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「使いやすさ」のデザインについて

私のお仕事の一環に「ユーザビリティ設計」というものがあります。

ユーザビリティ、つまり製品の品質としての「使いやすさ・親切さ」を設計するというお仕事です。
「使いやすく、分かりやすく、心地よいUIをデザインします」が弊社の売り文句。

さて、「使いやすさ」とは何でしょうか?

「使いやすさ」を定義する

designとは設計であり、設計とは課題を解決するための手段・計画ですから、デザインを始めるためには、解決すべき課題が正しく定義されていなければいけないはずです。

つまり、「使いやすいUIをデザインする」ためには、まず「使いやすさ」が正しく定義されている必要があります。

私たちが提供するデザインサービスの中では、「使いやすさ」という品質について、「使いにくくないこと」と定義しています。

「使いやすさ」ではなく、「使いにくさ」が在る

ある製品の品質を上げるためにプラスできる「使いやすさ」という要素は存在しないのではないか、と私は考えています。

デザインに可能なことは、製品の品質を下げる「使いにくさ」を排除することなのではないでしょうか。

例えば、私が好きな製品にクレラップがあるのですが、「ラップが切りやすい」という工夫だけでなく、よく見ると掴みやすいよう箱の角が面取りされていて、とても使いやすいと愛用しています。

このクレラップを使いやすくしている「ラップが切りやすい」「掴みやすい」という工夫ですが、これは既存のラップ製品に、使いやすさがプラスされ結果でしょうか?

そうではなく、既存製品の抱えていた「ラップが切りにくい」「掴みにくい」という使いにくさ、マイナスの要素を排除した結果、生まれたのがクレラップの使いやすさだと考えています。

使いにくさ = 認知ストレス

「使いにくさを排除する」と言うからには、今度は「使いにくさ」も正しく定義されなければいけません。
弊社ではこれを「認知ストレス」であると定義しています。

ユーザビリティの要件には、学習しやすさ、効率性、記憶しやすさ、エラー、満足度 があると言われますが、これをそれぞれ紐解いていくと、「ユーザーに認知の負荷を強要してはならない」という点に着地するのだと思います。

あらゆる製品には、それを使うための目的があって、ユーザーには目的の達成に集中させてあげるべきです。
道具を使うことに負荷を求めないことが「使いやすさ」ではないでしょうか。

究極のUIとは?

デザインを行うために必要なものに「解決すべき課題の定義」ともう一つ、「目的地・ゴールの設定」があります。

では、「使いやすいUI」とは、どのようになれば完成でしょうか?

私は、究極・理想のUIとは、存在を認識されないUIだと考えています。
それは、透明な、空気のようなUIです。

「使いにくさ」を徹底的に排除しきった結果、「操作している」という意識すらなく、目的を達成できる。
これが、理想的なUIの形なのではないでしょうか。



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