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入院8日目


 どうしても文章に残しておきたいことがあった。なので、かなり早めだがこの感動を鮮度あるままに残そうと、14時ごろから書き始めている。


 先ほど、父から荷物が届いた。事前連絡もなしに突然だったので宅下げも特になく、本当によく来てくれるなあと思っていた。何か日用品を頼んだ覚えもなかった。

 もともと父は足を悪くしていた。

 それでも、僕の入院生活が始まってからあらためて自転車整備を始め、家から自転車で何度も通ってくれた。移動手段としての電車はパニック発作のようなものがあってから使うことを極力避けているのは一緒にいて理解していたが、それでも足が動かない中での自転車通いは父らしくてブッ飛んでいると思う。

 ある日は、昼に看護師経由で荷物が届き、家に着いたという知らせが届くのが消灯直前の21時ごろだったりと、こちらが気が気でない。だが、お前は病気だけ治せ、足りないものがあれば一個でも届けるから気を遣わないでなんでも言え、と言う。


 本が二冊だけ、届いた。

 読みたいと頼んでいた「[新版]日本国紀」の上下巻。

 開くと、僕の名前宛で百田尚樹先生のサインが入っている。日付は「2021.11.23」――今日である。

8_日本国紀

 急いで今日の虎ノ門ニュースを見返すが、父の姿は見えない。祝日だからものすごい観覧の数。何度か観に行ったことがあるからわかるのだが、虎ノ門ニュースのCMの合間と収録後、百田先生がスタジオから出てきて観覧者が持参した本に次々とサインをしてくださるのだ。

 ここに、足の悪い父は――おそらく兄の付き添いはあっただろうけれど――いたのだろう。

 感謝を伝えると、「カバーの裏にもメッセージ」というLINE。

 『元気になって、また逢いに来て下さい!!』

 これも百田先生の文字。「会う」じゃなくて「逢う」に温もりを感じる。

 父に聞いたところ、今日は人が多すぎて名前すらも省略されるなか、相当ゴリ押ししたら書いてもらえたとのこと。そりゃあ、たぶん百田先生の印象にも残ったでしょうよ。本当にありがとうございます。


 こういった興奮することがあると、小学生のようにすぐに熱が上がってしまう。心拍も少し高くなっていたらしく、心配そうに看護師が顔を覗かせにやってきた。

 ここのところ微熱とダルさが続いているので、ひたすらお茶を飲んで、アイスノンで頭を冷やし、床に伏していることが増えた。昨夜はステロイドで寝れないかと思いきや、抗がん剤投与の疲れが上回ったのか、消灯後死んだように眠っていた。それから起きても、ずっとベッドで横になっている。


 昨夜から数回、鮮やかな血尿が出た。抗がん剤の副作用として聞いていたのでそこまで驚きはしなかったが、綺麗な赤だった。痛みはない。朝イチで看護師に伝えたところ、確認のためまた蓄尿を始めるとのこと。それ以来血尿らしき血尿は出ていないけれど。


 この状況を問われればあまりよいものではないとは思うけれど、どこかがたまらなく痛く、耐えられないということもない。「痛い痛い」と大袈裟に喚く婆さんの奇声が廊下からこだまする。工事中の病室から聞こえるドリル音が直接脳に響く。あとは、とても静かな旗日である。


 なんとか起きあがって、朝から洗濯。といっても洗濯機に洗濯物を投げ込んでボタンを押すだけ。

 今日はとくに混んでおらずスムーズだった。乾燥の終わった洗濯物をベッドまで運んで、畳んでバッグに仕舞う。普段はやらないが、このぐらいしないと誰かに怒られる気がした。丁寧な暮らし、というやつか、生活に直結している感覚がむしろ愛おしかった。


 入院中、こんなことをしていていいのだろうか、と思うことが何度もあるが、これがいまの仕事なのだと繰り返し自分に言い聞かせる。祝日だからいくらか罪悪感はないけれど、皆はどこかに遊びに行ったりしているのだろうか。


 窓際に先客がいると聞かされた割には埋まる気配はまだなく、右隣の爺さんも今朝退院した。両脇が空いたのだ。

 不在の間はいいだろうと、窓際をこっそり占拠して遠くを眺める。裸眼1.5の視力を自慢にしていたのだが、ここ数日で廊下を歩く看護師の顔もぼやけて見えるようになってしまった。

 遠くを見て、いまやれることはこれしかないんだと、足元を見よう。

 そして、過去も振り返ろう、立ち止まって学び直そう。サイン本はコレクタとして畏れ多いけれど、これから手元の本を開こうと思う。

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