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すでに見知ったあなたへ、そしてまだ見知らぬあなたへ

毎日、夜になるとnoteの投稿画面を開いて何かしらを書きつけ、投稿すること、はや70日余り。書く内容は基本的にその日、仕事帰りの電車の中で決めているので、当然日によって出来の良し悪しにバラつきが出るのはご愛嬌。

書き続けているうちに考えるようになったのは、「誰に向けて書くのか」ということ。

まずは、「すでに見知ったあなたへ」。「見知った」というのは、直接お会いしたことがあるかどうかに関わらず、noteやTwitterを通じてやりとりをさせていただくことや、やりとりがなくてもその人の綴った言葉を読んでその人の人となりが分かっていることも含めて、「一人の個人」としてのイメージが浮かぶ、ということ。

そして、「まだ見知らぬあなたへ」。先に挙げたいずれの形においても関わり合ったことがなく、例えばたまたま通りがかって読んでくださった方。その人のことはまったく知らず、イメージも湧かない。
けれども、インターネット上や公に出版される媒体に書いたものは必ず、「まだ見知らぬあなた」の目に入る。だから、「見知った人」だけを意識して書いていたのではいけないと思うのだ。肝心なのは、相手を「顔」を持った一人の人間と認識するかどうか。

ここでひとつエピソードをご紹介したい。
私の会社が入居するビルには、(たぶん)国内有数であったり、(いわゆる)グローバルに活躍する企業が入居している。当然ながら、「スゴい」会社だ。
これが、朝出勤する人が押し寄せている情景を見ると、おやと思う。受付の方や警備員さんなどが「おはようございます!」と挨拶してくれても、俯いて足早に通りすぎる人のなんと多いことか。受付や警備員の制服の内側に、生身の人間がいることを忘れている。いくらお金を稼いでいたとしても、これではいけない。

そんなわけで、私は今日も「見知ったあなた」だけではなく、たまたま読んでくださった「見知らぬあなた」に向けても発信しているつもりだ。会ったことのない人の「顔」を思うかべるのは難しい取組みなのかもしれないが。

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