶に残っていて、とりあえず連絡してみようという軽い気持ちで「仕事を探しているんですが、空いているところはないですか」とメールを送ってみました。すると、「日本テレビのNY支局長からもあなたはすごく良かったと聞いているので、やる気であれば真剣に考えます」とすぐに返事をくれました。その後もやり取りをして、
(*以下、網掛け部分は山口から送信されたメールより抜粋。文章ママ)


▼「インターンなら即採用だよ。プロデューサー(有給)でも、詩織ちゃんが本気なら真剣に検討します。ぜひ連絡下さい!」(2015年3月25日)▼「まずはこっちに来てフリーランスとして契約して、しばらく仕事をしてもらいながら正式な採用に向かうという手もあります。このやり方なら私が決済できます。(2015年3月25日)▼「最大の難関はビザだね。TBSで支援する事も可能ですので、検討してみます。ところで、ヤボ用で一時帰国する事になったんだけど、来週は東京にいますか?」(2015年3月28日)▼「来週後半、空いてる夜ある?」(2015年3月29日)▼「金曜日明けといてもらえますか?なんか奢ります」(2015年3月30日)▼「あと、今売ってる週刊文春に僕の寄稿が掲載されているから読んでおいてね。また連絡します」(2015年4月1日)
という流れで、2015年4月3日の夜、恵比寿で会うことになりました。

 当日、私は取材をしていて待ち合わせ時間に一時間程遅刻してしまいました。でも、これまで山口と会ったときは二回とも別の方が一緒の複数人でのお食事だったので、今回も誰か他にいるから大丈夫だろうと思っていたんです。でも、山口が恵比寿駅の西口まで迎えに来てくれて、それまで飲食していたお店へ案内してくれたとき、はじめて今回は山口と私の二人きりなんだと分かりました。ですから、会ったのは三回目ですが二人きりで会うというのはその時が初めてでした。一軒目のお店は『まくら とよかつ』という串焼き屋さんで、山口は19歳の時からお父さんと来ている店だと言っていました。そのお店で私は串焼きを5本だけ食べ、瓶ビールを2本、シェアして中くらいのグラスで2杯飲み、あと小さなグラスワインを一杯飲みました。私が遅れたこともあってその店にいた時間は短く、仕事の話もほとんどできませんでした。「もう出ようか」となったとき、おかみさんが「いつもの飲むコレ、用意してるのよ」っておっしゃったので、じゃあ悪いから、ということになって、かなり大きな赤ワインのボトル(*多分『赤玉』とのこと)を開けてそこに居た他のお客さんにも振舞っていました。

 一件目(ママ)を出てから山口が、「僕は明日帰るんだけど、恵比寿には顔を出さなきゃいけない店がものすごくあるから、悪いけど付き合ってくれ」というので二件目(ママ)に行くことになりました。二件目に連れて行かれた『喜一』という寿司屋さんもよく行く店で、女将さんとも30年来の付き合いだと言っていました。二件目に入ってから、「良い評判を聞いていたので一緒に働きたいと思っていた」「ビザのことが一番難しいね」など、やっと少し仕事の話ができたと思います。でお、その店に入った時点でもまだ頭はすごくクリアでしたが、トイレに行くため二度席を立ち、その二度目のときに頭がクラクラしていることに気付いてトイレの給水タンクに頭をもたれかけ(ママ)て休んだきり、全く記憶がないんです。私が覚えている限りではお刺身と日本酒の一合の徳利を2本と思います。それから、たまたま芸能人のさかなクンが同じお店にいて、ちょうど葛西臨海公園でマグロが大量死したニュースを担当したこともあり、声を掛けるか掛けないかという話をしたことくらいです。後は全く覚えていません。

 私はもともとお酒にはとても強く、酔って記憶をなくした経験は今まで一度もありません。普段は友達と二人でワインボトル三本空けても全然平気でいられるのに、あの日は二度目のトイレ以降全く記憶がなく、身体に痛みを感じて起きた時にはあの人が身体の上に乗っている状態でした。あの日くらいのお酒の量で、しかも仕事の席で記憶をなくすほど飲むということは普段なら絶対にありえません。だから、私は薬を入れられたんだと思っています。アメリカではやっているレイプドラッグは、飲むと最初の二時間はすごくハイになって喋るけど本人は全く記憶がなくなるものだそうで、私の時とすごく似ているんです。『喜一』の女将さんの証言でも、私は元気に話していたそうですが、私は全く覚えていないので。

