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[読書]本は読んでも読まれるな?

毎月テーマを決めて超ゆるい読書会をしています。
今月は、国連が4月23日に規定する「世界図書・著作権デー」をテーマにしました。

世界図書・著作権デー
「書籍とその作者たちに敬意を表する」記念日であり、「読書の楽しみを特に若い人々に伝えるとともに、人類の文化的・社会的進歩に果たした人々のかげかえのない貢献への敬意を新たにすること」を目的とする。

(出典 wikipedia)

このテーマで自分が選んだ本はコチラです↓↓↓

作者の荒木 博行さんは、住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。書籍要約サービスのフライヤーやNOKIOOなどスタートアップ企業のアドバイザーとして関わるほか、絵本ナビの社外監査役、武蔵野大学で教員なども務める。とあります。
音声メディアのVoicyの「荒木博行のbook cafe」にていろんな本を紹介していたりもしています。
そんな荒木さんの視点で「本の読み方」について展開される、とても読みやすい本でした^^

本に読まれるって?

自分にとって、この本で「本の読み方」として書いてあることで、特に新しくて感動したっていうことはなかったのですが、本の読み方としてのあるあるに対して、一見して悪いように見えることでもそれでいいんだよ、っていう勇気をもらったり、あらためて自分の考えの整理をしてもらったような気分になりました。
そしてなりより、やっぱり本を読むっていいよね!と思えることがよかったです。

さて、そんな中でもnoteのタイトルにも入れた「本は読んでも読まれるな」
この点、自分としてはとても考える点になりました。
まず、本の中では、哲学者ショーペンハウアーの「読書について」という本の一説を紹介します。

読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。それは生徒が習字のときに、先生が鉛筆で書いてくれたお手本を、あとからペンでなぞるようなものだ。
(中略)重圧を与え続けると、バネの弾力がなくなるように、多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。自分の考えを持ちたくなければ、その絶対確実な方法は、一分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手に取ることだ。これを実践すると、生まれながら凡庸で単純な多くの人間は、博識があだとなってますます精神のひらめきを失い、またあれこれ書き散らすと、ことごとく失敗するはめになる。

(出典「読書について」ショーペンハウアー)

この指摘にあるような読書の仕方が「本に読まれる読書」。
本から得た知識に頼るようになると、自分で考える力がなくなるということをいっていると思います。

自分もビジネス書とかは割とそのままやってみようとする方なんで、これって結構あたっているなー、と思います。
という立場では、これをそのまま受け入れたくはないわけです。本を読んだからといって、その内容を必ずしもいいと思うわけではないですしね。

考えが受け入れられないとか、内容がわかりにくいとか、ちょっといまは気分じゃないとかもありますが、そういう明らかなに違うなっていうのではなく、読んで内容的に理解したし悪くない考えだなって思いながらも、別に実践までいたらないとか、考え方でも割とすぐ忘れてしまうというのはままあります。
それってなんだろうなぁ、と。
一つは、自分の受け入れ態勢が整ってなくて、十分に本を読む準備ができてなかったということかな。準備ができてないので、いいと思っても十分に体に取りこむことができてない。という状況。
もう一つは、本と同じような状況で自分だったらこう思うとか、いやこの考え方とかもあるよね。とか本と自分が対話した結果、これって違うよねになるパターン。

健全なのは、後者のパターンで、ちゃんと本と対話して自分で判断するのがポイントですよね。本とちゃんと対話できていれば「本に読まれる」こともない。と思うんですけど、どうですかねぇ。

本では、この辺のことを、本のコンセプトやメッセージに対して共感・納得している「熱狂」と、本に対する違和感や不安感、疑問などを感じている「懐疑」の間のバランスという言葉で表していて、確かにそうだよなぁーと思わせてくれます。
この「熱狂」と「懐疑」は熱狂7割:懐疑3割が理想的という提案をしていて、なんか納得できない感じを3割持ち続けることで、別の本を読んだときに、ハッと気づいて考えがつながるといったことにつながるのでは?という提言がなされています。
本を読んだら誰でもスッキリして、理解したっ!と思いたいのでしょうが、そうすると頭の中で、その本は「終わったもの」になってしまう。

本を読み終わっても、「モヤる」ということは、読書こそ終われど、その後も本質的な意味での読書は続く、

本文抜粋

この自分で考えるための「懐疑3割」が、本に読まれないための大切な自我の確立になるということだそう。
これをこのままああそうだよね。って受け取るのも悔しくはありますが、だいぶ納得したのでした😅

本を読むって

面白いですよね。いまだと動画とかwebで要約してくれたりもありますけど、そこをわざわざ文章をひとつひとう捉えていくという、メンドクサイことをして、しかも読み終わってもまた考えることが大事とは…

最近はちょっとしたスキルを知るためのビジネス書を多く読んでいたので、これは役に立ちそうかどうか、みたいな観点でしか本を読んでないようなところがあったと思います。この本を読んで、小説とかアートな本とかも読んで、その本と対話したくなりましたね。
SFとか、ライトノベルとか、自分が考えてない世界とかを疑似体験するって、単純に楽しいし、考えも広がるのはわかってるんですよね。わかっているのに役に立ちそうなのを選んじゃう自分がちょっと悲しい(´;ω;`)

ただ、自我を保つために、「考えるぞーっ!」ばかりだとしんどいので、なにか一つだけ本から感じた「問い」をメモすることからはじめようと思ったのが、この本から自分が思ったところです。

自分の頭で考える読書 変化の時代に、道が拓かれる「本の読み方」読んでみてくださいね

ココで紹介した話はホントにごく一部。
本では、なぜ本なのか?とか、本を読んで問いを持ち続ける大切さとか、読書が役に立つとはどういうことか?などの話が展開され、どれもフムフムと体に入っていくのです(自分で考えろって話ですが)。
自分的に特に勇気をもらったのは、一般に「読書の病」と思われている

  • 完読の病

  • コミットメントの病

  • 積読の病

  • 実践の病

  • 読書時間不足の病

が別にそれでいいんだよ。っていうかむしろ気にしなくていいよね。
みたいな話をしてくれるのがよかったです。

ここ1年で読んだ本を振り返った時に、読んでる本が片寄っているな~、とかスキルだけ求めてなかったな~、みたいな方にはオススメな本でした。
世界図書・著作権デーを前に是非!

以 上

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