山田玲司のヤングサンデーから学ぶ、創造的で自由な組織のあり方

(理論と理想に挑む人間のあり方シリーズ第三回)(6月14日~17日にかけて出します)

世の中の組織というものは窮屈で、人間をダメにする。

そういった不自由こそが組織を維持し、国から人々を守り、自由を達成すると、フランス革命のでたらめを知る私にとっては反論したいところではあるが、現状の組織に無理があることも確かである。

大まかに見て、私は組織が二つあると思っている。

家庭企業政府を代表とする、力を集め維持する不自由強めのきつめのコミュニティと、
地域や趣味や起業に役立つ、想像的で自由なゆるやかなコミュニティがあると思っている。

この二つがあってこそ、私は良い社会を達成できると考え、きつめのコミュニティの是正案と共に(世界理論や経営論で出す予定である)、ゆるやかなコミュニティがないか探した。

そして、その参考になりうるものを、私は見つけたのである。

それが、ニコ生やyoutubeでやっている、山田玲司のヤングサンデーという生放送である。

 ■ヤングサンデーとは?

『ゼブラーマン』や『絶望に効く薬』という漫画だけでなく、流行や組織に属さないことから生み出される才能を書いた『非属の才能』や、逆に属した中で良い組織を作る為に上がどう下に接するべきかの『年上の義務』の新書も書いている多彩な漫画家の山田玲司と、謎のゴーストライターなのかなんなのかのおっくんと、詩人で演出家の久世と、美容師のしみちゃんという4人のおっさんが送る生放送である。

アニメや美術や時事などいろんなことを3時間も話しまくる放送だと知人から前々から聞いて勧められていたのだが、文明論ばかり気になる私にとって文化論に興味が湧かなかった。

ただ、その知人に創造的で自由な組織って何か思いつくのがないかと最近聞いたところ、前々から推しているヤンサンを改めて勧めてきたので、私はようやく見ることにした。

実際のところ、文化面にさほど興味がない私にとって、横山大観やフィギュアやアイドル、ビースターズや輪るピングドラムの話それ自体には惹かれなかった(おそらく今後、ヤンサンは見ないだろう)。

しかし、それでもそこでの語りの熱量や様々な分野の表現者が観ているということが気になり、3回分見ると、私はそこに、創造的で自由な、ゆったりとしたコミュニティの理想を発見したのである。

 ■創造的で自由な組織とは?

創造的で自由な組織に何が必要と私が問われたとするならば、それは以下の三つの条件だと、私は言うだろう。

まず、多様で深い知識とそれを判断する基準(価値観)とそれを扱える手段が放送側には必要だ。
次に、それを見た人々からの反応が返せて、相乗効果になる。
最後に、これらを束ねる動機が、そこにはあること

これが備わっているのが、山田玲司のヤングサンデーである。
それを人物踏まえて、詳細に説明していこう

 ■多様で深い知識と価値観と手段

創造的で自由な組織とは、言い換えれば、革新する人が多く強く、保守する人が少なく弱目というものである。

この山田玲司という漫画家には、

世の中のことを様々知りたい
その素晴らしいものを皆に伝えて、それが皆の日々に役立って欲しいという願いがある。

漫画という、娯楽性が強いものの中で、いかに大事なことを込めていくか。
その戦いの中でのいかにわかりやすい形に落とし込むかという分析癖と、『絶望に効く薬』での10年以上に及ぶインタビューを通して培った会話スキルが、多様で膨大な知識を、今現在も集められることに繋がっている。

多様で膨大な知識を語れば、それだけで盛り上がるか?
いや、本当に盛り上がるのは、違う意見をぶつからせた時で、その意見も本人の中に根強くあるものでないと深くはならないはずだ。

そうした価値観を持つ存在――それがおっくんである。

横山大観長渕剛メタル中島みゆき三国志武田信玄サッカーなど、武士道が入り深い情感が入りラテン気質でもある彼が(そこで国家万歳にならないのもミソ)、それを語る時の熱量と、その熱量を背景とした価値観は、戦後のゆるやかな民主主義で生きた視聴者が多いこの番組で、そういう見方もあったのかという驚きを時に与えてくれる存在だ。