 他にも女将さんは、私たちは日本酒の徳利を二合以上飲んでいたし、23時頃に仲良さそうに出て行ったと証言しているんです。でも山口と面識のあるお店の人ですから、証言というのは山口寄りのものなんでしょう。

 私たちを乗せたタクシー運転手の男性(■■■■・■■■さん)の証言では、私が「駅で降ろして下さい、帰ります」と繰り返し言っているにも関わらず、山口は「いいじゃないか、いいじゃないか」というかんじだったそうです。そういう会話を聞いていても、運転手さんは駅ではなく山口の言う通りホテルに来てしまったんですが、私が車の奥(運転手の後ろの席)に座り車から降りようとしなかったため、山口が私を(ママ)手を引っ張って引きずるようにして降ろしたそうです(*ホテルの防犯カメラによるとこの時の時刻は23時22分)。それから、これも全く記憶にないんですが、私は社内(ママ)で嘔吐してしまったらしいんです。エチケット袋とかにではなく、直接車内に、と聞いています。吐いた物が水だけだったようで匂いがなく、運転中は気が付かなかったそうなんですが、私たちを降ろした後に「やられた」と思い、車を降りて歩いている私たちに声を掛けたらしいんです。でも、私は気が付かず行ってしまった、と。そういうこともあって私たちの会話や行動を覚えていたんでしょうね。タクシーの営業所は等々力(*正しくは■■営業所のことのようです)?だった気はします。(運転手の名前は)■■さんだったと思います。なぜか、ここには■■営業所と・・・・(それが正しい情報です)。〇〇(転記者注:A捜査員のこと)さんから聞いたことなので・・・・。これを(弁護士に)メールしているのは2016年の7月15日なんですけど。(下の名前は)ここに書いてないですね。

 起きた時は早朝5時頃で、痛みで目が覚めました。相手が跨っている状態で、すぐに抵抗してトイレに逃げ込み、まず状況を考えました。なんで自分がそこに、裸で、いるのかが全く分からなくて。体中もすごく痛くて。でも起きた瞬間から頭はすごくクリアで、二日酔いという感覚は全くなく、すぐに動ける状態でした。ベッドの上に彼のノートパソコンが開かれた状態で置かれていたのも覚えています。直感的に「撮られているんだ」と思いました。すぐにトイレから出て帰ろうとしたんですが、そのまますごい勢いでベッドに顔と体を押さえつけられました。すごく力が強かったです。なんとか抵抗して二回目のレイプをされることはありませんでしたが、

私はすごく怒って、日本語でどういう風に罵ったらいいのか分からなかったので、“What a fuck are you thinking?” “What do you do this?” “I talk we will gonna support to work together, and plus, you are not using any condom. What if (you) I get pregnant, and how can I go to Washington, D.C. if I get pregnant?”とか、とにかく感情のままに思ったことを英語で言いました。

 起きた時にはコンドームなどの避妊具も一切付けていなかったので、これから一緒に仕事をしようという話だったのに、どういうつもりで、どういう神経で、こんなことをするのかと罵りました。しかも避妊具もつけないで、妊娠だって病気だってあるだろうし、何を考えているのかと。彼も英語を話すので、私が言ったことは理解できたと思います。その場では日本語でも英語でも「ごめん」と謝ってきたんですが、「君のことが本当に好きになってしまって」「早くワシントンに連れて行きたい」とか、言ってきました。結婚しているとか子供がいるとかは当時知りませんでしたが、そもそも年上のオジサンですし、働くために会っているだけで私は恋愛対象として考えたことは一度もありません。向こうもそれまで一切そういう雰囲気じゃなかったので本当にただただびっくりというか・・・・。それから、「これから7時にチェックアウトをして空港に向かうので、シャワーを浴びたら一緒に薬局に行ってピルを買いましょう」と言われました。でももちろんピルなんて処方箋がないともらえないものですから、それを言われたとき、この人はこういうことをもう何回かやっている人なんじゃないかと思いました。そんなこと(*一緒に薬局に行くなんて)できないと思って、「とにかく服を返して下さい」と言ったのに、最初は全く服を返してくれなくて・・・・・・「下着だけでもお土産でもって帰ってもいいか」とか、「いつもは強気なのに、困ったときは子どもみたいで可愛いね」とか、そういうことを言われたのを覚えています。相手はずっと落ち着いていました。やっと服を返してもらったんですが、確かに嘔吐したようで私の着ていた黒い服が濡れていました。そうしたら「これを着て帰りなさい」と自分のTシャツを差し出されました。とにかく服を着てすぐに帰りたかったので、そのTシャツを着てすぐに部屋を出て、タクシーに乗って帰りました。

