一夜飾りのこと
実家を離れてそれなりの年月が経つのだが、その空間で過ごした二十数年間で身についた習慣というか風習は数え切れない。
この時期になると、「一夜飾り」のことを思い出す。
母は結構、一夜飾りを気にする人間である。何かに取り憑かれたように、というわけではないが、この時期、気づくと玄関先には小ぢんまりとした正月飾りが飾られていたものだ。
また、壁にかかったその年のカレンダーの後ろにも、ほぼ必ず翌年のカレンダーが重ねて掛けてあった。
「一夜飾りは良くないものなのよ」と言う母自身も、もしかしたら親にそのように言われて育ったのかもしれない。傍から見ていると、なんとなく身についていて、自然とそう振る舞っているように見えた。習慣や風習とはそういうものなのだろう。
自分では積極的に正月飾りやカレンダーを掛けないので家でそういった気持ちになることはないが、職場のデスクに置いてあるカレンダーに関して2019年のものが用意できていないことを考えると少しだけ胸の奥がモヤモヤするのは、私の中にも一夜飾りを忌み嫌う風習ができている証かもしれない。
そういえば、私が勤務するオフィス街でも、つい昨日まではクリスマスツリーがあちこちのビルのロビーに生えていたのに、今日になった途端、すべて門松に変わっていた。これ、夜中に業者の皆さんが飾りを入れ替えたのかな…と思うと、何もそこまでしなくても、という気持ちになるのも事実。
ただ、平成も間もなく終わるこの時代でも、ビジネスの世界ではとかく縁起を担ぎたがるもの。やはり一夜飾りは避けたいのだろう。
モミの木がニョキニョキしていた西洋の森が、一夜にして竹がニョキニョキ生える東洋の林に。家庭に飾るような慎ましやかなものではなく、威容を誇るかのごとく立派で大変な存在感のものなので、つい圧倒されてしまう。さながら、かぐや姫でも出てきそうな感じだ。
『大手町・竹取物語』のはじまり、はじまり。
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