膨大な知識と違った基準があれば、面白くなるのか?
いや、真面目ばかりでは疲れてしまうし、時に話がこんがらがってしまうだろう。
その時に必要なのは、第三者から見た疑問や、ちょっとブレイクするユーモアである。

そうしたユーモアを持つ存在――それが久世である。

ユーモアというのは難しい。
少なすぎれば客観視やブレイクができず、やりすぎればテレビの芸人を見ればわかるように、真面目で深い話ができなかったり、聞きたかった話がどこかに流れてしまう。
(横道逸れがちな、おっくんへの視聴者側からのツッコミ役を担ってもいる。ニコニコアニメの反応見ればわかるが、小気味よいツッコミは良い作品の条件だ)

前二人ほどしゃべらず、ふざけてばかりであるが、ちゃんと話を聞いている彼は、ヤンサンの長時間の濃さを、長時間面白がるに必要な重要なポジションなのである。

様々な深い知識、根強い価値観、ちょうど良いユーモア
それがあれば完璧か?
いいや、できれば全く予測もつかないような意外性があれば最高かも。

そうしたヤンサンの飛び道具――それがしみちゃんである。

今まで積み重ねてきたコンテンツの話を、謎の発想で、一旦区切ってしまう。
濃くておいしい食事の合間に、挟んで飲んだり食べたりすることで舌が回復し、また濃くておいしい食事を楽しめるようになるアクセントのような役割。それをするのが彼である。

多様で深い知識とそれを判断する基準(価値観)とそれを扱える手段。これがこの4名で揃うのである。

加えて、詳しくない分野だとか、当時そこにいなければ話せないこととか、とにかく面白い奴を伝えたい時とかに、ゲストが来てくれて話をしてもらうこともこの番組では可能なのだ。

ヤンサンの面白さに加え、玲司先生のコミュニケーション能力と、おっくんの謎の友達力があれば、結構な人物が出てくれるヤンサンはすごい番組なのである。

 ■人々からの反応

人々からの反応を放送に含めることは、

自分の思考が使われたという喜びだけでなく、
自らの疑問や情熱が昇華される喜びももたらすものだ。

そのことで挙げるとしたら、まずニコ生である以上、横から流れていくコメントである。
こういうコメントの形は放送で画期的であったが、いくつかの弱点があった。

拾いすぎていては、演者が集中できず深い話にならない
拾わなくては、視聴者が面白いコメントをしてくれない

このちょうど良いバランスへの答えが、ヤンサンなのである。

メインで玲司先生が深い話をする。
それを聞きながら、司会のおっくんがコメントも拾って幾つか玲司先生に伝える。
ここで、視聴者の疑問が解消される。
ただそれでも、膨大に流されてしまったコメントがまだある。

これを救済するのが、しみちゃんコーナーである。
面白かったコメントを拾って、紹介してくれるコーナー。
これもあるからこそ、何かを狙ってコメントをするようになり、視聴者が受け身にならないし、コメントを見る楽しさも、このヤンサンの面白さに加わっていくのだ。

視聴者からの反応は、コメントだけにとどまらない。
ヤンサンには美術展や漫画展や主題歌コンテストやOPED映像など幾つか企画があって、自分達が培ってきた表現を発揮することができるのである(或いは、表現を始めるきっかけ)。

イベントごとがあって参加する楽しさ、それを見る楽しさ。
普段の生活やマーケティングで乗ることがない表現を知る良い機会にも、ヤンサンはなっている。

番組以外にも、ここには楽しさがある。
それは、フェイスブックのコミュニティである。

玲司先生が、最近思ったことを書いたメルマガを議論しあったり、最近あった面白いことを伝えたり、コミュニティメンバーが関わった表現の仕事も教えてくれる。
音楽や映像やアニメなど様々な部もあり、それぞれで楽しい話をしている。
玲司先生に質問をすることもできるし、月一の飲み会に参加して直接話すこともできる(玲司先生とも話せるし、様々な表現をしている人の話も聞ける。アイドルを全力で追っかけていたヤバいやつ(褒め言葉)の話も聞ける)。
それは参加する側も面白いし、玲司先生も、また何か新しいことを知り考える機会となる、良いサイクルが生まれる。

