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[読書]「気にかけること」「忘れないこと」がどんなに難しいか

毎度ですが、毎月テーマを決めて超ユルい読書会を開催しています。
今回のテーマは、国連が5月16日に制定している「平和に共存する国際デー」でした。(読書会自体は都合で中止になってしまいましたが、本は読んだのでnoteはアップします)

自分か今回選んだ本はコチラ↓↓↓

映画やドラマにもなったので、物語の内容を知ってたり、タイトル名を聞いたことがある方も多いかなと思います。
作者の こうの史代さんが同じく戦時下の日常を描いた漫画「この世界の片隅に」も有名です。

まず本の感想

物語の大きな流れは、

広島市への原爆投下から10年後、40年後、60年後を舞台に、ほのぼのした戦後の日常生活の中にふとよぎる原爆投下の光景や、心の中に残る生き残ったことの負い目、いつまでも消えない後遺症への恐怖と周囲からの偏見などをリアリティ豊かに描く

■出典:wikipedia

というもので、ちょっとした嬉しさとか、恋心とか、不安とか、日常の中で感じる本当に些細な心の動きを感じることができるお話です。

10年後(夕凪の街)の主人公は被爆した当事者として、生き残った者として、罪悪感を感じながら、嬉しい事、楽しみな事との距離感をつかめないでいるような、そんな感じを受けました。自分の手に負えないような大きなものに巻き込まれて、その結果、残された側に回った時の後悔というか、疎外感というか、同じではないのは承知の上だけで、家族につらいことが合った時とかも、なんで自分は大丈夫なんだろう?みたいに思うことって、あるなと感じました。
ただ、悲しい、心が苦しい、というリアル。

40年後、60年後(桜の国)のお話は、自分の親とか祖父母とか、そうしたつながりのなかで、今の自分があるということ。その中には、戦争とのつながり、というのもある人にはあって、そのつながりが大切な人との絆になることもあれば、何十年も過ぎた後の時代でも、偏見という形で顔を出すことがある。ということ。
それと、正直な話、自分としては桜の国の方で感じる当たり前の日常、戦争との距離の遠さ、をすごく感じました。もちろん、被爆された方の記憶に触れたシーンも十分描かれているんですけど。
その遠さ、が自分の中にあるのが強調された。というのが桜の国の話での一番の感想でした。

ところで

戦争や原爆のことについて、いわゆる式典が行われる日以外に一年に1回、自分にはなんとなく思いをはせる時があって、それは、原爆被爆者のこどもに対する健康診断の助成の案内が届いた時です(自分の住んでいる自治体の話。地域によって、制度の呼び名や内容の有無は異なります)。

ようは、自分が被爆二世ってことです。
それぞれの受け止め方や考え方はわからないので、あくまで自分の感じ方なんですが、自分にとっては、その連絡が唯一、自分が原爆に多少なりとも関わりがあるということを思い出させる瞬間です。

たまたま、自分は運がよかったのかもしれないけど、そのことだけを理由に差別を受けたりしたことは、記憶をたどっても無かったような…
と思っていたんだけど、そういえば、アトピー性皮膚炎とか喘息持ちだったりしたので、小学校の授業で、戦争のときのことについて、おじいちゃんおばあちゃんなど身の回りの人の話を聞こうという授業があった時、両親が小さい頃の話を聞いて、そこまで詳しくないけど少しだけナガサキに触れ、その際、一時的にそれと持病を結びつけられたような記憶もちょっとある(*_*)まあ、長続きはしなかったんで、その点においてはラッキーではあったと思います。

けど、そうした記憶の断片を見つけたということは、この本にも触れられているような偏見を受けることもあるんだろうな、と感じるところはあります(きっと、そこまで深い話ができるとか、そういう話をする機会がない。ということなんでしょう)。

ただ、自分はいくらかでも関係者要素があるにも関わらず、

原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。怖いということだけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。

作者あとがきより抜粋

この言葉のとおりなんだよなぁ、とすごく感じました。

「気にかけること」「忘れないこと」

単に「原爆(戦争)って怖い」ということはみんな十分に気にかけているし、忘れてもいないと思います。けど、おそらくそれはWikipediaに載っているテキストとして。みたいな感じですよね。
とはいえ、過去にさかのぼって実体験をすることはできないし、気にかけるにしてもその対象って、何だろう?
原爆について、何に気にかけ、何を忘れないことが大事なのでしょうか。

今回の読書会をキッカケにwebで記事を探してみると、被爆二世団体の規模や活動が縮小しているなどを見かけましたが、そこには、差別や偏見を恐れて声を上げられないという見解がありました。
確かに、そういうこともあるかなと思います、実際SNSを検索すると被爆地出身の人を揶揄する表現なども確認できました。
そういうのもあるでしょうけど、別の側面として、活動の目的を見出すことも難しいのかなと感じました。
例えば、被爆の体験を後世に残す目的があるとして、●世が背負わなければいけない、となってしまうと責任感で少し心が苦しくなるような気もします。

こうした、原爆とか、災害とかもなんでしょうけど「何かを気にかけよう、忘れないようにしよう」という運動って、時代の経過にあわせて主となる目的も微妙に変化しているんだろうから、それをよく認識する必要があるのかなぁ。と思ったりもします。

けど、その目的に変化が起きた場合、それって何か大事なモノを忘れ去ることにつながるのではないだろうか?もしかしたら間違った知識に基づいて進む可能性もあるかもしれない。というところが問題としてあるかなと思います。
つい最近でも、被爆によりほとんど崩壊し、中にいた人全員が即死している、現在原爆ドームと呼ばれている建物が残っているから、建物の中に入っていたら安全だから大したことがないと主張する大学の先生のツイートを見つけてしまい閉口してしまいました😢

そういうのもあって、時代に沿って適切に「気にかけ」「忘れない」ってどういうことか、しっかり考えないといけないと感じました。

こういうことを感じさせるのに、漫画というメディアは、プラスにもマイナスにも、ものすごい影響力があるなと、今回の本を読んで思いました。
この本はプラスの影響力を持つ本だと感じましたんで、みなさんも是非読んでみてくださいー

以上

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