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カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 1.最初に出会った女の子

 不安げに見守る母と義父に見送られながら、母が選んでくれたインド綿のシャツに、白いパンツをはいて、同期の2人と一緒にプノンペンに向かった。当時はプノンペンに夜間の航空機の離発着ができなかったので、バンコクで1泊しなければならなかった。協力隊事務局から渡された、現地で接種する予防接種の注射の入ったボックスを抱えながら、私たちは成田発のタイ国際航空に乗り込み、バンコクへ向かった。

 バンコクはむしっとしていた。これが雨季というものなのだろう。指定されたホテルの迎えのバンに乗って一旦ホテルに落ち着いた。ようやくここまで来た。でもまだ到着しないカンボジア。どんな国なんだろう。
 その夜はホテルのオプショナルツアーを申し込んで、タイ舞踊を見ながらの夕食をとった。きらびやかな衣装を身につけた踊り子たちが、しなやかに、優雅に踊っている。ベッドに入り、これまでの3ヶ月間の協力隊の訓練、母のこと、いろいろ事前勉強で知ったカンボジアのことなどを考えながら眠りに就いた。

 翌日、朝便でバンコクを出発。なんとプロペラ機!1時間強のフライトだった。
 当時はポーチェントン国際空港と呼ばれていた、プノンペンの国際空港。私はそこに、青年海外協力隊平成6年度1次隊の日本語教師として降り立った。今では想像の出来ないほどの、おんぼろ田舎空港だった。そういう「印象」だったからなのかもしれないが、滑走路の脇に生える草を牛がのーんびりむしゃむしゃ食べていた。そんな光景を見たような気がする。飛行機から階段で地上に降り立ち、遠くに見えるオープンエアーの旅客ターミナル、いや、掘立小屋に向かって乗客が歩いていく。埃っぽくって、蒸しっとしていた。なぜかそのターミナル内にタクシーの客引きや、どう見ても普通のおばちゃん、おじちゃんとしか思えない人たちがごった返し、何がなんだかわからないまま人の流れに沿って荷物を待つカウンターに到着した。

 そこにいたのが「小さな女の子」。ぼろぼろの、レースがついたピンク色の「ドレス」に身を包み、首にはビーズのネックレスをしていた。なぜか、その子に目が行き、次の瞬間にそのビーズのネックレスを指さしてこういっていた。

「スァーッナッ(きれいね)」。

 すると小さな女の子は私にはにかみながらにこっと微笑んだ。
 その笑顔がたまらなくかわいくて、そしてとても優しくて、「ああ、この国はいい国なんだ。こんなに素敵な笑顔がある国なんだ」そう思った。そしてその女の子は、いろいろとネックレスについて説明してくれた。もちろん、日常会話のイロハのイくらいのレベルにしか達していない私に、その子が何を言っていたのかなんてわからない。でも、なぜかうれしかった。小さな女の子が私に話をしてくれたことが。そして漠然と、「もっとクメール語を勉強しよう」と思ったのだった。

女の子

 雨季の合間の日差しが湿気をおびてとても暑く感じた、1994年7月10日の出来事。それが私のカンボジアの始まりだった。

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