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「海をつづける」あとがき



あとがき


あとがきを書こうと言い出したのは私なのですが、私は普段あとがきをあんまり読まないようにしています。なのですこしだけ。

この企画をすることになったきっかけは、キタオリさんが短歌に合わせて写真を撮ってみてもいいですかと声をかけてくださったことにあります。前々からキタオリさんの写真のファンで、友達に紹介したりしていたので驚きました。夢のある話です。

一ファンとして、キタオリさんの写真は清潔だ、と思います。まどろっこしくなくて、徹底的なまでにわざとらしさがない。だからこそ、見る人が心を溶かす余地がある。今回出した短歌の中には、キタオリさんの写真がなければ生まれなかったものもたくさんあります。
本当、ご一緒できてよかったと思います。


誰もがこの広すぎる地球に生まれ、毎日起きて、働いて、笑ったりすこし泣いたりして眠り、ときには誰かと自分の海を見せ合ったりしながら死んでいきます。私たちはあまりにもちっぽけで、うれしくて心の海が溢れそうになるたび、また傷ついて海を絶やしてしまいそうになるたび、ひとりひとりが本当にひとりひとりであることを知り、そのことの果てしない孤独を味わうのではないかと思います。

しかし私は、ほんものの孤独を知りながら自分の海を続けていくことは、ちっぽけな私たちができうる最も美しいことだと思っています。


今まで自分のためだけに短歌をつくってきましたが、今回の作品ははじめて、誰かの海に触れられたらいいなと思って書きました。
深く傷ついて心の海が途絶えそうなとき、19の短歌と写真のどれかが、小さな波を起こしてくれることを願っています。
見ていただき、ありがとうございました。

佐藤モネ


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人生で二番目に長く住んだ街は、海が近い街でした。午前中で授業が終わった昼すぎ、就活がうまくいかずもやもやしてる夜、彼女とけんかした次の日の朝。日々の生活の中でなにかと理由をつけては(理由がなくても)自転車を5分ほど走らせて海岸まで行き、水平線と水面と波の一つ一つを眺めていました。

ご存じかもしれませんが、海は広い。写真におさめられるのはその広い海のわずか一部です。それは海に飽きない理由のひとつかもしれませんが、一方でどこか歯がゆい気持ちにもなっていました。

今回、短歌という形で、撮りこぼした海を丁寧に拾いあげ、イメージをふくらませ、想像した以上の素敵な景色を見せていただきました。自分の写真にこんなに可能性があったのかと驚くと同時に、一枚の写真をここまで読み取っていただけたことに感動してます。写真で写せなくても言葉で描くことができると気づきました。

日々の生活の中でなにか理由を見つけて(理由がなくても)、この19の短歌と写真をまた見に来ていただけたらこの上なくうれしいです。ご覧いただきありがとうございました。

キタオリユウキ


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これから


このnoteアカウントは今後私が引き継がせていただき、短歌×…という形で、絵、音、写真など、何かを表現している方とコラボしていこうと思っています。
更新はゆっくりになってしまいますが、続けていきます。キタオリさんもいつかまた、ご一緒していただく予定です。引き続き、ご覧いただけると幸いです。

ありがとうございました。

佐藤モネ

本編はこちら↓


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