見出し画像

建築と私 第2回「理想の住まいを夢想する」

第1回からだいぶ間が空いてしまったが、「建築と私」というテーマで書くエッセイの第2回である。

第1回はこちら。

第1回では、小学生の私が江戸東京たてもの園に行って感動した話を書いた。
今回はその後、建築への感動を胸に家に帰ってきて、「理想の住まい」ということについて子供なりに考えるようになった話を簡単にまとめてみたい。

当時私が住んでいた家(実家。今でも大規模リフォームを数回経て同じところに建っている)は、ちょっと広めの普通の一軒家だった。
1階は家族が共に過ごせるようにほとんど間仕切りがなく、2階に個人用の部屋が4つほど。築20年弱の中古住宅だ。
なぜ「ちょっと広め」かと言えば、二世帯住宅として使うため。1階に我々一家が住み、2階に母方の祖父母が別に世帯を構えて住んでいた。

ただ、その家には子供ながら不満を感じていた。
二世帯住宅として使うにあたり、どうやら必要最低限の改修しかしなかったようで、基本的な間取りはそのまま。先ほど述べたように、1階は間仕切りがほとんどない。どこにいてもなんとなくお互いが目に入ってきてしまう。家族同士と言えども、独立した空間が欲しかった。

そう感じながらも、その不満を露わにしたところで家の間取りを変えてもらえるわけでもなく、悶々とした日々を過ごしていたように思う。
そんな中、これもなぜその存在を知ったのかは覚えていないが、メガソフトという会社が発売していた「3Dマイホームデザイナー」というPCソフトのことを知った。バージョンアップを重ねながら、今も健在である。

「自分の思い描く理想の住まいをシュミレーションできる」。そのことに魅力を感じて、親にねだって誕生日プレゼントとして買ってもらった。
それからは、前川國男邸が実現していたような明るく、住みよい家を子供なりに考えるようになったものだ。
当然、子供の考えることだから実現可能性も何もあったものではないが、
・狭すぎず、広すぎず、ちょうどよい広さの敷地
・光が差し込む玄関ホール
・明るい色の壁紙
・適度に区切られた居住空間
こんなことを「理想の住まい」の条件だと考えていたような気がする。
「三つ子の魂百まで」ではないが、今でも家の間取りを夢想することはよくあるのだが。


そんな私がなぜ建築の道に進まなかったかといえば、最大の問題が「数学が苦手だったこと」。たぶん、ある時まではその道を心のどこかで目指してはいたのかもしれないが、いつの頃からか諦めてしまった。
そして、これは以前書いたことだが、文系へと道を定めた高校生の頃に「哲学の面白さと出会ったこと」。こちらの方が決定的だったかもしれない。

でも、結局は成長して「一般人の建築ファン」になり、ここでこうやって自分と建築のことを書いている。なんだか不思議なことだ。

理想の建築を語る時、それが子供であっても大人であっても皆いい笑顔をしている。
これは余談だが、先日イサム・ノグチに関する講演会を聴きに行った「リビングデザインセンターOZONE」。いわば「住まいのショールーム」として、建材や家具などの展示・相談受付をしており、一般人からプロまで、様々な人が訪れるようだ。ここでこれから建てる住宅の話をしている人たちを見ていると、その明るい表情にこちらもなんだか楽しくなってくる。

私は業界の人間ではないからわからないが、きっと表には出てこない、業界ならではの苦労話などもたくさんあるのだろう。でもやっぱり、建築は面白い。眺めるのも中に入るのも、写真を撮るのも話を聴くのも面白い。
「つくる」側にはなれなかったけれど、一人の「ファン」としてこれからも建築には関わっていきたい。昔のことを振り返ってきたら、そんな想いが自然とわいてきた。

次回は、高校生の時の経験を書く予定。時系列で進んでいきたい。

----------------------------------------

この記事は、ロンロさんとのやりとりをきっかけに生まれたものです。
現在、ロンロさんのnoteでは「 #建築をスキになった話 」として、皆さんが建築を好きになったきっかけに関するエピソードを集められています。

これを契機に「建築ともだちの輪」が広がって、建築に関わるすべての人の毎日が、今以上に楽しいものとなれば嬉しいです。

もし何かに共感していただけたら、それだけでもとても嬉しいです。いただいたお金は、他の方の応援に使わせていただきます。