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短編348.『オーバー阿佐ヶ谷』48

48.

 満月は紅く染まっていた。血が滴り落ちそうな赤だった。ちょうど”月のもの”の日だったのかもしれない。シーシャバーを出た私はスターロードを遡るようにして家に向かった。しなだれて、重力に従順な”悪党”を引き連れて。
 頬が切れるほどの寒風が吹いていた。”Style”の為にコートを犠牲にしたことがさすがに悔やまれた。十二月の風に縮こまった脳みそに血液を送るべく来し方を振り返る。

 全ては演出家の一言から始まった。”怪物”。そいつを輪の中心として、死と夢の残骸散らばるワンダーランドに迷い込んだ。過去から続く因縁と報われなさのオンパレード。そこから脱出する方法はたった一つ、【現実を認識する】こと。夢と引き換えに”現実”を手放せば永遠に虚無の虜、囚われの王妃さながらに。

 ーーー現実、か。四捨五入すれば容易に四十。こんな歳にもなって今更、何にしがみついているのだろう。

 ラップ、トランペット、成り上がり。俺のアート。俺の生き様。俺のーーー。あらゆることが冬の風に吹きさらされて骨組みだけになってしまったみたいだ。それは脆く、錆び付いて、折れ曲がっている。

 ーーーそろそろ潮時かもしれないな。猫に小判、俺にビッグマネー。

 鳴かず飛ばずのアーティストライフには見切りをつけて、第二の人生でも始めてみる頃合いなのかもしれない。”怪物”はその良いきっかけだ。言い訳にしては些か突飛だが。

 ーーー太く短く生きるには才能が足りな過ぎたんだ。これからは健康に気をつけながら細々と生を満喫しよう。”野菜”よりも緑黄色野菜を、ボングよりもストローを、吸うよりもジュースで。

 こうして私も歳を取って、老いさらばえていくんだろう。いつか縁側の日向でタトゥーを撫でながら今日という日を思い出すんだろう。夜が明けたらコンビニに行ってバイトの求人誌でも拐(さら)ってこよう。アートに匹敵するくらいの何か身の入る仕事が見つかると良いのだが。
 あとは髭を剃って、三つ編みを切り落としてーーー。

 目線の先に住宅街が見えてきた。スターロードももうすぐ終わりだった。私の”スターロード”ももうすぐ終わろうとしていた。酒と煙とタトゥーにまみれたこの身体を落ち着ける先も見つからないままに。

          *

 全てのスタート地点〈ソルト・ピーナッツ〉の前に立った。扉は閉められ、灯りは消されている。店主は今頃、留置所の中で寄る辺の無い感情を持て余しているところだろう。積年の風雨で外壁は痛み、改修よりは取り壊しの方が手っ取り早いような気がする。

付け焼き刃の修繕を続けるより、まっさらな状態からのリスタート
おれのライフもこの一角も
時代は令和
もう昭和じゃない
空白の平成
漂泊の人生
いつか目指したRapper
あの日喧嘩したbrother
点火したままのtinder
そろそろおれは降りるぜentertainer
揺れ動く現代に適応しきれないmotherfucker
明日からは一介のーーーーーー

 ーーーラップするのもこれで終わりか。最後の方は何も聴こえなかったな。トラックもビートも何もかも。

 私の吐いた溜め息は白かった。本当は赤でも良かったのだけれど。いや、赤で然るべきだろう。

          *

 開くはずのない〈ソルト・ピーナッツ〉のドアが内側から開いた。



#阿佐ヶ谷  #スターロード #小説 #短編小説

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