 その日着ていた服はほとんど全部捨ててしまいました。(*捨てていなかったことが判明。後述)翌日に当時住んでいた明治神宮の家の近くの婦人科に行きました。土曜日でしたが、とにかく早くピルをもらわなきゃ、と思ったんです。その病院がブライダルクリニックみたいな綺麗な病院でちょっと違うかなと思ったんですが、緊急なのでお願いしますと頼み、薬をもらって飲むことができました。でも、そこの先生に会った瞬間に、「失敗したのね。何時ですか?」って訊かれて、それで、そこから他人に自分の経験を言えなくなってしまったんです。普段は何でも話すタイプなんですけど、このことについては他人に言うのに時間がかかりました。

 その理由のひとつに、私は仕事の関係で相手と会っていたと思っていたけど、たぶん相手には初めからそういう(性的)対象で見られていたことが悔しかったんです。それで、ああ、もうこのことは気にしないで、どんどんどんどん先に進んでいかないと、この世界ではやっていけないんじゃないかといういふうに思ってしまったんです。それと・・・・・普通に会っていたときも、「ここのお店で前首相とごはんを食べた」「このお店でも・・・・・」と、政治の中でもかなり強いコネクションがあるということを話していたので、今私が警察に話をしに行っても聞いてもらえないんじゃないかと予想できましたし、私が今からやろうとしている仕事もできなくなるんじゃないかと思いました。なので、このことは忘れて次に進んだ方がいいんじゃないかという感情と、そういう事実があったと自分でも認めたくない感情があって、他人に話すのに2~3日かかりました。でも、自分は真実を伝えていく仕事がしたいのに、ここを隠したらたぶん自分の中でずっとツイストしてしまうなと思って、話す覚悟をしました。

一番初めにしたことは、日本語の上手い友達に頼んで山口にメールをしました。色々と会話をする中で山口にしたことを認めさせようと思ったんです。結局レイプを認めさせることまではできませんでしたが、性交渉があることは認めました。

▼意識不明のあなたに私が勝手に行為に及んだというのは全く事実と違います。私もそこそこ酔っていたところへ・・・(略)全く納得できません」(2015年4月18日)▼「あなたが妊娠するという事はあり得ないと考えています・・・(略)・・・出来る事は喜んでします。(同日)<伊藤さんから妊娠の可能性がないと断言できる理由を問われ>▼「私はそういう病気なんです」(2015年5月8日)▼「精子の活動が著しく低調だという病気です」(同日)

 はじめて警察に行ったのは4月9日で、まずは家の近くの原宿署に行きました。レイプされたのが4日の朝だったので5日かかったということですね。

 システムが分からなかったので、同じ話を別の人に何度か話しました。その後4月11日に、私が山口に連れて行かれたホテルは白金にあるシェラトン都ホテルで、そこは高輪署の管轄になるから、と聞かされ、原宿署で高輪警察から来た〇〇警部補と初めて面会しました。〇〇さん、今はすごく協力的なんですが、当初の対応はとてもひどかったんです。初めから「話は聞きますが、こういうことはたくさんあるから何もできません」と言われました。もちろんそれでは納得がいかないので、4月15日の面会時に、「きちんとしたホテルだったから監視カメラがあるはずです。映像が消えてしまう前に一緒に観に行って下さい」とお願いして一緒にホテルに行き、ホテルのエントランスとロビーについていた監視カメラの映像をテレビ大のモニターで一緒に観てもらいました。二階以外には各階にも監視カメラが付いているんですが、彼の泊まっていた部屋が二階だったので、映像はその二台で撮ったものだけです。〇〇さんはそれまで全く私の話を取り合ってくれませんでしたが、私が引きずられて連れて行かれる映像を観て、やっと事件性があると認めてくれました。

