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多世代交流のよあけまえ①リハビリテーションとの出会い

リハビリはマッサージにあらず

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「本物のチーム医療、実現したくないか?」

首都圏で医療福祉関連企業に勤めていた2007年秋、
ご縁をいただき一念発起、富山に移住して
新病院の開設に携わりました。

立ち上げに参画したのは「回復期リハビリテーション病棟」の専門病院。
一般の方にはあまり馴染みがない病院ではないでしょうか。
対象となる病名が脳卒中や大腿骨の骨折などに限られ、
たしか総合病院からの転院割合も2割に満たなかったはずです。

脳血管の病気や骨折などを負った患者さんは、
総合病院で手術や治療を受けます。
ところが、治療しただけでは自宅での生活が困難な患者さんもいます。
身体に麻痺が残ってしまったり、車椅子での生活を余儀なくされたり、
失語症などコミュニケーションの障害を負う方も。
そういった方が社会や家庭への早期復帰できるよう支援するために、
回復期リハ病棟に転院していただき、自身の心身と向き合いながら
できることを増やせるような関わりをしていきます。

端的にいうと、総合病院は命を助けてもらうところ。
その後自宅に帰れる方は自宅へ、帰れない方は施設や療養の病院へ。
でも、リハビリをすることでより回復が見込まれ、
自宅での生活や社会復帰がスムーズになりそうな方は当院に来られます。

リハビリって患者さんの身体を”マッサージすること”だと
ずっと思っていました。でも、リハビリは心身ともに
社会復帰をサポートするマッサージだったんです。

ひとりのために、ひとつになる。

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当初、数年で東京に戻ろうという考えもあったのですが、
今も富山暮らしを楽しんでいます。
定住の決め手となったのは、富山が魅力的な街であったことだけでなく、
リハビリの魅力を知ってしまったから。
当院では、10種以上のスタッフが職種の垣根を越え、
お互いの専門知識や経験を活かしあい、
患者さんが”幸せなこれから”を実現するために
最善の提案をしていくのです。
それはまさに、ラグビーでスクラムを組むようなもの。

総合病院の事務部門を歴任する中で、チーム医療とは名ばかりの
ピラミッド型組織のあり方に辟易としていたのですが、
富山移住後、リハビリテーションの考えにふれ
「ひとりのために、ひとつになる」ことの虜となり、
患者さん、ご家族に対する入院中のサポートに徹する日々となりました。

感動フィナーレの「その後」

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命を救ったら退院へと導かれる総合病院とは異なり、
入院生活は最大で約6ヶ月。
その間、患者さんの心身状態を考慮しながら、
その方がベストを尽くせるような関わりの日々です。
当然、リハビリする気にならない方や、
時には自暴自棄になっている方もいますが、
様々な関わりの中から見えてきた想いを目標に置き換え、
患者さん一人ひとりに最適なリハビリ環境を提供していきます。

いよいよ退院日の朝。
担当スタッフの想いがギュッと詰まった卒業証書授与。
読み上げ手渡した時、二人三脚で頑張った日々を思い出し
患者さんと担当スタッフが一緒に泣きじゃくるシーンは感動モノ。
正面玄関では「田舎に泊まろう」さながら、
姿が見えなくなるまで手を振り続けるスタッフ。

よかったよかった!めでたしめでたし…

とはいかなかった。。。
やっぱりどんな時も卒業は新たな人生の「門出」。
入院生活とは比べものにならないほど長い退院後の生活。
患者さんは、時として麻痺や障害が残った自分の身体と向き合いながら、
慣れ親しんだ自宅で新たな人生を送ります。
しかし、慣れ親しんだ”はず”が思いもよらぬことに…。
感動の余韻が覚め、退院患者さんの現実に直面した私たちは、
”日々の暮らし”における関わりの重要性に気づいたのです。

〜次回予告〜
多世代交流のよあけまえ②
退院後の在宅生活をリハビリでサポートしたい!生活リハビリを実践する
ある作業療法士の先生の取り組みについて綴っていきます。

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