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兵庫教育大学附属小学校の研究発表を受けて

昨日、2月4日(土)に兵庫教育大学附属小学校に行ってきました。そこで学んできたことをまとめたいと思います。

研究テーマ ー「転移」を促す授業のリデザインー

「転移」とはそもそも何なのか。

「転移とは、新しい知識の学習も必要とする新たな状況で、古い知識を適用することである」by Larkin,1989
 『授業が変わる 認知心理学と教育実践が手を結ぶとき』p.47

「活用」とどう違うのか分からないが、兵庫教育大学附属小学校では、

「子どもが意識的・無意識的に異なる文脈で既習の「知識」を生かすこと
兵庫教育大学附属小学校 提案要項・学習指導案集p.7

と定義されている。認知心理学上の言葉と同等の言葉で定義されていると感じた。
この「転移」を促すために、どのような理論を立てて、どのような授業を行うのかが研究の柱となってくるだろう。

「転移」と社会科の関係性について

社会科はそもそも、概念的知識を獲得する教科である。個別具体的な知識を一つ一つつなげ合わせ、他の事象でも通用しうる「概念」を形成していく。

米作りの学習で、毎時間米の作り方や農家の工夫、課題などを学習していく。最後のまとめをする中で、日本人の主食である米を作るためには、機械化などの工夫で効率的に採集できるようになった一方、人不足や田んぼの減少、TPPによる外国米の流入などの課題があり、スマート農業などでさらなる対策を講じている、と言う概念を形成したとする。

次に、漁業の学習をする際に、同じように人手不足で魚も減っており、外国の安い魚が入ってきているという事実を知る。そこで子どもは「農業も一緒だった」とつなげて考えようとする。
そこからさらに、農業や漁業といった食糧生産の産業には、成果がある一方、共通の課題がある、と言うさらに大きな概念を形成していく。

すると、子どもはこう考える。「米や魚以外も同じような問題があるのかな」「お肉も同じなのかも」「食べ物じゃないけど、自動車作りも人がいないかも」などという予想(問い)が生まれてくる。

このような、転移可能な知識が概念的知識であり、社会科の本質であると言える。


そもそも「転移」と関係の高い教科である社会科で、転移を促す授業デザインと聞くと、これまでの社会科とどう変わっていくのかが、大切な視点となってくる。今回はそこがあまり伝わってこなかった。来年度以降、どうなっていくのかが楽しみである。

分科会に参加して

分科会では、やはり「転移」の話が多く出た。長くなるので細かくはかけないが、「転移」の定義にブレがあり、深まった議論ができなかった。
「転移」の定義について、もっと考えていくべきだろう。

その後、授業の検討に入った。
5年生の情報と4年生の兵庫県の学習。

5年生では「新聞」を取り扱い、新聞が読まれるようになるためにどうしていくべきかを考えていく流れであった。

分科会で出た意見をまとめてみる。

1 新聞が子どもの問題ではない

社会的事象を取り扱う際、子どもと距離のある事例を取り扱うことがある。子どもとの距離をできるだけ短くするために(関心を持たせるために)導入で教師は工夫をする。

「それは子どもが考えるべきことなのか?」という課題を子どもに押し付けてしまうことがある。例えば、米作りで行くと、「米作りの課題に対する対策を考えて提案しましょう」である。子どもの危機感として「お米がやばい!なんとかしないと!」と乗り気であれば、まだ考えようがあるが、特に盛り上がりもなく、切実性も感じられない状態で、提案しろと言われても困ってしまう。

また、提案する内容が現実的ではないものが多い。科学的根拠が少ない課題は、空想で終わってしまうことがある。「田んぼの代わりに屋根で作る」「海で田んぼを作る」みたいな提案が出てくる。教師はそれを「面白いね!」といって評価する。しかし、これは、社会科の評価ではない。その子の発想力の評価である。