 後日弁護士の方に頼んで、ホテルの方にこの映像を頂けないかと頼んだのですが、ホテルの弁護士の方には他の方も映っているので裁判所経由でないと渡せないと言われ、手元にあるのはコマ回しの写真だけです。でも、映像は保管してもらえるようにお願いしてあります。

 TBSだからすぐには(対応)できないと言われてしまいましたが、その後は高輪署に通って何度も調書書きました(ママ)。〇〇さんも圧迫的なかんじで、「何時何分にレイプされたか」がすぐに答えられないと、「ほらね。こういうことを後で訊かれて答えられないんだったら分かってもらえないんだから(被害届を)出す意味もないよ」と言われて、カメラの映像を観た後もなかなか被害届を受理してもらえませんでした。長時間過ぎて何時間高輪署で話したか分かりません。一番最初にお話しした時で終わればいいのに、同じ話を何時間、何人のひとにしたか、わからなくて。

 事実確認のとき、人形を使ってそのときのことを再現しなくてはいけないこともあって、そういうのも警察の方は全員男性だったので本当に苦痛でした。ねえ。ふつう(もっと気をつかう)。何のためにっていう。そういうところにもすごく疑問があって。そういうやり方ももっと他から勉強してもらわないと、警察に行ってもどうにもならない犯罪なんだと諦めてしまいます。私は親友に同行してもらえたのが幸いで、そういうときも一緒の部屋にいてくれるだけで本当に助かりました。でも、一時期は彼に似ている人を見るとパニックになってしまうくらい精神的に不安定になって、病院に通ったり眠れる薬をもらったりしたこともありました。でもロイターはTBSの傘の下にあるので、彼が日本に帰ってきて営業部に移ったと聞いたときには、ランチで外に出ることもできなかったですね。会ったら何て言おう、どう話そう、とずっと考えていました。

 ホテルから帰った後、パニックになって色々なものを棄ててしまったんですが、ブラだけ奇跡的にクローゼットの隙間に残っていたんです。そのブラから出たDNAが山口のものと一致しました。その科捜研の鑑定書もあります。(*DNA鑑定書に提出した衣類・下着の写真あり)あれ?すみません、捨てていなかったんだ。でも、当日のものをそのまま持っているという事は絶対になかったので、すごく洗っただけだったのかな。そうだ、同じような物を何枚も持っているからどれか分からなくて、(下着は)3枚出したんだった。そのうちのひとつからDNAが出たんです。

 タクシー運転手とベルボーイの証言、ホテルの監視カメラの映像、ブラから出たDNAという証拠がありますし、警察では「撮られているかも、じゃなにもできない」とは言われていましたが、もしかしたら(本当に行為中の映像が撮られていて)証拠があればその証拠隠滅の恐れもある、逃亡の恐れもある、ということで逮捕状が発効(ママ)されました。発効日(ママ)は分からないのですが、私がその連絡の電話をもらったのが6月4日でした。

