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カサンドラとASDヘイトについてのよもやま話

これから述べる話は、あくまで私個人の観測圏で目撃されたことに対する個人的な記録です。


なんか見た

Twitter上で、カサンドラと名乗る人に対して、ASD当事者が「ASDではなく、自分の配偶者の話として語ってほしい、主語を小さくしてほしい」と頼むシーンを目撃しました。

カサンドラと名乗る人の中には、「ASDが~」と障害名そのものを主語にして、配偶者への愚痴や、良くないところを発信する人がいます。

ASDという障害属性を主語にしてネガティブな話を続けることは、社会に偏見・差別を広げることにつながり、ASD当事者の暮らしや、ASDの子どもの将来を脅かすものになりかねないので、「自分の配偶者」の話として語ってもらえないか、というお願いでした。

仕方のなさ

ASDを主語にするのはヘイト・差別なので主語を小さく語ってほしいというのは、正当な要求だと思います。
苦しみの渦中にある、カサンドラを名乗る人たちがそれを聞き入れられず、攻撃されたと受け止めるのは仕方がないことかもしれません。
平常心ではない精神状態ゆえに、カサンドラを名乗ってSNS上で発信している人もおられるでしょう。

その苦しみに対して、理解とケアが得られますようにと願います。
そのうえで、ASDへの偏見や憎悪を広げる行為が止むことを願っています。

当事者が当事者を追い込む

同じASD当事者の立場で情報発信をしている人たちが、問題提起をした人たちを突き放したり、「生まれつき変えられない障害を責めたとしても差別だとは思わない」と発言している姿を見たのはショックでした。

「個人的に相談に乗っているカサンドラさんがいる」「カサンドラ全員が差別的ではない」「その人たちも苦しんでいる」
その事情は分かります。
分かりますが、苦しんでいる人の声を「それはカサンドラへの攻撃になっている」と取り合わないことは、問題提起をした人を追い込むように見えました。

「その人個人に向けられた攻撃ではないのに、切り離せずに自分のこととして受け止めてしまうその人に問題がある」との意見もありました。
相手の問題と自分の問題を切り分け、主語の大きな問題を自分にひきつけない判断は、健全に社会生活を送るうえで必要なことです。
しかし、たとえ社会性を身につけた人であっても、生まれ持った、変えられない障害に対する差別発言については「やめてほしい」と言わずにはいられない場合もあるでしょう。

SNS上で発言者として残ることを許されるのは、自閉度が薄く、立場の違う定型発達の人たちに配慮した語りができる当事者だけなのかもしれません。
それがその人たちにとっての、発言権を失わない生存戦略だったとしても、当事者に当事者の声が封じられる場面を見るのは悲しいことでした。

ヘイトでつながる怖さ

カサンドラ側の人が、ASD女性を攻撃する男性からの賛同意見をリツイートして謝辞を述べ、ASDへのヘイト行為に抗議した複数の人を同一人物だと決めつける会話の流れがありました。

カサンドラ側の発信がASDへのネガティブな内容を孕む以上、同じ立場の悩める女性だけではなく、別の意図―ASDへのヘイトなど―でつながろうとする人間も引き寄せます。
相手の立場を精査せず、自分の意見に賛同を示す人であればヘイト発言も取り込む姿勢に危うさを感じました。
それはカサンドラの苦しみへの共感と癒しとは別方向に向かうのではないでしょうか。
カサンドラ女性の苦しみが、差別的な人に利用されることになりませんよう…と老婆心ながら思いました。

個人的な背景

私がこの話題に直接関係がないにも関わらず、「ASD属性全体への差別」に反応するのは、個人的な背景があります。
それは、私が発達障害の確定診断を受けた診察室のシーンにさかのぼります。
主人と一緒に医師の話を聞きました。
「本当はアスペルガー症候群なんだけど、今はアスペルガーという言葉が悪い印象で使われているので……、少し範囲を広げて、『広汎性発達障害』と書いておきます」
「人に話すときは、『広汎性発達障害』を使ってくださいね」

大きな病院の医師が、障害名が良くないイメージで使われている状況を把握しており、診断名に対する偏見が患者の人生に及ぼす影響を考慮する状況でした。
私自身がどういう人間であるかに関わらず、生まれ持った障害について、不特定多数の人から悪い印象を持たれることに注意しなければいけない……。
確定診断を受けた当日に、その問題意識を持つことになりました。

(余談ですが、これより先に、別の病院の医師の見立てのみでADHDと言われていました。その後アスペルガーを疑い、様々な心理検査を受け、このシーンにつながります)

DSM-5・アスペルガーからASDへ

2013年、診断基準が変わり、広汎性発達障害もアスペルガー症候群も、「ASD」とまとめて表現されるようになりました。

これまで、自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていましたが、2013年のアメリカ精神医学会(APA)の診断基準DSM-5の発表以降、自閉スペクトラム症(ASD;Autism Spectrum Disorder)としてまとめて表現するようになりました。自閉スペクトラム症は多くの遺伝的な要因が複雑に関与して起こる生まれつきの脳機能障害で、人口の1%に及んでいるとも言われています。自閉スペクトラム症の人々の状態像は非常に多様であり、信頼できる専門家のアドバイスをもとに状態を正しく理解し、個々のニーズに合った適切な療育・教育的支援につなげていく必要があります。