社会科の評価にしたいのであれば、科学的な根拠を提示し、「だからこうしたら良いと思う」という提案になっていないといけない。

附属で行われた授業も、子どもとの距離が遠いまま進んでいる気がした。もっと身近に感じさせる工夫が必要になるだろう。

2  新聞が衰退して困るのは新聞屋だけ

先ほどの話繋がるかもしれないが、新聞が衰退して困るのは誰なのか。もちろんそこで働いている新聞社の人たちである。子どもたちではない。

だからこそ、「え!新聞こんなにすごいのに読まないともったいない!無くなるのは勿体無い!」と子どもたちに感じさせる必要がある。

それでは、新聞の良さは何か。
信頼性が1つ挙げられる。指導案にも書かれていたが、SNSの発達などにより情報が氾濫している時代には、逆に正確性の高い新聞が必要になってくる。即効性はないかもしれないが、正確性では新聞にぶがあるだろう。

新聞と他のメディアを比べ、新聞の強みを調べていくことで、社会の仕組みを理解できる社会科になるだろう。さらに、それすらも批判的に捉え、「別に新聞がなくなったっていいんじゃない」という考えを持つことも大切かもしれない。賛成派と反対派でディベートさせることもできる。

反対派は新聞の強みをアピールし、SNSの弱点をつく。新聞がなくなっても良いという賛成派は、新聞のデメリットを押せば良い。その議論を通して、本当に新聞が必要なのかを考えられれば良い。

そもそも、衰退は悪なのか。これまでも多くの産業が衰退し、新しい産業が生まれてきた。この波は悪いことではない。もちろん困る人が出てくるのは事実だ。それを助けるためにどうすれば良いのかを考えるのではなく、なぜ衰退していくのか、今後どうなっていくのか、衰退しても良いのかといった、価値判断・意思決定・未来予測を行うことが社会科の本質ではないだろうか。

3 無電柱化はいくらでできるの?

無電柱化に注目したのは面白い視点だと思った。景観を守ることで昔ながらの景色を残し、観光客が集まってきているらしい(本当なのかは根拠となる資料が必要)。

この無電柱化について、とことん話し合わせることが社会科として大切だろう。しかし、無電柱化について発問したのが、授業終了5分前。
少し前に時間を使いすぎていた。本来はここに話し合いを持ってくるべきだっただろう。

丹波篠山城跡 無電柱化 https://mainichi.jp/articles/20210517/k00/00m/040/054000c

私の意見として、この無電柱化にはいくらのお金が使われているのかは大切な視点だと思う。安かったら「それならやってもいいよな」となるが、高額の場合「そこまでしてやる意味ある?」といった批判的な考え方ができる。
そこですかさず議論をする。賛成か反対か。景観を守るためにお金を使って(募金なのか税金なのかも調べる必要がある)するべきかを考えることができるだろう。

4 どこから・どこに転移するのか

これは私が質問した内容になるが、「転移」が研究テーマなのであれば、今回の授業の知識がどこに転移していくのか、どこから転移されるのかをきちんと意識しなければならない。質問したが、きちんとした意見が返ってこなかった。今後検討していただきたい。

私が見て感じたのは、
5年生は「インターネットの発達による産業の衰退」4年生は「景観を守る人々」がキーとなって転移するのではないかと考えた。

新聞の衰退は、インターネットの発達が原因であることが考えられる。これは、他の産業でも言えるだろう。逆に成長した産業もあるはずである。

景観を守るのは、城跡だけではない。例えば、宮城県女川町の防災で防潮堤を作らないという選択を選んだのは、景観を守るためである。景観条例が敷かれている地域もそうだろう。結局「お金」が絡んでくることだろうが、地域住民の声としてあるのも事実である。


宮城県女川町 https://ja.wikipedia.org/wiki/女川町

以上のように、教師が転移先をきちんと検討しておかないと、子どもに転移を促すことは到底できないと考える。

最後に

「転移」という難しいことを研究テーマにされていて、とても勉強になった。この研究が進めば、「転移」を促す授業がどんどん実践されていくことだろう。

しかし、課題も垣間見られた。社会科部だけしか出ていないが、「転移」についてもっと考えていく必要があるだろう。そして、その理論を授業にどう落とし込めば良いのかを考えていく必要もあるだろう。

兵庫教育大学附属小学校のみなさん、貴重がご提案ありがとうございました。
来年度の発表も楽しみにしております。


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