強制されるわけでもなく、辞めても良いゆったりとしたコミュニティであること、それがとても楽しい。

コメントと拾うコーナー、参加企画やコミュニティで、多くの人の反応を拾えること。
これらが備わっているから、この番組は表現者を魅了するのだ。

 ■これらを束ねる動機

これだけ多様なことをやってるのだから、それだけで面白いし、楽しいというのは確かであろう。
だが、上のを集めたところで、同じのが再現できるかというのと、そうではない。
なぜなら私は、ヤンサンにまだある、参加したくなる重要な態度を語ってないからである。

最初に語るべきは、彼らがご機嫌であるということだろう。

やる側が全力で楽しそうにしてなくて、どうして見る側も楽しめるのか、ということである。
かといって単に弾ければいいだけでなく、暗い話も真剣な話もどれも楽しんで乗り越えてやるという前向きな態度がそこになければならない。

大変で辛いことが世の中にはある。それでも人生には楽しいことがあり、語りたい内容と仲間がいる。

そういう態度が重要なのだ。

もう一つ大事なことは、この番組が視聴者に全力で与えていることだろう。
あれだけの熱量で様々なことを話していたら、普通なら語ることがなくなってくるもので、語ることがなくなるということは、表現者にとっては恐れるべきことであるはずだ。

だけど、それでも玲司先生は差し出す。
考えてきたことを出していかないと、自分の中にあるものが淀んでつまらなくなってしまうと言わんばかりに差し出す。
語る熟成を待つことはあっても、よっぽど危険な話や表現は抑えはするけれど、それ以外のものは全て差し出すのである。

そこまで出すからこそ、それに応えたいと思って様々なことに視聴者は無料でも喜んで参加してくれる。
だからこそ、どんどん面白くなって、人々が増えていく。

それは先生が自分の金だとか有名だとかを求めてないからで、とにかく表現したいという最初の熱量と、良い表現が届き変わるなら真似されても構わないという世界が良くすることへの想いがあるからだろう。

最後の動機は、巻き込まれる楽しさである。

この、おっくんというのは、寂しがり屋で、いろいろ面白がって、様々なことをやりたがって、無茶ぶりをする人物だそうだ。
それだと単なる迷惑な人だが、それでも皆がそれなりに文句を言いながらも、そこに思わず協力してしまう魅力があると。

番組で、おっくんのことをハルヒと言っていたが、なるほどなと私は思う。
主人公のキョンもハルヒに巻き込まれ、文句を言いながらやれやれと言っていた。そうして何だかんだ参加していたことが、話が進むにつれて、巻き込まれることが楽しかったと自覚する。

それを思うと人には本来、日常の自分を越えて、自分の力を活かせる場面に巻き込まれることが好きなのかと、私は理解する。

面白さ、ご機嫌、返報性、巻き込まれ型、これら皆を束ねる動機がたくさん含まれるヤンサンはすごい番組なのだ

 ■他への活かし方

こうして私はヤンサンを通して、理想の創造的で自由なゆったりとした組織を考えてきた。

さて、ではこれを現実で作ってみよう!

とは思うが、考えれば考える程、この奇跡的な一致は、再現できるものではないので、もうちょっと現実的なレベルに落として考えてみようと思う。

多様に詳しく、確かな価値観あり、多様に能力あるのは困難であるから、

専門能力あるリーダーを中心に、それを支援する周り(様々な背景と能力があり)と、ムードメーカーと、変わり者を一単位として、それが大量にあって他と協力しやすい状態を目指すのが一番だろう(たまに他の組の話を聞いて、ゲストみたいなことも)。

気軽にこの集まりに参加しやすく、何かのイベントに参加することで知名度とモチベーション上げる感じかな。

動機面は、
地域なら街や子供を良くし、頼られていく動機(秋津コミュニティを参考に)。
趣味ならネットやコミケに参加する動機。
起業なら社会を良くしていきたい動機(個々の事例参照)。

等が良いかもしれない(まぁ、楽しいから・好きな人がいるからでも良いと思う)。

つまらなく不自由な日常。
それを変える為にあなたも、創造的で自由な組織を得てみませんか?


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