厚生労働省 e-ヘルスネット

これで「アスペ」に対する偏見が薄まるかもしれない、私も含めた多くの当事者の人が、社会の偏見に怯えずに生きていきやすくなるかもしれない、という期待を持ちました。

しかし、診断名が変わっても、新しい診断名にヘイトの感情を乗せてSNS上で発信する人がいます。
その状況に胸が痛みます。

SNSからログアウト

このことでナーバスになっている自覚があったので、
「こういう時はいったん情報から距離を置いて、日常生活を穏やかに過ごすことに専念しよう」
という判断をしてSNSからログアウトしました。
多くの人の感情が昂っている時は、その場から離れて目や耳に入れないことも大切です。
穏やかに暮らすことを優先しました。

思ったこと

カサンドラとASDヘイトに関しては、個々人の働きかけで止まる流れではないように思います。
ヘイトをふりまこう、差別しよう、として発言している人は少なく、
「配偶者の悪い点のみを、ASDという言葉に託して発散しよう」というようなスタンスの方が多いように見えました。
(個人的には、配偶者の良い点として挙げられていた優しさやまじめさも、ASD特性とつながっていると思います)

結果的にその行動が無自覚のヘイトになっており、問題提起した当事者の声が聞き入れられなかったことを残念に思います。

今後について

この件でニューロダイバーシティ(神経多様性)の海外のサイトの文章を読み、「大きな主語を使わないでほしい」と訴えた、少数派の人の側に立ちたいと思いました。自分もそちらの当事者だからです。
社会性を身につけて適応することは大切です。
譲るべきところを譲る姿勢も大切です。
しかし、生まれ持った障害への差別につながることは、自分にとって、勇気を出して守るべきラインなのだと分かりました。

とはいえ、ナーバスになりがちな状況は一朝一夕で変わらないので、今後Twitterにログインできるようになったとしても、この話題からは距離を置くのが心の健康のため、と思っております。

引用:差別・ヘイト行為に本人の主観は関係がない

最後に、カサンドラと差別について、twitterでお見かけした文章を引用します。
文章の結合、改行、太字は私の手によるものです。

カサンドラという語に定義がある以上、定義に沿わない使い方は特定の属性の差別を助長するので避けなければならないという命題と、パートナー間の意思疎通の困難さに苦しみを感じるという事実は何ら相反さないしどちらも事実なので、後者の様態を表す語は別で設けましょうねというだけだと思うんだけど
ただカサンドラ自称者の多くが「差別の意志はない」という差別主義者の常套句で現実に発生してしまっている自身の加害に全く無自覚である点は本当にまずいなと思うのでちょっと警句を投げたくはあります。

この辺は「差別」という状態が何を指すかという定義からちゃんと話しをしないとなんだけど
まず「差別」とは、差別の実行者が自分の振る舞いを差別であると認識できていなくても成立し得る概念であるという点を理解しておく必要があります。
差別されたと感じる側に被害感情が芽生えたなら差別の実行者がいくら「自分にはそんなつもりは無い」と言い張っても意味無くて、それは定義上差別です。
差別の定義とは、特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為であって、加害者の自覚の有無は問題じゃないんです。実際、加害者が「お前を差別してやる!」という意思決定のもとに差別が行われたことは歴史上振り返ってもほとんど存在しません。
本人が変え得ない属性を理由に人間の扱いを決めることは全て差別です。
繰り返しますが、これは定義の話なので議論の余地は無いです。

自分が差別しているつもりはないという人は、自分の発言の中の属性を全て「黒人」や「ユダヤ人」や「女」や「男」に置き換えてみて下さい。
その時自分の発言が、目的とする範囲を超えて多くの人に対して攻撃性を持つ発言だなと感じるなら、それは元の発言が紛れもなく差別である証拠です。
再三繰り返しますが差別の成立には加害者本人の意志は関係ないので、属性そのものを指してヘイトの対象にする行為は客観的事実として「差別」です。

主観は関係ないんです。差別は差別です。
その上で冒頭の発言に戻りますが、あなたが感じているパートナーとの軋轢や辛さはそれはそれで紛れもない本物だと思います。
その苦しみを表す適切な言葉は別で定義が成されるべきだし、その語が定義する適切な範囲においてパートナー間の困り事は限定的に語られるべきです。
間違ってもASDという属性全体に対して根拠ない決めつけに立脚した呪詛を吐くべきではありません。

それはあなたの意図する辛さの表明という範囲を飛び越えてその属性をもつ全員を差別する無自覚な加害になるからです。
そのことを自覚しておく必要があります。
そうでないとお互いの主張が交わらず平行線のまま分断だけが加速して物事は何一つ解決には向かわないからです。
あなたの苦しみを表現するために、無関係な他の誰かを苦しめる必要は少しもないはずです。

パートナーに自身の苦しみをいくら訴えても伝わらず、取り合われず考え過ぎと笑われ、俺にはそんな意図はないのに俺が加害者だと言うのかと責められた辛さをあなたは経験したはずじゃないですか。
人の無自覚な加害に傷ついたはずのあなたが、立場変われば同じ事を他人にやってしまうというのはあまりに悲しいじゃないですか。
無自覚な加害に傷ついたあなただからこそ他人を無自覚に傷つける振る舞いには敏感であってほしいと願います。
悪口や批判ではなく、愛と理解と友好のみが、誰の間にもありますようにと願います。 以上、今日の #なんか見た でした。

https://twitter.com/nic25774031/status/1678406294783287297?s=20

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