ディア・エヴァン・ハンセン

予告でなんとなく気になっていたという記憶だけはあるけど、映画の事前知識は無いまま観に行った。好きなところ、優しいところ、泣けるところはあったのだが、モヤるところもあったので文章にしてみようと思う。

設定が上手…

この映画、設定は実に巧みだと思う。タイトルとも繋がった一通の手紙から話がみるみる広がっていくのは面白いし、「いじめられっ子のサクセスストーリー」という典型例にハマらないプロットだったと思う。
冒頭にて、学校や地域、果ては全米を大きく揺るがす勘違いが生じるのも、エヴァンならさもありなんという感じがする。実はこの行動に深く重い動機があることも興味深い。

どこまで優しい世界なんだ

1番印象に残っている登場人物は学校のカリスマ、アラナだ。まず、自分も鬱であることのカミングアウトが「どの薬飲んでる?」なのが良い。常に人々を先導し、鬱屈とした様子など微塵も見せない彼女が実は大きな葛藤を抱えていることに安心感を得たのは僕だけではないと思う。精神的な問題を抱える人の多くが抱く孤独感に、「表面上はどう見えても、意外とみんな悩みや葛藤があるものだよ」と優しく手を差し伸べる彼女の存在に涙してしまう。

流石はブロードウェイミュージカル

今作がミュージカルなことを知らずに観たのですが、名曲揃いで素晴らしかったですね。どの曲も力強く、映画と見事に溶け込んでいます。ただ、欲を言うなら多くのキャラクターの絡みが見たかったですね。ほとんどが1人で歌って終わっちゃったので、盛り上がりきれない感も…

ここからはモヤッとしたところ書いていきます。

ゾーイはなんで泣いたのか

エヴァンがスピーチをして大勢のオーディエンスに感動を与えるシーンがあります。コナーとの友情が孤独を絶望から自分を助け出してくれたことを独白するわけですが、その後のシーンでゾーイが兄を想って泣いているんです。ゾーイは「兄が病気だろうが何だろうが彼からされた仕打ちは消えないし、全員が全員彼を悼まないといけないの?」という旨のことを言ってます。なんでスピーチを聴くと泣けるんでしょう。エヴァンを助け出してくれた兄が誇らしいから?兄も孤独で辛かったことを再認識したから?そんな理由でゾーイを無理やりマジョリティにしちゃうんでしょうか。
現実でもこういう事案ってありますよね。犯罪者が精神病だったから量刑が軽くなったりとか。状態がどうあれしたことはしたことだと思いますし、それを被害者が許す必要なんて微塵もないと考えています。
もしゾーイが周りの追悼ムードに引っ張られて泣いているのだとしたら、彼女を泣かせることでコナーの罪を帳消しにしていたのだとしたら、気持ち悪いとすら感じます。
彼女の悼まないという選択やそれによって生じる孤独、そういうものを中途半端に描いて都合よく多数派に迎合させたように感じて、モヤッとしました。

総評

音楽はいいしストーリーの根底にある設定も悪くないと思うのですが、後半の雑さやモヤっとするポイントのせいでハマれなかったです。いじめられっ子のサクセスストーリー的映画のよくある展開からも抜け出せていないように感じますし、ミュージカルとしての質も予告編でラ・ラ・ランドやグレショを出しておいてこれかい感が否めなかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?