今回は運の話ではありませんwでも技術的な話でもありません。単に僕が考える三鳳の一要素についての話です。 なので、当然ソースなどはなく、バカな事を言ってないでもうちょっとウデを磨きなさいと言われたらハイスンマセンとしか返せないような駄話です。 オーラス、マンチョバイノツモ、あるいはインパンチで最下位転落です。まー息をするようにバイマンツモってくるオランウータンがはびこる世の中。当然中を鳴いて、アガりを目指します。 降着の心配がないオヤが無慈悲なリーチをかけてきます。これで
相変わらずツイたツカねーの話です。 SNS上で多くの方が話題にした「瀬戸熊氏による状態に関するフローチャート」私はその手法や効果の是非はわかりかねますが、その着眼点は評価されるべきだと思います。 目に見えない運を測ろうとする姿勢、自身のみならず対戦者の運も測ろうとするあたりもたいへんよろしいと考えます。 ゼロサムゲームにおいては自身の利益は誰かの不利益ですので、同様に誰かの不ヅキは自身のツキだと考えておおむねはいいんじゃねと。 なので、いかにして自身がツくかを求めるな
っても技術的な話じゃーなくって運、不運の話です。 現在主流になっている考え方は結果としての「ツキ」の偏りがあったとしてもそれは未来を担保しないので、あんま考えないで普通にやってりゃいいんじゃね勢力で、僕も天鳳サンマやフリー店など不特定多数のプレイヤーと対峙する場ではそれを支持しております。 でもね、ツイたツカねーの話ってのはめっちゃ大好きで、普段はツラっとした顔で麻雀は技術が第一でツイたツカねーみたいな不確定な話に興じているほどヒマじゃないんですよみたいなスタンスを示すプ
2023年12月25日午前2時前。たった今三鳳ACの全ての投稿を読み終えました。企画されたちょりさん、執筆された方、皆様本当にお疲れ様でした。 たくさんの想いに触れて、いてもたってもいられなくなりこうして書き始めましたが、何を書いたらいいんでしょうw あ、私樽なの壊さないでと申します。どうぞよろしくお願いします。 三鳳を8800ゲームくらい打って、安定7.6段くらいの負けてはないけど、大きく浮いてもいないくらいの一般三鳳民です。 三鳳ってめちゃくちゃ過疎ってます。サンマ
オーラス。 東家 42900 南家 25000(僕) 西家 20900 北家 11200 とある大会の決勝卓。ここまでのトータルに差はなくこのゲームの順位がそのまま最終順位に直結する。 優勝賞金は5千万円。以下2位3千万、3位1千万、4位はゼロ。 終盤にさしかかったところでようやくイーシャンテンとなった。 22568m56677p678s ドラ8m 7mか赤5pさえ引ければツモって5000万円のリーチが打てる。 しかしナカナカ引けない。 さらに西家が2位狙いな
2000点のトイトイをアガってからおおよそ2年。僕はある程度上達した打ち手の多くの人が罹るであろう病に冒されていた。 「自分こそが最強である」と錯覚する病である。 最高位戦のプロテストで敗れ去ったクセに病は治る気配を一向に見せないまま。むしろ病気は進行していった。 そこで今度は麻雀連合(現麻将連合)の発足と共に開催された「育成会」に参加することにした。あらゆる見地から見て当時代表を務めていた井出洋介氏に次ぐ次世代リーダーは僕だろうと確信するくらいには重篤な病であった。
最高十段 最高R2454 最高P3575 四鳳南では古参プレイヤーとして、高水準の成績を収め、それなりの知名度があったが、2015年2月に三鳳入りを果たすや、4月には10段に昇段。鮮烈な印象を与えるデビューとなった。 以降も一年に一回くらいのペースで三鳳のクソさ加減に嫌気がさすのか、数か月間失踪する習性はあるものの、堅実に打数を稼ぎ、先日1万ゲーム踏破を果たした。4回に及ぶ10段への昇段に加え、安定段も8を超えており、まず不動の地位を築いたと言えるだろう。 雀風は偏った
昔、チンパンジーだった。バイト代を麻雀店で遊ぶことに全て使う、立派なチンパンジーだったころのお話。 夕飯時を過ぎたころだったかな。吉祥寺にあった「雀荘A」に入った。Aは低料金のお店で、どちらかというと若いオランウータンが多かった印象だけど、その日はトイメンにスタッフ、両脇にサラリーマンっぽいスーツの男性2人だった。 2ゲームの間、僕とスタッフは両脇のアガりを見てるだけで進んでいった。でも僕は今以上にあたまがわるかったので、まぁちょっとツイてないだけで結局はトイメンとのマッ