 当時私は仕事でベルリンにいたので日本時間は分かりませんが、ベルリンではお昼頃で、「逮捕したらあなたに話を聞かなくてはならないので、すぐに帰国できませんか」と言われました。「6月8日に山口が帰国するのでそのタイミングで、成田空港に降り立ったときに逮捕する」という事でした。でも、6月8日に〇〇さんからかかってきた電話で、「本当に申し訳ないけれども、警視庁のトップからストップがかかり逮捕できない。山口が目の前を通っているけれど逮捕できません。自分もM検事もこの件の担当を外れます」と言われました。すぐに警察庁に電話しましたが、もう担当ではないと繋いでもらえませんでした。当時、今後この件については〇〇さんの上司に引き継がれると聞いていたんですが、それから一週間くらい経ってから、「この事件は警視庁本部の第一課に異動されることになった」と言われて、そこで、正攻法で行ってもダメなんだと思いました。理由は「捜査が足りないから」と言われましたが、その時点で6月になっていましたからこれ以上証拠が出てくることもないと分かっていたはずです。元検事の叔父に相談したところ、「逮捕状がなくなるなんて異例すぎるから、担当してくれる弁護士を連れて警視庁に行き、逮捕状がどこにあるのか訊いて来なさい」と教えてくれました。それを投じ(ママ)担当してくれていた先生に頼みましたが、「そういうことはできない」と断られてしまい、その後私がホットラインで見つけた先生とロイター時代の知り合いが紹介してくれた先生がたまたま繋がっていて、今後の為にもチームで動いて行こうという事になって、今もその二人の先生に担当してもらっています。

 山口が書類送検されたのは8月で、そのあとK検事と初めて面会しました。M検事とは電話も面会もしたことがなかったので、検事と話すのはこれが初めてでしたが、K検事はM検事から何も引き継がれていなくて、私が6月8日の警察庁に電話をしたことも知らず、申し訳ないと言ってくれました。その日は調書をとって捺印したはずです。私の二度目の面会は2016年6月20日付けで山口は不起訴となり、その連絡が私に来たのは7月27日です。検察から弁護士から私、という連絡順だと思います。

 6月8日に山口を逮捕できなかった電話を貰った時、日本の正式な捜査機関ではできないことなんだと思いました。その時点でメディアに頼るという選択肢も視野に入れて色々な方法を考えましたが、一応まだ捜査中だったので、公表したら本当に捜査に影響が出てしまうよ、と弁護士の先生に言われすごくすごく我慢していました。でも書類送検になったというだけでもニュースになると思い、信頼できる人(*清水さん)に相談したんです。

 一連の流れの中で警察に対しておかしいと思っていることが、大きく三つあります。一つ目は〇〇さんがすぐに被害届を受理してくれなかったこと。二つ目は発効(ママ)された逮捕状が執行される直前に取りやめになったこと。そして三つ目は警視庁一課に面会に行った時のことです。二度目の面会時に一課の刑事から「山口側の弁護士から示談の話があります。あなたも弁護士が必要でしょうから、今から紹介します」と言われ、そのまま男女二人の刑事に付き添われて弁護士の下へ連れて行かれたことです。警視庁から警視庁の車に乗って弁護士事務所に行き、警視庁の人もいる部屋の中で女性の弁護士、確か■■■さんという方だったと思うのですが、その方を紹介され、「こういうことはとても難しいケースだから、ぜひ示談にして下さい」と言われました。でも、当時私は既に自分で弁護士を探し始めていましたし、伯父(ママ)からのアドバイスもあったので、警視庁の方に一度席を外してもらい、私が警察を信用できてない理由をその弁護士に伝えて、一緒に逮捕状があるか訊きに行ってもらえないかと頼みました。でもその人には「私が出来るのは示談のお話だけです」と断られました。ああ、やっぱりこの人は警察と繋がっている人なんだなと思いました。状況を考えればもうわかっていたことだったんですけど、目の前に現れた弁護士だったのでつい全部話してしまいました。この三点は、警察に対してすごく変だと思っています。

 今でも悔しいと思っていることが一つあります。山口の部屋はシングルベッドが窓側と壁側に二台あるツインルームなんですが、私が目が覚めたときにいたのは壁側のベッドの上で、窓側のベッドは確かに未使用だったんです。これについて、山口が泊まっていたホテルの部屋を掃除したと思われるフィリピン人の女性従業員の証言があり、「一つのベッドはベッドメイキングした状態のままで、もう一つのベッドのシーツには血がついていた」と言ってくれていたそうなんです。でも、山口はメールのやり取りの中で、最初は私を介抱したくてホテルに連れてきて別々のベッドに寝ていたけど、私が起きて裸のまま自分のベッドに入って来たんだと言っているので、従業員の人の証言とも私の記憶とも噛み合っていないんです。

