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⑧通信制美大にはいったわけ

画家・小河泰帆さんとの往復書簡8回目です。
このやりとり、思った以上に文通っぽくて楽しいですね。コロナ禍で、対話に飢えてるせいもあるのかな。

小河さんからは、身体表現のお話を伺いました。
身体全体で受信して、全身で飛び跳ねてるのですね。
まずは行動ありきのスピード感、これは自分に欠けてる要素なので、心からすごいなと思います。
私は良くも悪くも、もっと全般的にのんびりしてるし、臆病なので時間がかかります。

さてご質問は、図書館司書だった私が通信制美大に通うことにしたのはなぜ?でした。
これに関しては、絵はまた状況が整った時に始めればいいとずっと思っていて、年単位で気持ちを温めていた感じです。今だなと思える瞬間があったので、動きました。自分ひとりの力ではどうしようもない事もあるので、運も良かったですね。

高校生のころから美大を目指したい気持ちはあったのですが、なんだか口に出せずにいました。自分の中にある、絵に対する気持ちの本気度を測りかねていたように思います。
図書館の仕事について3年経ち、慣れて余裕がでてきたころ、美術研究所の一般コースにはいりました。そこで週1回午前中から夕方まで、いろんな学科の美大受験生がやる基礎課題を、時間制限無視して気が済むまでみっちりやるという遊びにハマったのです。当時は自己表現にはあまり興味がなくて、技術を身につけたい気持ちが強く、自分で先生にリクエストしたのですよ。受験が念頭にないから気楽でした。

特に好きだったのがデザイン学科の、幾何形体の平面構成課題。これ今おもうと、抽象画と何が違うんだかよくわからんものを描いてましたね。色遊びしながら、デザインというよりはすでに絵を描こうとしていたように思います。

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↑研究所で描いたクロッキー、靴は当時から好きなモチーフ

集中するのが気持ちよくて、修行僧のようにそれを6年間やって、ある程度やれることが身に付くと今度は理念としての美学を学びたくなりました。はっきりと美大に行きたいと思うようになり、気持ちが固まれば実現のためにやることは限られているので、覚悟をきめて費用や家族の理解などの諸問題をひとつひとつ調整していきました。現実的な落とし所として通信制美大を選んだ感じです。

なので私の場合、一番大事で時間をかけたのは、自分のなかで充分に気持ちが育つのを待つという工程でした。大学は職業訓練校ではないですし、美大卒業が絵描きの必須条件でもない以上、学びたいというシンプルな気持ちをどれだけの熱量でいかに継続できるかどうかが最重要だったと思います。ここが曖昧だと、人によっては通信制美大での学びと卒業は、やや大変かもしれないです。逆に言えばそこさえ固まっていれば、こんなに刺激的で素晴らしいところそうないと思いましたよ。

あと、これは性質の話なのですが、たぶん私、時間が有限であることを頭では理解していても、肌感覚としては理解できていないところがあるっぽいです。だから年齢的な焦りはほぼなく、のんびりしてました。そういう点でも向いてましたね。

お陰さまで通信制美大の卒業後は、出会いにめぐまれ継続して展示の機会を頂いており、大変ありがたいです。司書は退職しましたが、好きな仕事でしたし適性もそれなりにあったと思います。多くの図書館には、個人では手に入れづらいような画集などが並んでますし、たまには復職も楽しそうだと思ってますよ。

昔の話が続いたので、ちょっと話題を変えましょうか。
小河さんが持ってる画集か図録のベスト3、教えてください。