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世の中には三種類の人間がいる

最近、ついこんなことを考えがちです。
世の中には三種類の人間がいるな、って。

ズバリ「強者」「強い弱者」「真の弱者」です。

(色々と語弊があったり、クソみたいな思考回路してるなって思われるかもしれませんが、所詮は私自身のイカれた考えの一つなので、その部分は何卒ご勘弁ください)

「強者」と聞いたら政治家とか有名人かな?と思いますが、率直に言うと「一般人」です。
世間一般的に「普通」ってカテゴリに入る類の人達は、何だかんだ言って「強者」です。
逆を言えば、それだけ「普通」に過ごすのが難しい時代になってしまったわけです。

次の「強い弱者」ですが、世間的に「弱者」だと認知されてる人達。
(基準はそれぞれに偏りますが)例えば女性やお年寄り、子供や、貧困層、最近流行りのLGBTQなんかも「強い弱者」に当てはまります。
世間的に弱者だと認知されていて、世間から同情を買ってもらいやすいポジションなので。

それじゃ「真の弱者」とは何か?
ズバリ言うと弱者だと認められてない、下手をすれば存在自体世間的には知られていない可能性のある「その他大勢」が当てはまります。
例えば私みたいな、個人事業を失敗した中年派遣とか、引きこもりニートとか、もしかしたら私すら知らない弱い立場に追いやられている「弱者男性」なんかも、この分類に入るかもしれません。

真の弱者が真の弱者たる所以とは「弱者にもかかわらず、誰にも手を差し伸べてもらえない」点です。
本人は切羽詰まった状況にもかかわらず、本来なら「強い弱者」と同様、弱者として同情を買ってもおかしくない存在のはずなのに、誰からの援助も得られない、下手をすれば認知すらしてもらえず「自己責任」だの「自業自得」だの「他責」だのと言って強者から存在を拒まれる。

これ以上の悲劇があるでしょうか?

以前の私、中年派遣になる前の私なら、こんな思考回路には至らなかったかもしれません。
もし少しでも足を踏み外してしまえば「明日は我が身」だったかもしれないのに、ほんの少しの気の緩みのせいで、こんな事態を招いてしまった自分自身を呪います。
そのせいで「希死念慮」が未だに治らないのですが。

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