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自立した学び手が育つ・・・
最近、「自立した学び手」という言葉をよく耳にする。
僕の大好きな奈須先生も、本でよく書いている。
今回は、全国算数授業研究会の本を参考に、自立した学び手について考えていきたい。
自由をうばうと自立しない
算数の授業で言う「自由」とは、子どもたちの自由な試行錯誤を示している。教師が一方的に算数の見方・考え方を示すのではなく、子どもが自由に試行錯誤し、そこにたどり着くことが、自立した学び手と言えるのではないか。
例えば、本著では5年生の図形の学習を例に出している。
平行四辺形の面積を求める授業で、教師が「長方形の面積の求め方を使って、平行四辺形の面積を求めなさい」という目当てを提示した。
個人的には、よくある授業だと思った。きっと、教科書にもそのように書かれている。低位の児童を救うためにも、長方形の面積の求め方を用いるという土台に立たせることは有効だろう。
しかし、この目当てに警笛を鳴らしている。子どもが試行錯誤した後に、長方形の面積の求め方が平行四辺形に応用できることを発見させる必要がある、と。
確かに一理あるが、そこに至らせるための教師の力量が必要になってくるだろう。どこに注目させるのかをきちんと教材解釈しておく必要がある。
めあて、まとめ、ふりかえりで子どもは自立した学び手になるのか
めあてが教師から提示され、それに対するまとめを書き、振り返りをする。
ありきたりの学習スタイルにも本著は警笛を鳴らしている。
教師がめあてを提示し、まとめを書かせることに対して、私も同意見で、めあては子どものものという認識がある。
いつも、めあては子どもに作らせている。というより、めあてを書くまで、子どもが司会をして授業を進めている。
さらに、まとめも教師が書かない。子どもに自由にまとめさせる。
奈須先生も、本の中で、子どもが授業をする学校を紹介されていた。
これからは教師が教えるのではなく、子どもが教え合うのを導いていく仕事に変わっていくのかもしれない。
このことに関しては前の記事に書いているので、読んでみてください。
本著のさわりだけ紹介しただけで、まだまだ続きがあります。ぜひ手にとって読んでみてください。一緒に自立した学び手を育てていきましょう!!
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