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直感

まだ私が小さな頃
父に将来の夢を聞いたら
料理人だった。

今も当時と変わらず印刷会社で働く父は
たしか絵の専門学校を出ていて、
時々絵の仕事とかもしている。

だから料理人と言っていたのは、
意外だったようなそうじゃなかったような...

手先が器用でおそらく倹約家の父は
外食に行く時間があれば、
その間にお家で美味しいものを
作ってくれるイメージがある。

特に餃子とカレー。
あの頃は偏食が酷い上に少食で
胡瓜と素麺と汁物の汁部分にしか
興味がなかった。
だから私はほとんど食わず嫌いしてたけど
今は大好物である。
あとは小豆から餡子作ったり
ハンバーガーをバンズから作ったり
切込みを入れるとトロッと流れるオムライスとか
あのトロッが見たくてお願いすると
今でも作ってくれる。

どうして料理人にならなかったのかと聞いたら
1番好きなことを仕事にしたら
好きじゃなくなるかもしれないから
みたいな話をされたと思う。
「好きなことでも仕事にしたら
自分の好きなように出来なくなる」
そんなようなことを言われた。

好きなのに好きじゃなくなることなんて
そんなことあるのだろうか
その頃はそう思っていたけど
そういうことが起こりうるって
なんとなく今ならというか
多分、ステージに立つことを
一度諦めた時くらいに感じたと思う。

将来やりたいことじゃなくたって
様々な物に対して
好きというのは難しいなと感じることが多い。
食べすぎて出ちゃうアレルギーみたいな感じだろうか。

母は幼い頃スイカが大好きで
友達の家にあったスイカを沢山食べちゃって
お腹を壊してスイカを嫌いになってたっけな。
それはまたちょっと違うかな。

とにかくなぜか
向き合おうとすればするほど迷路に嵌って
怖くなったり逃げたくなったり
時には倦怠期とかいうやつだったりも
するかもしれない

戻りたい時に初心に戻って
あの日を思い出しました
ってなるほどそんなに簡単な話しじゃないし

好きとか楽しいなんて
どこまでも曖昧なような気もするし
それでもそこにあるはずで、あったはずで
美化されなくても初期衝動の
キラキラした気持ちはたしかなものだと思う。

だからどうか出来るだけ永く
あの時の自分が大切にしたいと
感じたものを見失わないように。

自分の楽しいに
出来るだけ敏感に反応できるよう
感覚を研ぎ澄ませて
どれだけ迷子になっても
この好きに辿り着けるように

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