▼「ゲロまみれのあなたのブラウスとスラックスを脱がせ・・・・(略)・・・私の寝ていたベッドに入ってきました」(2015年4月18日)

 当時はその女性が「“多分”その部屋の掃除をした」と言ったため、証言にはならないと見過ごされてしまったんですが、私の中では、唯一メールと違う点ですし、掘り下げられるとしたらここだったんじゃないかと思うと。なんで当時言ってくれなかったんだろうと思ってしまいます。

 血に関してはどこからどうやって出たものなのかはっきりわからないんですが、あとから自分で気が付いたことは、まず乳首からすごく血が出ていたことと、右膝がすごく痛かったことです。膝の診断書はとりましたが、どういう風に怪我をしたのか覚えていないのであれば山口に負わされた怪我だと証明できないのでダメだと警察に言われました。血は性器から出ていたのかもしれませんが、初めに間違った婦人科に行ってしまった経験があったので、きちんと調べてくれる小岩の病院に行って診てもらったんですが、そのときすでに5日以上経っていたので、膣内には傷はもうないと言われました。なので罪状が強姦致傷ではなく準強姦なんだと思います

 山口は常に自分の人脈を自慢していました。歴代の首相の名前を出して、恵比寿での食事の際も「この前もここで誰々さんと飲んだんだよね」と。鳩山さんと安倍さんの名前をよく出していたのを覚えています。逮捕状が執行できないと聞いたとき、やはり彼の政治力が影響していると思いましたし、彼にとって一番話題になったのはやはり慰安婦問題の記事で、ちょうどそれが世に出たときに、書いた記者が強姦をするという事が知れるのは安倍政権にとって良くないんではないかと・・・・・・。なので、彼個人というよりかはそういう背景があるんじゃないかと思います。山口も警視庁で事情聴取を受けたと聞いていますが、6月8日以前には逃亡の恐れがあるという事だったので高輪署では事情聴取をされてないと思います。なので、山口は自分に逮捕状が出ていることは知らずに成田に帰国していたんだと思うんです。山口の帰国日程を知るために警察からTBSに連絡をしているはずなので、TBSの広報には逮捕状が出ていることは知らされていたと思いますが、本人には知らされていなかったと思います。

 一連の経験で、警察にしても病院にしても、強姦や準強姦について何も知らない。法改正されて名前が変わりましたけど、少しでもそこが変わらないとまた同じようなことが起きてしまうと思うんです。きっと彼もまた同じことを、もしかしたら今も同じようなことをしているかもしれない。なので、今回私はたまたまこの人から被害を受けたけど、個人を攻撃したいというよりも、何かシステムを変えるのに貢献できないかなと思っているんです。まだ何も形にはできていないんですが、このことについてまとめて自分で書きたいなという気持ちもありますし。一番効果的なタイミングと方法でできれば何かとためになるんじゃないかと思っています。でも早い方がいいとは思っています。もう二年もたちますしね。民事訴訟や警察審査会(ママ)は今年3月にやろうと思っていたんですが、私の仕事の関係でできませんでした。本当は、最初は法改正があった時(今年3月7日に刑法改正案が閣議決定)に合わせて、実名と顔を出して記者会見をやろうと思っていたんです。

 最近、彼はよくテレビに出ているみたいですね。私、仕事で日本を離れていたのでよかったと思います。あの顏を毎日テレビで観るのはゾッとします。(もう当時ルームシェアしていた部屋は)すぐにそれは(引き払いました)。(事件があった当時の)その時の場所(住居)に行くのも嫌で。友達が一ヶ月くらい泊めてくれたので。(メールについては、そのやりとり以降は)ないです。ただ、途中で山口が一時帰国している時があって、そこで(山口が私と)会って謝る音声が撮れないかと思って電話をした時が一瞬あったんですけど、向こうが公衆電話しかかけられないみたいな感じの。そこの会話は(たぶんない?)。できれば一度、弁護士の方とお話してもらってからというのがあるんですけど。もちろんすべて事実なので。ただ、まだ確認取れていないところだけ(公表しない点は)気をつけていただきたい。
                          <引用おわり>