カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 10.大家さんの「ダシ」

 大家さんは1階に住んでいて、おばあちゃん、奥さん、子供3人、親戚の女の人、その他どういう関係かわからな人などを入れると、8~10人くらいが暮らす大家族だった。自転車を下に置いてもらっていたので、毎朝声をかけて観光省に通う。子供たちとはすぐに仲良くなり、仕事から帰ってきたときや土日のお休みの時には、うちに遊びに上がってきたり、私も大家さんのお家にお邪魔したりしていた。

大家さん家族3

 入居するときに、家財道具や家電製品をある程度入れておいてくれるという約束だったのに、入居してみるとテレビに備わっているはずのビデオデッキ(当時はビデオが主流でした!)がない。何度か交渉するけど、なかなか入れてくれなくて、ちょっと不満だった。

 そんなある日、土曜日に外から帰ってくると、大家さんが私に声をかけてきた。大家さんは軍人さんで、体に入れ墨をしており、体格が良く、敵にしたら怖そうな人。とはいえビデオデッキのこともあるので、警戒しながらも入居者としての距離を保ちながら何かあればいろいろとお願いをしていた。

 そんな大家さんがやって来たので何かと思ってベランダに出ると、なんでも明日郊外にダゥレーン(遊び)に行くから、一緒に来るか?車を出して郊外の行楽地に連れて行ってあげるというのだ。へぇ。家族でちょっとした日帰り旅行なのかな。ぜひぜひ、ご一緒させてください!

 次の日の朝、出かける用意をして大家さんの家に降りて行った。
 すると、大家さん以外の家族はみんな普通の格好をしていて、大家さんだけが外に車を出して待っている。あれ?家族で郊外に日帰り旅行じゃないの?いやいや、友達と約束をしているのでその友達を迎えに行くから、おまえも乗りなさい。と大家さん。

ダウレーン1

 ハテナ?な状態で車に乗り、家族が見守る中、私と大家さんは郊外へ向かった。5号線を北上したところに、ちょっとしたスラムみたいな地域があって、そのあたりにはクマェイスラムと呼ばれる人々が住む一角があった。大家さんは車を走らせ、その一角に停車。しばらくすると、黒のスラックスに体の線がぴったり出るようなちょっと胸から首のあたりがレースで透けている黒のシャツを着た、セクシーな女性がどこからか出てきて車に近づき、当たり前のように助手席に乗り込んだ。

 こんにちは。あなたはだれ?
 アーヤだか、なんだったか。そんな名前だったと思う。大家さんの「ガールフレンド」だというのだ。

 はぁ?しばらく状況がつかめずにいたけど、車は5号線をさらに北上した郊外の行楽地に到着し、そこで3人でランチをとる事になった。まぁ、良くわからないけどおいしい鳥の丸焼きとか魚とかが出てくるし、ちょっとビールも入っちゃっていい気分。アーヤちゃんはチャム族の女の子らしく、どうも「その道」の子のようだ。

ダウレーン2

 さてさて、そろそろ帰ろうかということになり、行楽地を出た。もう1軒寄るからと言われ、今度は6A号線のレストラン街へ。そちらで今度は夕飯にヤギ鍋を食べるらしい。するとそこに大家さんの友達だという男の人などが混ざってきて、大宴会が始まった。私はそろそろ家に帰りたいな、明日も仕事だしな・・・と思いながら、薄暗くなる中しばらく付き合っていた。

 お酒がだいぶ入って大家さん、今度は私にこんなことを言ってきた。自分たちはこの後もまだ飲んでいくので、先に帰りたかったら友人が送っていくけどどうする?家の人たちには男友達と飲み始めたって言っておいてくれ。そういう大家さんの横にはアーヤちゃんが困った顔をして座っている。

 なるほど、ダシに使われたんだわね。わたし。

 いいえ結構です。ここからだったらモトで帰れるから、じゃあね、ごちそうさまでした!そういって私は日本橋の向こうの6A号線の鍋屋さんの前でモトを拾い、夕暮れのプノンペンの家へと帰ったのだった。今思えば、モトで帰るにはちと遠かった。

 家に帰ると大家さんちのおばあちゃんが出てきて、うちの息子はどうした?一緒だったでしょ?と聞いてきた。ん、なんだかお友達とまだ飲むと言っていたので、私は先に帰ってきたの。おやすみなさい。また明日・・・。

 なんだかとっても悪いことをしたような気がして、しばらく大家さんのご家族の顔が見られずに数日。するとある日、大家さんが私の部屋にやってきた。手にはビデオデッキを持って・・・。私をダシに使った罪滅ぼしってことだったのかしら。

 なんだかなぁと思いながらも、以来私の家には日本人の友人から、日本のドラマがいっぱい録画されたビデオが回ってくるようになったのだった。

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