【4日目】引用文献

 『引用文献』ほど面倒くさいものはない。

 私は少し前まで大学生で、卒論が必要なタイプのゼミに入っていた。専攻自体は結構好きだったので、卒論もなかなか楽しく取り組んでいたのだが、どーしても面倒くさくてしょうがなかったのが『引用文献』だ。

 要は、引用文献って「自分の言いたいことは誰かのパクリじゃなくて、かといって根拠がないわけでもない」ことの証拠である。この証拠を探すために、研究者たちは結構な時間を費やす。もちろん、自分の興味があるテーマで書かれた文章をたくさん読めるので、おもしろいのはおもしろい。でも、なにがつらいって、まずハンパなく手間がかかる。学術的な研究の積み重ねを例えて”巨人の肩に乗ってうんたらかんたら”と言ったのは(たぶん)アインシュタインだが、巨人どころかあべのハルカスくらい積み重なっているのだ、先行研究というやつは。Google Scholarで出てくる文献を全部プリントアウトして重ねていったら、比喩じゃなく本当にそれくらい積み重なる気がする。その膨大な先行研究をさらっていかなければならないのだ。
 しかも、自分の狙う先行文献って、実はあるかどうかもわからない。”夏の砂漠に手を突っ込んで一粒のダイヤモンドを…”と歌ったのは(これは間違いなく)三代目 J SOUL BROTHERSだが、ダイヤモンドがあるかどうかは、分からないのだ。そんなもん、やる気なくすに決まってる。

 さて、引用文献への怨念を一通り書いたが、実は卒論が終わった今でも、こいつに悩まされている。私は、引用文献を「自分の言いたいことは誰かのパクリじゃなくて、かといって根拠がないわけでもない」ことを証明するためのものとして定義したが、実はそれって学術研究の世界だけじゃなく、何かをアウトプットするときには必要になるんじゃないだろうか。仕事のプレゼンもそうなら、恋人に愛を伝えるときだってそうだろう。オリジナリティを出しつつ、客観的な根拠も提示する場面って、けっこうある。それがないと、どれだけ素晴らしい主張でも、弱っちくなってしまうのだ。
 そんなわけで、昨日の私(https://note.com/task8849/portal)の記事『【三日目】正悪』なんかは、引用文献を用いないことでぺらっぺらになった主張の典型例だろう。

 なるほど、引用文献は全くないと困る。ただ、何度も言うように、調べるのは面倒くさい。
 となると、ここで起きるのは、言っといたほうがいいハズの主張が、引用文献というハードルのせいで言えなくなる、という問題である。例えば、フェミニズム。フェミニズムはみんなの平等を願う思想なので、言っといたほうがいいと思う。でも、フェミニズムに関する知識って、けっこう小難しい本を意識的に読まないとゲットできない。性差別は複雑な問題だからこそ、そこに関する思想の積み重ねも比例して難しくなるから、しょうがないのはしょうがない。でも、それがハードルになっていて、そもそもフェミニズムを敬遠することになったら、とてももったいない。かといって、浅い知識のままだと、別の差別を生むことにも繋がりかねない。そういうジレンマが起きるのだ。

 私もフェミニズムを勉強中の身なので、こつこつ引用文献にあたっている。でも、やっぱりハードルを感じることも多い。でも、主張みたいなのはなんとなくあって、言いたくなる。もしも、私がこの先引用文献にあたらないせいで、誰かを傷つけるようなフェミニズム知識を披露していたら、どうか引用文献で作ったハリセンでビンタしてほしい。

 ちなみに、「巨人の肩に乗ってうんたらかんたら」と言ったのがアインシュタインかどうかは怪しい。でも調べるのが面倒なので、気になった人は自分で文献をあたってください。

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